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恋愛台帳、時代ズレにつき修正不能  作者: サザルト
すれ違い編

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第80話 いい感じだったはずなのに、なんか違う話

■二年A組教室


 放課後。


 二年A組の教室には、まだ数人の生徒が残っていた。


 窓の外は、少し暗くなり始めている。


 机の上に鞄を置いたまま、彩音はゆっくりと帰り支度をしていた。


 基樹は少し離れた席で、教科書を鞄に入れている。


 その時。


「彩音」


 恒一が、教室の入口から声をかけた。


「ん?」


 彩音が振り向く。


「どうしたの」


 いつも通りの声。


 いつも通りの表情。


 けれど、恒一の顔は少しだけ真剣だった。


「……ちょっといいか?」


「いいよ」


 彩音は椅子を引き、恒一が話しやすいように体を向けた。


 基樹の手が、一瞬止まる。


 帰り支度をしていたはずなのに、なぜかその場に残る気配になった。


「……」


 恒一は、少しだけ間を置いた。


「最近、いい感じだったと思ってたんだが」


「……」


「なんか」


「うん」


「真田に嫌われたかもしれん」


「……」


 彩音は、ほんの一瞬だけ止まった。


(また来た)


(来た来た来た)


(今度は恒一の方から)


 ひよりが相談に来た。


 巴が巻き込まれた。


 恒一は何かを勘違いしている。


 そして今、恒一自身が「嫌われたかもしれない」と言いに来た。


 材料が、また増えた。


 けれど、彩音はそんな内心を表には出さない。


 少し心配そうな顔を作って、やわらかく聞く。


「……どうしてそう思ったの?」


「道場で、いきなり来た」


「……来たって」


「何度も打たれた」


「……」


 彩音は、少しだけ目を細めた。


「それは……」


「来るね」


「だろ?」


 恒一は真顔でうなずく。


「面とか小手とか、普通に痛かった」


「……うん」


(そこは、たぶん違う)


 彩音は、心の中でだけつぶやいた。


 口には出さない。


「で?」


「うん?」


「何か言った?」


「……」


 恒一は少し考える。


「白石の話をした」


「……」


「あと、真田を応援した」


「……」


 聞いた瞬間、彩音は少しだけ視線を逸らした。


(最悪の組み合わせ)


 でも、顔は崩さない。


 基樹の方から、ものすごく嫌な予感がする沈黙が流れてくる。


「……具体的には?」


 彩音が聞く。


「白石が真田のことを好きなんじゃないかって話」


「……うん」


「真田はちゃんとしてるし、後輩の面倒見もいいし」


「……うん」


「白石がそう思っててもおかしくないと思った」


「……」


「それで、真剣なら応援した方がいいのかと思って」


「……」


「応援してるぞって言った」


「……」


 彩音は、ゆっくりと息を吸った。


 笑ってはいけない。


 ここで笑ったら、たぶん基樹に怒られる。


「それと」


「まだあるの?」


「白石が彩音に相談しに行ったって話もした」


「……」


 彩音の目が、少しだけ動く。


「私に?」


「ああ」


「……なんて?」


「俺が、困ったら彩音に相談してもいいって言ったから」


「……」


「彩音は信用できるし、頼りになるし、人の気持ちもよく分かるだろ」


「……そう」


「白石のことも、ちゃんと心配してくれると思って」


「それを、巴の前で言ったの?」


「ああ」


 恒一は、何の迷いもなくうなずいた。


「彩音のことを褒めたら、そのあとすごい打たれた」


「……」


 彩音は、表面上は静かにうなずいた。


 けれど、内心では少しだけ引っかかった。


(なるほど)


(そこも打たれた原因か)


 恒一が自分を信用してくれているのは、少し嬉しい。


 けれど、それを巴の前でまっすぐ言ったのなら。


 しかも、ひよりの相談や、巴への誤解と一緒に並べたのなら。


(それは、巴も来るね)


 彩音は、心の中でだけ小さく納得した。


(ここは、ちょっと注意した方がいいかも)


