第77話 ちゃんと伝えたのに、全然違う意味で受け取られた話
■グラウンド
放課後。
グラウンドには、走る音と掛け声が響いていた。
陸上部の練習が始まっている。
その中に、朝比奈恒一がいた。
「……」
白石ひよりは、少し離れた場所で足を止める。
(……いた)
胸の奥が、ぎゅっと縮む。
昨日のことは、佐々木先輩に話した。
妹が勝手にやったこと。
自分の好きな人は佐々木先輩ではないこと。
全部ではないけれど、必要なことは伝えた。
家に帰ってから、ひなたとも話した。
ひなたは何度も謝ってくれた。
だから、ひとつは終わった。
けれど。
まだ、本当に伝えなければいけない相手がいる。
(言うだけ)
ひよりは、小さく息を吸う。
(ちゃんと、言うだけ)
一歩、近づく。
「……朝比奈先輩」
「ん?」
恒一が振り向いた。
「白石か。どうした」
いつも通りの声。
いつも通りの顔。
それだけで、ひよりの言葉が一瞬止まる。
「……」
(さっきは言えたのに)
佐々木先輩には言えた。
謝れた。
説明できた。
でも、朝比奈先輩の前に立つと、喉の奥が固くなる。
「……ちょっといいですか?」
「いいけど」
恒一は軽くうなずいた。
「こっちでいいか?」
「……はい」
二人は、グラウンドの端へ移動した。
走る音と掛け声が、少し遠くなる。
■グラウンド端
「で?」
恒一が言う。
「……昨日のことなんですけど」
「ああ」
恒一はすぐにうなずいた。
「公開告白のやつか」
「……はい」
「大変だったな」
「……え?」
ひよりは顔を上げる。
恒一は、真面目な顔をしていた。
「ほら、佐々木先輩にだろ」
「……違います」
「ん?」
「私じゃ、ないです」
ひよりは、ぎゅっと手を握る。
「あれは、私じゃありません」
「……」
恒一が少しだけ考える。
「……ああ」
「……妹なんです」
「妹?」
「はい」
ひよりはうなずいた。
「私が休んでいる間に、勝手に制服を着て、学校に来て……」
「……そうだったのか」
恒一は少しだけ考えた。
「妹さんが、佐々木先輩を好きだったんだな」
「……違います」
ひよりは、思わず顔を上げた。
「そうじゃなくて」
「ん?」
「妹は、私のために……」
そこまで言って、言葉が止まる。
私のために。
その先を言おうとすると、自分の好きな人の話になる。
朝比奈先輩の話になる。
「……」
ひよりは、胸の前で手を握った。
「とにかく、妹が勝手にしたことなんです」
「そうか」
恒一は素直にうなずいた。
「気づかなかった」
「……すみません」
「なんで白石が謝るんだ?」
「妹がしたことなので」
「でも、白石が頼んだわけじゃないんだろ?」
「……はい」
「なら、白石だけが悪いわけじゃないだろ」
「……」
その言葉に、ひよりは少しだけ目を伏せた。
優しい。
こういうところが、困る。
優しいのに、たぶん何も分かっていない。
「でも、ちゃんと話せたのか?」
「……はい」
「佐々木先輩に?」
「はい」
ひよりは小さくうなずく。
「妹が勝手にしたことだって、説明しました」
「そっか」
「佐々木先輩が、断ったことにしておくって言ってくれて」
「そうか」
恒一は軽くうなずいた。
「いい先輩だな」
「……はい」
「ちゃんとしてる」
「……」
ひよりは、一瞬だけ黙った。
(そこなんだ)
間違ってはいない。
佐々木先輩は、ちゃんとしていた。
最後まで責めずに話を聞いてくれた。
でも、ひよりが今伝えたいのは、そこではない。
「あの」
ひよりは、もう一度口を開く。
「ん?」
「……好きな人は」
声が少し震える。
それでも、止まらないように続ける。
「佐々木先輩じゃ、ありません」
「知ってる」
「……え?」
ひよりは思わず顔を上げた。
「陸上部のやつだろ」
「……」
言葉が止まる。
そこまでは、合っている。
合っているのに、怖い。
