第84話 見てたら、なんかちょっとわかった話
■二年A組前・廊下
放課後。
二年A組の教室前で、前田千夜は廊下の壁にもたれていた。
「……」
教室の中を見る。
特に理由はない。
……いや、ある。
(……どんなやつか)
少しだけ、気になった。
あの巴が。
あそこまで引っかかっている相手。
朝比奈恒一。
「……」
視線の先。
教室の中に、恒一はいた。
派手さはない。
目立とうとしているわけでもない。
けれど、姿勢がいい。
無駄な動きが少ない。
話していない時は、妙に静かに見える。
(……静かなやつ)
千夜は、そう思った。
一方で、近くにいる三浦基樹は逆だった。
表情がよく動く。
話すたびに空気が動く。
声も、反応も、分かりやすい。
たぶん、ああいうやつがいないと。
朝比奈恒一という人間は、周りから見るともっと分かりにくい。
「だからさ」
基樹が、呆れた声を出した。
「お前最近、真田さん避けすぎなんだよ」
「避けてない」
恒一は即答した。
「距離取ってるだけだ」
「避けてんだよ、それ!」
基樹のツッコミがすぐに飛ぶ。
「……?」
恒一は、本気で分かっていない顔をした。
「違うだろ」
「違わねえよ!」
「彩音に言われた通り、様子を見てる」
「だから、その見方がおかしいんだよ!」
「おかしいか?」
「おかしい!」
基樹は頭を抱えた。
「お前、前もっと普通だったろ!」
「ずっと普通だ」
「今が普通じゃねえんだよ!」
「……」
恒一は少し考える。
「でも、ちゃんとしてるだろ」
「その“ちゃんとしてる”が怖えよ!」
教室の中で、何人かが笑った。
千夜は、黙ってそれを見ていた。
(……これか)
なんというか。
噛み合っていない。
けれど、妙に自然でもある。
恒一は真面目に答えている。
基樹も、真面目にツッコんでいる。
そのやり取りが、教室の空気に普通に馴染んでいた。
「……そういえば」
別の男子が、会話に入ってくる。
「恒一の弁当、今日もうまそうだったな」
「ああ」
恒一は普通にうなずいた。
「昨日の残りだ」
「残りであれになるの意味わかんねえよ」
基樹が即座に返す。
「なんであの卵焼きで飯屋みたいな味出るんだよ」
「火加減だろ」
「知らねえよ!」
またツッコミが飛ぶ。
教室の空気が、少し笑いに傾いた。
その時。
「でも恒一の料理、ほんと美味しいよね」
笑いながら、一ノ瀬彩音が会話に入った。
肩まで伸びた黒髪。
柔らかく整った顔立ち。
派手ではないのに、笑うだけで空気が軽くなる。
自然と視線が向くタイプだった。
「前に食べたハンバーグ、普通に店レベルだったし」
「彩音、お前甘やかしすぎなんだよ」
基樹が呆れる。
「事実だよ?」
彩音は、楽しそうに笑った。
「恒一、料理だけはほんとにちゃんとしてるもん」
「だけってなんだ」
「そこ気にするんだ」
「気にするだろ」
恒一が真面目に返す。
また少し、教室が笑う。
「……」
千夜は、その様子を見る。
(……この人か)
巴の話に、何度か出てきた名前。
一ノ瀬彩音。
空気が軽い。
自然に会話へ入って、自然に場を動かしている。
押しつけがましくはない。
でも、気づけば中心に近いところにいる。
「……」
千夜は、少しだけ目を細めた。
巴と彩音。
タイプは全然違う。
けれど、ちゃんと友達なのだろうな、と少し思った。
千夜は、もう一度視線を恒一に戻す。
恒一は、相変わらずよく分からない顔をしていた。
「真田には悪いことしたと思ってる」
ふと、恒一が言う。
教室の空気が、ほんの少しだけ変わった。
「だったらちゃんと話せ!」
基樹が即座に返す。
「話した」
「足りてねえんだよ!」
「……?」
恒一は、本気で分かっていない顔をする。
「謝られたから、大丈夫だって言った」
「そこまではいい」
「そのあと、距離も取った」
「そこがダメなんだよ!」
「なんでだ」
「なんでだじゃねえよ!」
基樹の声が響く。
恒一は、なおも真剣に考えている。
千夜は、小さく息を吐いた。
(……悪いやつではないんだろうな)
それは分かる。
恒一は、巴を拒絶しているようには見えない。
怒っているようにも見えない。
ただ、真面目に何かを間違えている。
距離を取っているのに、突き放しているわけではない。
ちゃんとしているようで、どこかズレている。
「……」
千夜は、教室の中を見る。
笑う彩音。
呆れる基樹。
その真ん中で、真剣によく分からない方向へ考えている恒一。
(……巴が気になるのは)
少しだけ。
(……わかる気がする)
そう思って、千夜は壁から背を離した。
分かったようで、まだよく分からない。
でも、ひとつだけ分かった。
あれは、確かに気になる。
良くも悪くも。
そう思いながら、千夜は静かにその場を離れた。




