手渡しのラブレター
放課後のグラウンドの端。
俺は立っていた。
(……やるしかない)
ポケットの中の便箋。
たった一行。
でも、今の俺にはそれで十分だった。
「真田」
声をかける。
巴が振り向く。
「……あれ」
一瞬だけ、考える顔。
「この前の」
名前は、まだ出てこない。
(やっぱりか)
でも、ここからだ。
「これ」
紙を差し出す。
「なに?」
「読んで」
巴は不思議そうに受け取る。
そのまま、その場で開く。
視線が落ちる。
数秒の沈黙。
「……え?」
顔を上げる。
「これだけ?」
「うん」
そこに書かれていたのは――
「朝比奈恒一です」の一文のみ。
「……なにこれ」
素直な反応。
でも、俺は、ちゃんと答えた。
「名前、覚えてほしくて」
巴の目が、もう一度紙に落ちる。
「朝比奈……」
小さく、読み上げる。
「……恒一」
その瞬間。
確かに、何かが変わった。
顔を上げる。
今度は、迷いがない。
名前で呼ばれる。
初めて、ちゃんと。
(……きた)
「そういうことか」
巴が少しだけ笑う。
「なるほどね」
「普通、もっと書くでしょ」
「書こうとは思った」
「思っただけ?」
「やめた」
「なんで」
まっすぐな問い。
俺は少しだけ考えてから、
「それより先に、これだと思った」
そう言った。
巴は少しだけ黙る。
それから。
「……変なやつだね」
くすっと笑う。
でも。
その顔は、前より柔らかかった。
「でもさ」
紙を軽く叩く。
「ちゃんと来たし」
「……」
「コソコソしてないし」
評価されている、はっきりと。
「だから」
巴は紙を丁寧に折る。
そして、ポケットにしまった。
「受け取っとく、ありがとう手紙」
その仕草が、やけに嬉しい。
「ありがと」
「なにが?」
「名前、呼んでくれたから」
巴は少しだけ驚いた顔をして、
「そりゃ読むでしょ」
と笑った。
「朝比奈」
もう一度、呼ぶ。
今度は自然に。
「またグラウンド来なよ」
その一言で。
(……よし)
確実に、一歩、進んだ。




