第81話 たぶん違うけど、違わない気もしてきた
■校舎裏・自販機前
放課後。
校舎裏の自販機の前で、巴は一人立っていた。
カコン、と音がして、取り出し口に缶が落ちる。
巴はそれを取り出し、しばらく手の中で転がした。
「……」
頭の中に、昨日の道場での会話が残っている。
『白石の好きな相手が、お前だって話』
『真田なら、ちゃんと考えてくれるだろ』
『応援してるぞ』
「……」
意味が分からない。
そもそも、なぜそうなるのか分からない。
ひよりが誰を好きなのかは知らない。
けれど、少なくとも自分ではない。
たぶん違う。
絶対違う。
そう思うのに、胸の奥に変な引っかかりが残っていた。
それに。
『彩音は信用できるし、頼りになるし、人の気持ちもよく分かるだろ』
『白石のことも、ちゃんと心配してくれると思って』
「……」
そこも違う。
いや、全部が違うわけではない。
彩音が信用できないわけではないし、頼りにならないわけでもない。
人の気持ちも、たぶん分かっている。
分かっているからこそ、面白がるところがある。
そこを恒一は分かっていない。
真面目に、まっすぐに、心から信じている。
その顔を思い出して、巴は小さく息を吐いた。
「……なんなの、あれ」
小さくつぶやく。
そして、もう一つ思い出す。
竹刀を打ち込んだ感触。
乾いた音。
防具越しでも分かる、少し強すぎた打ち込み。
「……」
巴は缶を開けた。
プシュ、と小さな音がする。
(……やりすぎたか)
そう思ったところで。
「巴!」
声がした。
巴が振り向く。
校舎裏に入ってきたのは、前田千夜だった。
「なにしてるの?」
「……別に」
「別にって顔じゃないけど」
「そう?」
「そう」
千夜は近づいてくると、巴の顔をじっと見た。
「顔、ちょっと変」
「……は?」
「考え事してる顔」
「してない」
「してるよ」
即答だった。
逃げ場がない。
巴は、少しだけ目をそらした。
「……ちょっとだけ」
「なに?」
「……」
一瞬、迷う。
けれど、千夜相手に隠してもたぶん無駄だった。
「……朝比奈のことなんだけど」
「うん」
千夜の返事は早かった。
少しも驚いていない。
「どうしたの?」
「……なんか」
「うん」
「変なこと言われた」
「どんな?」
「……」
言いづらい。
とても言いづらい。
「……私のことを」
「うん」
「白石さんが好きなんじゃないかって」
「……」
千夜は少しだけ黙った。
それから、缶を持つ巴の手元を見る。
「で?」
「……違うし」
「うん」
「絶対違うし」
「うん」
「……」
「それで終わりじゃないでしょ」
「……」
巴は言葉に詰まった。
終わりなら、こんなところで考え込んでいない。
「……なんか」
「うん」
「気になる」
「それ、意識してるよ」
「……は?」
巴は即座に顔を上げた。
「してない」
「してるでしょ」
「してない」
「気になってる時点で、もう入ってる」
「……」
言葉が、妙に引っかかった。
もう入ってる。
何が、どこに。
考えたくないのに、考えてしまう。
「……違う」
「違わない」
千夜はあっさり言った。
「違う」
「じゃあ、なんでそんなに気にしてるの?」
「……」
「白石さんが巴を好きじゃないなら、ああ違うんだ、で終わりじゃない?」
「……」
「でも終わってない」
巴は、答えられなかった。
千夜の言い方は、いつも遠慮がない。
だから逃げ道も少ない。
「……あと」
巴は、小さく付け足した。
「道場で」
「うん」
「ちょっと強くやった」
「朝比奈くんを?」
「……うん」
「どのくらい?」
「……普通じゃないくらい打った」
「……」
千夜が、少しだけ間を置いた。
「それ、もう普通じゃないよ」
「……は?」
「普通なら、そこまでいかない」
「……」
また、言葉が詰まる。
「巴、感情出てるじゃん」
「……」
否定できない。
否定したいのに、できない。
怒っていた。
たぶん、怒っていた。
でも何に怒っていたのか、うまく説明できない。
ひよりのことを誤解されたからなのか。
自分が巻き込まれたからなのか。
彩音のことを何も分かっていないみたいに褒めたからなのか。
それとも。
恒一が、あまりにも本気だったからなのか。
「……別に」
巴は小さく言った。
「嫌だっただけ」
「何が?」
「変な誤解」
「うん」
「あと、勝手に応援されたこと」
「うん」
「あと……」
「あと?」
「……彩音のことを、あまりにも真っ直ぐ信用してたこと」
「そこ?」
「そこも」
千夜は少しだけ考えたあと、なるほど、と小さくうなずいた。
「まあ、一ノ瀬さんは分かるけどね」
「でしょ」
「信用できるのも分かる」
「……うん」
「でも面白がるのも分かる」
「……うん」
「そこを朝比奈くんが分かってない感じ?」
「そう」
巴は、思わず即答した。
千夜はそれを見て、少し笑った。
「ほら、気にしてる」
「してない」
「してるって」
「してない」
「もうその返しがしてる」
「……」
巴は缶を口に運ぶ。
冷たい飲み物が喉を通った。
少しだけ落ち着く。
「まあ、いいけど」
千夜は軽く肩をすくめた。
「嫌なら、距離取ればいいし」
「……」
「嫌じゃないなら、そのままでもいい」
「……」
「自分で決めなよ」
それだけ言って、千夜は歩き出す。
「じゃあね」
「……うん」
巴は、短く返した。
千夜の足音が遠ざかっていく。
校舎裏に、また静けさが戻った。
「……」
巴は、一人残る。
手の中の缶は、少しだけぬるくなり始めていた。
(……意識してる)
千夜の言葉を、心の中で繰り返す。
(してない)
すぐに否定する。
でも。
(……してる?)
答えは出ない。
たぶん違う。
けれど、違わない気もしてきた。
それが、余計に落ち着かなかった。
■廊下
翌日。
廊下には、部活へ向かう生徒や、帰る生徒の流れができていた。
その中を、巴は歩いていた。
「……」
千夜の言葉が、まだ少しだけ頭に残っている。
『嫌なら、距離取ればいいし』
『嫌じゃないなら、そのままでもいい』
『自分で決めなよ』
「……」
距離。
その言葉が浮かんだ時だった。
向こうから、恒一が歩いてくる。
「……」
巴は、少しだけ構えた。
昨日のことがある。
道場で、少し強く打ちすぎたことも。
恒一が何かを勘違いしていることも。
全部、少しだけ気まずい。
恒一が顔を上げる。
一瞬、目が合った。
「……」
けれど恒一は、何も言わなかった。
そのまま、巴の横を通り過ぎる。
「……」
巴は、足を止めた。
一歩遅れて、振り返る。
恒一の背中が、人の流れの中にまぎれていく。
(……あ)
一瞬で、つながった。
距離。
様子見。
ひより。
応援。
昨日、自分が強く打ったこと。
「……」
(……そういうことか)
小さく、息を吐く。
あれは、そういう距離だった。
「……」
何も言わない。
言わなくても、分かる。
そう思った瞬間。
少しだけ、胸が重くなった。