次の一言で、全部が変わる気がした。
「それで」
恒一は、少し考えてから言った。
「真田のことか?」
「……え?」
頭が追いつかなかった。
「真田」
「……真田先輩?」
「ああ」
恒一は真面目にうなずく。
「同じ陸上部だし」
「……」
「真田、ちゃんとしてるだろ」
「……」
「後輩のこともよく見てるし」
「……」
「白石がそういうふうに思うのも、分かる」
ひよりは、何も言えなかった。
(……違う)
(なんでそうなるの)
確かに、巴はちゃんとしている。
まっすぐで、強くて、後輩にも厳しいけれど優しい。
けれど、違う。
そうではない。
ひよりが言っているのは、巴ではない。
目の前にいる人のことだ。
「……違います」
小さく言ったつもりだった。
けれど、声があまりにも小さすぎて、恒一には届かなかったのかもしれない。
「まあ」
恒一は続ける。
「ライバルは多いかもしれないな」
「……え?」
「真田のこと気にしてるやつ、多いし」
「……」
「でも、真剣ならちゃんと伝えた方がいいと思う」
「……」
「今回みたいに、誰かに任せると変なことになるし」
「……」
「自分で言った方がいい」
全部、正しい。
正しいことを言っている。
でも、全部違う。
(違う)
(そうじゃない)
ひよりは、胸の前で手を握る。
ここで言えばいい。
違います。
朝比奈先輩です。
目の前のあなたです。
そう言えばいい。
でも。
「……」
声が出ない。
出そうとしても、喉の奥で止まる。
「あと」
「……はい」
「妹さんのことも、俺も気にかけておく」
「……え?」
ひよりは、思わず顔を上げた。
「また学校に来ることがあるかもしれないだろ」
「……」
「佐々木先輩のことが本気なら、何かあるかもしれないし」
「……違います」
「ん?」
「だから、妹は……」
そこで、また止まる。
違う。
妹が佐々木先輩を好きなわけではない。
妹は、自分のために動いただけ。
でも、それを説明しようとすると、また自分の好きな人の話になる。
目の前の朝比奈先輩の話になる。
「……」
ひよりは、何も言えなくなった。
恒一は、真面目な顔でうなずく。
「無理に言わなくていい」
「……」
「事情があるなら、言える時でいい」
「……はい」
「でも、困ったら言ってくれ」
優しい。
すごく優しい。
だから余計に、苦しくなる。
「まあ、頑張れ」
「……はい」
ひよりは、小さく答えてしまった。
違うのに。
頑張る方向も、相手も、全部違うのに。
「それだけか?」
「……はい」
「じゃあ戻るな」
恒一はそう言って、グラウンドへ戻っていく。
背中が遠ざかる。
「……」
ひよりは、その場に残った。
(……全部違う)
小さく思う。
ちゃんと話した。
妹のことも言った。
佐々木先輩ではないことも言った。
陸上部の人だとも言った。
なのに。
全然違う意味で受け取られた。
しかも、妹まで変な方向で気にかけられることになった。
「……」
ひよりは、少しだけ息を吐く。
(でも)
胸の奥は、まだ苦しい。
それでも、何も言えなかった時よりは、少しだけ違う。
(……言ったから)
少なくとも、佐々木先輩ではないことは伝えた。
妹のことも伝えた。
だから、今日はそれだけでいい。
そう思わないと、その場に立っていられなかった。
風が吹く。
距離は、まだ遠かった。
■グラウンド脇
その少し離れた場所で。
一ノ瀬彩音は、腕を組んでいた。
「……」
一部始終を見ていた。
声までは、全部聞こえていない。
けれど、ひよりの表情と、恒一の反応だけでだいたい分かる。
うまくいかなかった。
しかも、たぶん。
かなり変な方向に曲がった。
「……いいね」
ほんの一瞬、口元がゆるむ。
「面白くなってきた」
小さくつぶやいて、彩音はくるりと背を向ける。
足取りは、軽かった。




