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恋愛台帳、時代ズレにつき修正不能  作者: サザルト
すれ違い編

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第85話 巴様乱心事件

■真田家・巴の部屋


 夜。


 巴の部屋は静かだった。


 机。


 教科書。


 鞄。


 全部、いつも通りに置かれている。


 なのに、落ち着かない。


「……」


 巴はベッドに座った。


 考える。


 思い出す。


『別にいい』


『大丈夫だ』


 恒一の声は普通だった。


 怒ってはいなかった。


 責めてもこなかった。


 許してくれた。


 たぶん、本当に大丈夫だと思っていた。


 でも、距離は戻らなかった。


「……」


 巴は枕を掴んだ。


 そのまま、軽く投げる。


 ぽす、と床に落ちた。


「……」


(……なんなんだ)


 考える。


 でも、答えが出ない。


 避けられている。


 でも、嫌われている感じはしない。


 それが、一番分からなかった。


「……」


 一番嫌なやつだった。


(許してくれたはずなのに)


(大丈夫って言ったのに)


(なのに、なんで距離取るの、あいつ)


「……」


 分からない。


 分からないから、余計に落ち着かない。


「……無理だ」


 巴は立ち上がった。


 ジャージを掴む。


 そのまま、部屋を出た。


■体育館・薙刀部


 翌日。


 体育館に、巴の声が響いた。


「お願いします!!」


 空気が、少しだけ止まる。


 部員たちが一斉に視線を向けた。


 真田巴。


 長い黒髪を高い位置で束ね、百九十センチ近い長身で薙刀を構えている。


 長い手足は無駄なく伸び、立っているだけで武の圧があった。


「……」


 そして、振る。


 速い。


 重い。


 鋭い。


 空気が裂ける。


「っ!?」


 一年生が、思わず後ろへ下がった。


「ちょ、ちょっと今日の真田先輩やばくない!?」


「近づくな近づくな!」


「目が怖い!」


 さらに一撃。


 バンッ!!


 床が鳴った。


「……次」


 巴が短く言う。


「は、はい!」


 二年生が前へ出る。


 三秒後。


「ぐえっ!?」


 弾かれた。


「次」


「え、いや、ちょっ――」


 別の部員が前へ出る。


 巴が踏み込む。


 速い。


「むりむりむり!!」


 防御ごと押し込まれ、慌てて後ろへ下がる。


 さらに交代。


「一年行け!」


「嫌です!!」


「今一番お前が軽い!」


「理由になってませんって!!」


 結局、前へ出される。


 そして。


「ひゃあっ!?」


 一瞬で後退した。


 体育館の端まで逃げる。


「……」


 巴は止まらない。


『距離取ってるだけだ』


『ちゃんとしてるし』


『別にいい』


『大丈夫だ』


「……っ!」


 踏み込みが、さらに鋭くなる。


 薙刀が唸った。


「真田先輩、今日乱心してるって!」


「誰か止めろ!」


「無理です!!」


 体育館の端。


 前田千夜が、その様子を見ていた。


「……」


(……ああ)


 静かに思う。


(……あれはダメなやつだ)


 でも、止めない。


 止めても意味はないと、なんとなく分かる。


「……」


 巴は、さらに振る。


 鋭く。


 綺麗に。


 でも、明らかに荒れていた。


「む、無理ですってぇ!!」


「真田先輩、今日絶対おかしいですって!」


「誰か止め――」


「次」


 即答だった。


「ひっ」


 部員たちが固まる。


「……」


 巴は、薙刀を構え直した。


 息は乱れていない。


 目だけが、少し怖い。


 薙刀の切っ先が、ゆっくり動く。


「一人ずつだと効率が悪い」


「え?」


 巴は、静かに言った。


「全員で来なさい」


「「「無理です!!」」」


 体育館に悲鳴が響いた。


 それでも、巴は止まらなかった。


 結局、部長が前に出た。


「真田、少し落ち着きなさい」


「落ち着いてます」


「落ち着いてる人は全員で来いとは言わない」


「そうですか」


「そうです」


「では、お願いします」


「聞いてる?」


 次の瞬間、巴が踏み込んだ。


「速っ――」


 部長が受ける。


 受けた。


 けれど、そのまま押し込まれた。


「ちょ、重っ……!」


 数秒後。


 部長が床に膝をつく。


「部長ぉぉぉ!?」


「部長がやられた!」


「終わった!」


「終わってない!」


 副部長が叫びながら前に出た。


「真田! 今度こそ一回止まりなさい!」


「お願いします」


「だから話を――」


 踏み込み。


 一閃。


「うわっ!?」


 副部長も押し返された。


 さらに、その横から三年生が二人入る。


 巴は、まとめて相手をした。


 薙刀が回る。


 踏み込みが鳴る。


 受ける音が重なる。


 そして、また一人。


 また一人。


 体育館の床に膝をつく。


「……」


 千夜は、それを黙って見ていた。


(全員倒す気だ)