 もちろん、そんな顔はしない。


「それで真田が怒った気がする」


「……うん」


「なんでだと思う?」


「……」


 彩音は、少しだけ考えるふりをした。


 本当は、だいたい分かっている。


 巴が何に引っかかったのか。


 恒一の何がまずかったのか。


 彩音の名前が出たことで、余計にどうなったのか。


 かなり分かる。


 でも、それをそのまま言うかどうかは、別だった。


「多分」


 彩音は、やさしい声で言った。


「巴は、ちょっと混乱してるんだと思う」


「混乱?」


「うん」


「真田が?」


「うん」


 恒一は真剣に聞いている。


「巴って、ちゃんとしてるでしょ?」


「してるな」


「だから、自分の知らないところで、後輩の気持ちとか、応援とか、相談とか、いろいろ進んでいくと」


「うん」


「たぶん、どう受け止めていいか分からなくなると思う」


「……なるほど」


 恒一は真剣にうなずいた。


「だから」


 彩音は続ける。


「今は、少し様子を見た方がいいかも」


「様子を見る」


「うん」


「すぐにまた説明しに行くより、ちょっと落ち着くのを待つ感じ」


「……」


 恒一は少し考える。


「わかった」


「うん」


「しばらく距離を取る」


「……」


 彩音が一瞬止まる。


 基樹も止まる。


「距離を取る?」


「ああ」


 恒一は真面目な顔で言う。


「落ち着くまで、あまり近づかない方がいいんだろ」


「……まあ」


 彩音は、少しだけ間を置いた。


「無理に踏み込まない、くらいかな」


「分かった。距離を取る」


「……」


(微妙に変換された)


 彩音はそう思った。


 けれど、止めない。


 その時。


「……おい」


 基樹が口を挟んだ。


「絶対違うだろ、今の!」


「なにが?」


 彩音は平然と返す。


「距離置いたら余計悪化するだろ!」


「無理に踏み込まないって言っただけだよ」


「恒一は今、距離を取るって受け取ったぞ!」


「受け取り方の問題かな」


「お前、絶対わかってて流しただろ!」


「流してないよ?」


 彩音は、にこっと笑う。


「ちゃんと考えてるよ」


「どう転ぶかを、だろ」


「うん」


「それを面白がってるって言うんだよ!」


 基樹が即座にツッコんだ。


「ていうか恒一」


「なんだ?」


 恒一が振り向く。


「距離を取るな」


「なんでだ?」


「なんでだじゃねえよ!」


 基樹は頭を抱えた。


「巴が怒ったのは、距離が近いからじゃなくて、お前の話が全部ズレてるからだろ!」


「ズレてる?」


「ズレてる!」


「どの辺が?」


「全部だよ!」


 基樹の声が教室に響く。


 恒一は、真剣に考えている。


 だが、答えにはたどり着いていない顔だった。


「でも」


「でも?」


「彩音の言ってることは、正しいと思う」


「……は?」


「真田はちゃんとしてるし、急に踏み込むのはよくない」


「……」


「距離は大事だし」


「……」


「彩音は、ちゃんと考えてくれてる」


 基樹が固まった。


 彩音は、少しだけ楽しそうに目を細める。


「恒一」


「なんだ?」


「そういうところは、すごくいいと思うよ」


「そうか」


「褒めてねえ!」


 基樹が叫んだ。


「いや、今のは褒めてたよ」


「お前が言うな!」


 彩音はくすっと笑う。


 一方、恒一は真面目な顔でうなずいていた。


「とにかく、少し様子を見る」


「違う! 様子を見るのと距離を取るのは違う!」


「でも、近づきすぎない方がいいんだろ」


「だからそれを極端にするなって言ってんだよ!」


「難しいな」


「難しくしてるのはお前だよ!」


 基樹は、もう一度頭を抱えた。


■帰り道


 少し後。


 恒一は一人で帰り道を歩いていた。


「……距離か」


 小さくつぶやく。


 彩音は、少し様子を見た方がいいと言った。


 基樹は、距離を取るなと言った。


 どちらも、自分のことを考えてくれている。


 だからこそ、難しい。


「……どのくらいだ」


 恒一は真剣に考えた。


 一メートルか。


 五メートルか。


 十メートルか。


 道場で組む時の距離とは、たぶん違う。


 教室で話す時の距離とも違う。


 近づきすぎない。


 でも、離れすぎない。


 様子を見る。


 でも、放っておかない。


「……難しいな」


 まったく分からない。


 巴に嫌われたかもしれない。


 そう思うと、胸の奥が少し重い。


 けれど、彩音は優しく相談に乗ってくれた。


 基樹も、あれだけ強く止めてくれた。


 二人とも、自分のことを考えてくれている。


「……彩音はやっぱり優しいな」


 小さくつぶやく。


 それは、それとして。


 基樹があれだけ止めるなら、何かまずいのかもしれない。


「……明日、普通に挨拶するか」


 恒一は、そう結論づけた。


 正しいのかは分からない。


 でも、何もしないよりはいい気がした。


 ズレは、少しずつ広がっていた。


 そして恒一は、まだそれに気づいていなかった。

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