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恋愛台帳、時代ズレにつき修正不能  作者: サザルト
すれ違い編

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第79話 なんか違うけど、とりあえず痛かった話

■真田家道場


 放課後。


 真田家の道場に、木の床を踏む音が響いていた。


 乾いた足音。


 竹刀がぶつかる音。


 短く吐く息。


「……」


 巴は、竹刀を構えていた。


 少しだけ、呼吸が荒い。


 今日は妙に集中しきれない。


 原因は分かっている。


 学校で聞いた、妙な話のせいだ。


『白石さんが、巴のこと好きなんじゃないかって』


『恒一がそう思ってるらしいよ』


「……」


 知らない。


 そんな話は知らない。


 ひよりが誰を好きなのかも。


 恒一が何をどう受け取ったのかも。


 自分には関係ない。


 そう思う。


 思うのに。


 少しだけ、気になる。


(……なんで、私)


 巴は、小さく息を吐いた。


 その時。


「真田」


 声に顔を上げる。


 道場の入口に、恒一が立っていた。


「……なに?」


「組むか」


 いつも通りの顔。


 いつも通りの声。


 その普通さが、少しだけ腹立たしい。


「……いいけど」


 巴は短く返した。


 二人は向かい合う。


 互いに構える。


 道場の中に、静かな間が落ちた。


「……そういえば」


 構えたまま、恒一が口を開く。


「白石の件なんだけど」


「……」


 巴の竹刀が、ほんの少しだけ止まった。


「なに」


「真田は、どう思う?」


「……なにが?」


「いや」


 恒一は、真面目な顔で言った。


「白石の好きな相手が、お前だって話」


「……は?」


 巴の動きが止まる。


 完全に止まる。


「……違う」


「そうか?」


「違う」


「でも」


「でもじゃない」


 巴の声が少し低くなった。


 けれど、恒一はまだ気づかない。


「真田は後輩の面倒見いいし」


「……」


「ちゃんとしてるし」


「……」


「白石も、そういうところを見てるんじゃないかと思って」


「……」


 巴は、じっと恒一を見た。


「朝比奈」


「ん?」


「本気で、そう思ってるの?」


「ああ」


 恒一は、迷わずうなずいた。


「俺はいつも本気だ」


「……」


 その返事が、余計に腹立たしかった。


 冗談なら、まだよかった。


 からかっているなら、まだ怒りようもあった。


 でも、恒一は本気で言っている。


 本気で、ひよりが巴を好きだと思っている。


 本気で、巴がちゃんとしているからそう見られているのだと思っている。


(なんでそうなる)


 巴は、奥歯を軽く噛んだ。


「それで」


「まだあるの」


「白石、彩音にも相談しに行ったらしい」


「……彩音に?」


「ああ」


 恒一は、また真面目にうなずく。


「俺が言ったんだ」


「……何を」


「困ったら彩音に相談してもいいって」


「……」


「彩音は信用できるし、頼りになるし」


「……」


「人の気持ちもよく分かるだろ」


「……」


「白石のことも、ちゃんと心配して相談に乗ってくれると思って」


 巴の手に、少しだけ力が入った。


 彩音。


 信用できる。


 頼りになる。


 人の気持ちがよく分かる。


 間違ってはいない。


 まったく間違っていないわけではない。


 ただ、あの彩音にこの状況を預けるのは、限りなく危ない。


 しかも、恒一はその危うさを一切分かっていない。


「朝比奈」


「ん?」


「それも本気で言ってるの?」


「もちろん」


 恒一は即答した。


「彩音を信用しない理由がないだろ」


「……」


「基樹もそうだけど、彩音は大切な幼馴染だし」


「……」


「白石のことも、ちゃんと考えてくれるはずだ」


「……」


 巴は黙った。


 頭の中で、何かが静かにずれていく。


 ひよりがどう思っているか。


 自分がどう見られているか。


 彩音が何を面白がっているか。


 恒一が何をどう信じているか。


 全部、少しずつ違う。


 違うのに、恒一だけが真面目な顔で納得している。


「あと」


「まだあるの」


「真剣なら、応援してやった方がいいのかなって」


「……」


 巴の手に、さらに力が入った。


「白石も大変だったみたいだし」


「……」


「真田が相手なら、ちゃんと考えてくれるだろ」


「……」


「応援してるぞ」


 その瞬間。


 巴が踏み込んだ。


 速い。


 迷いがない。


 バシンッ!


「……っ!」


 恒一の面に、竹刀が入った。


 防具越しでも、しっかり痛い。


「……おい」


 恒一が少しよろめく。


「今の」


「……」


 巴は答えない。


 構え直す。


「真田?」


「構えて」


「いや、今の話――」


「構えて」


 短い声だった。


 恒一は、言われるままに竹刀を構える。


 次の瞬間、巴がまた踏み込んだ。


 速い。


 重い。


 そして、容赦がない。


「ちょっ……!」


 打ち込みが来る。


 面。


 小手。


 胴。


 受けるだけで精一杯だった。


 巴の動きは乱れていない。


 怒っているようで、剣筋はまっすぐだった。


 だから余計に受けにくい。


「真田、待っ――」


 言い終わる前に、さらに一本。


 竹刀が鋭く入る。


「……っ!」


 恒一の体勢が崩れた。


 巴はそこで動きを止めた。


 しばらく、道場に沈黙が落ちる。


「……」


 巴は竹刀を下ろした。


「……」


 何も言わない。


 面を外し、そのまま背を向ける。


「終わり」


 それだけ言って、道場の端へ歩いていく。


「……おい」


 恒一が声をかける。


 巴は振り向かない。


「真田」


「……」


「なんだ今の」


「……」


 返事はない。


 足音だけが遠ざかる。


 少しして、恒一はその場に座り込んだ。


「……」


 防具越しに、面を押さえる。


 痛い。


 普通に痛い。


「……怒ってたか?」


 誰も答えない。


 恒一は、少しだけ息を吐いた。


「……わからん」


 頭を軽くかく。


 自分は、真面目に話したつもりだった。


 ひよりのことも。


 巴のことも。


 彩音のことも。


 どうすればいいのか考えたつもりだった。


 なのに、結果はこれだった。


「……なんかまずかったか」


 小さくつぶやく。


 答えは出ない。


 ただ、面の奥がまだ少し痛い。


 なんか違う。


 それは分かる。


 でも、何が違うのかは分からない。


 恒一は竹刀を持ち直した。


 ズレと痛みは、そのままだった。

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