 たぶん、本当にそのつもりだった。


 そして、数分後。


 体育館には、十数人の薙刀部員が転がっていた。


「……」


 巴だけが立っていた。


 息は乱れていない。


 薙刀を持ったまま、静かに体育館を見渡している。


 完全に、乱心していた。


■体育館入口


 一方、その頃。


 陸上部の練習中、休憩に入った恒一は、ふと思い出したように顔を上げた。


「そういえば」


「なんだ?」


 隣で水を飲んでいた基樹が聞く。


「真田、今日薙刀部だったな」


「……」


 基樹の手が止まった。


「だから?」


「様子を見るって言われたからな」


「……まさか」


「見に行くか」


「やめろ」


「少しだけだ」


「やめろって」


「距離は取る」


「そこじゃねえ!」


 結局、恒一は体育館へ向かった。


 基樹も、放っておくと何をするか分からないのでついていった。


 そして。


 体育館の入口で、二人は中を見た。


「……」


「……」


 体育館には、十数人の薙刀部員が倒れていた。


 部長もいた。


 副部長もいた。


 一年生も、二年生も、三年生もいた。


 その中央に、巴が立っていた。


 薙刀を持って。


 静かに。


 目だけが少し怖い。


「……」


 基樹は、無言になった。


 恒一は、少しだけ見てから言った。


「今日は真田、元気に頑張ってるな」


「この異様な光景を見て、それしか思わねえのか!?」


 基樹のツッコミが、体育館前に響いた。


「いや、薙刀部だし」


「薙刀部でも普通こうはならねえよ!」


「そうなのか?」


「そうだよ!」


「でも、真剣に頑張ってるなら、あれくらいあるだろ」


「ない!」


 基樹は即答した。


「絶対普通じゃない!」


「普通じゃないのか」


「普通じゃない!」


「……」


 恒一は、体育館の中を見た。


 巴がまた薙刀を構え直している。


 その周りで、部員たちが震えている。


「……そうか」


「そうだよ」


「じゃあ、何かあったのか」


「お前のせいだろ!」


「なんでだ?」


「なんで分からねえんだよ!」


 基樹が頭を抱える。


 その時、体育館の中で、巴がふと入口の方を見た。


 恒一と目が合う。


「……」


「……」


 一瞬だけ、空気が止まった。


 巴は、すぐに視線をそらした。


 そして、薙刀を握る手に少しだけ力が入る。


「……次」


 低い声が響いた。


 部員たちが震えた。


 基樹も、少し震えた。


「……帰るぞ」


「もう少し見ていかなくていいのか」


「いいわけあるか!」


 基樹は恒一の腕を掴んだ。


「今の真田さんに見つかったら、お前も薙ぎ倒されるぞ!」


「それは困るな」


「困るで済むか!」


 恒一は、もう一度だけ体育館の中を見た。


 巴は、まだ荒れていた。


 綺麗で、鋭くて。


 でも、やっぱり少し変だった。


「……真田は謝ったんだが」


 小さく、恒一がつぶやく。


「俺も、大丈夫だって言った」


「そうだよ!」


 基樹が即座に返した。


「真田さんが謝って、お前が許したんだろ!」


「……ああ」


「お前が大丈夫って言ったんだろ!」


「ああ」


「なのに距離取ってるから、真田さんが分かんなくなってるんだよ!」


「……」


 「……」


 恒一は、よく分からない顔をした。


「難しいな、薙刀って」


「薙刀関係ねえし」


「難しくしてるのはお前だって、何回言わせる気だ!」


 体育館の中では、また薙刀の音が響いた。


 バンッ!!


 その音に、基樹が肩を跳ねさせる。


「帰るぞ!」


「ああ」


 二人は、体育館の入口から離れた。


 背後では、まだ薙刀部の悲鳴が続いていた。

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