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恋愛台帳、時代ズレにつき修正不能  作者: サザルト
すれ違い編

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第76話 ちゃんと話したら、ちゃんと終わった話

 ■一年教室


 昼休み。


 教室の中は、まだ少しざわついていた。


「昨日のやつ、ほんとだったんだ」


「三年の佐々木先輩にでしょ?」


「“こういちさん、好きです!”って」


「返事待ちって聞いたけど」


 声が、あちこちから聞こえてくる。


「……」


 ひよりは、自分の席で動けずにいた。


 朝から、ずっとそうだった。


 登校中から視線を感じた。


 教室に入ってからは、はっきりと話題の中心になった。


 そして、仲のいいクラスメイトから聞かされた。


 昨日、グラウンドで告白したのは、ひより本人ではなく、妹のひなたかもしれないこと。


 相手が、三年の佐々木先輩だったこと。


 みんなは、それをひより本人の行動だと思っていること。


「……」


(なに、それ)


(なに言ってるの)


 まだ、頭が追いつかない。


 けれど、ひとつだけ分かっている。


 このままにしてはいけない。


『今日さ、いいことあるよ』


『行けばわかる』


 朝のひなたの声が、頭の中で響く。


「……」


(ひなた)


 小さく息を吐く。


 悪気があったわけではない。


 たぶん、本気で助けようとしてくれた。


 でも。


 違う。


 完全に違う。


「……ごめん」


 ひよりは小さく言って、席を立った。


「ひより?」


「どこ行くの?」


「ちょっと……」


 それだけ言って、教室を出る。


■廊下


 廊下に出た瞬間、また視線が集まった。


「あれ」


「昨日の子?」


「一年の白石さんだよね」


「佐々木先輩の……」


 小さな声が、耳に入る。


「……」


(無理)


(めちゃくちゃ見られてる)


 足が止まりそうになる。


 けれど、止まったらだめだ。


 自分のことになっている。


 自分がやったことになっている。


 それを、ちゃんと話さなければいけない。


(やるしかない)


 ひよりは、歩き続けた。


■三年棟


 三年棟の廊下は、一年の教室前とは空気が違っていた。


 そこに一年生が来るだけでも目立つ。


 まして、昨日の公開告白の噂の本人だと思われている。


「……あれ」


「昨日の子じゃない?」


「似てる」


「佐々木に用?」


 視線が集まる。


 ひよりは、胸の前で手を握った。


 逃げたい。


 今すぐ戻りたい。


 けれど、戻ったら何も終わらない。


「あの」


 近くにいた三年生に声をかける。


「すみません」


「え?」


「陸上部の佐々木先輩、呼んでもらえますか」


 一瞬、空気が止まった。


 頼まれた三年生は、少し驚いた顔をしてから、教室の中を振り返る。


「佐々木」


「ん?」


「一年の子が呼んでる」


 少しして、佐々木が出てきた。


 廊下に出た瞬間、ひよりと目が合う。


「……」


「……」


 佐々木の表情が、わずかに変わった。


 昨日の少女と、よく似ている。


 だが、同じではない。


 その違和感を、佐々木も感じ取ったらしい。


「……場所、変えていいか?」


「……はい」


 ひよりは小さくうなずいた。


■階段


 人の少ない階段の踊り場。


 さっきまでのざわつきが、少し遠くなる。


 ひよりは、両手を握ったまま立っていた。


 佐々木は、少し距離を置いて向かいに立つ。


「……昨日の件なんですけど」


 ひよりが口を開いた。


 声が少し震えている。


「妹が、勝手にやりました」


「……」


「すみません」


 深く頭を下げる。


 少しの沈黙。


 佐々木は、すぐには答えなかった。


 ひよりは、頭を下げたまま動けない。


 怖い。


 怒られるかもしれない。


 迷惑だったと言われるかもしれない。


 からかったのかと責められるかもしれない。


 それでも、言わなければならなかった。


「……つまり」


 佐々木が静かに口を開く。


「俺のことを、からかったわけじゃないんだな」


「違います」


 ひよりは思わず顔を上げた。


「そんなつもりじゃ……」


 そこで、言葉が詰まる。


 自分がやったことではない。


 けれど、自分の妹がやったことだ。


 無関係だとは言えない。


「……本当に、すみません」


 もう一度、頭を下げる。


 佐々木は、ひよりを見ていた。


 それから、小さく息を吐く。


「……そうか」


 短く、うなずいた。


「大体分かった」


「……」


「顔も、少し違和感あったしな」


 ひよりは、少しだけ力が抜けた。


 佐々木は怒鳴らなかった。


 責めなかった。


 ただ、状況を整理するように言葉を選んでいる。


「じゃあ」


 佐々木が言う。


「この話は、俺が断ったことにしておく」


「……え?」


「その方が収まりがいいだろ」


「……」


「昨日は、あれだけ人がいた。何もなかったことにはできない」


 佐々木は、淡々と続ける。


「だから、告白はあった。俺が返事をした。それで終わりにする」


「……でも」


「部としても、その方がいい」


 ひよりは、言葉が出なかった。


(それでいいの?)


 一瞬、そう思う。


 佐々木先輩は、何も悪くない。


 勝手に告白されて。


 勝手に騒がれて。


 そのうえ、最後の処理まで引き受けようとしている。


「……すみません」


 それしか言えなかった。


「ただ」


 佐々木が、少しだけ声を強くする。


「次は、ちゃんと本人が来い」


「……はい」


 ひよりは小さくうなずいた。


「妹に任せるな」


「……はい」


「それと」


「……はい」


「誰かの名前だけで動くと、こういうことになる」


「……はい」


 ひよりは、もう一度うなずいた。


 そのまま終わる。


 そう思った。


 けれど。


「……あの」


 ひよりは、足を止めた。


 佐々木が振り返る。


「まだ何かあるか?」


「……」


 一瞬、迷う。


 言わなくてもいいかもしれない。


 でも、言わないままだと、また違う形で残ってしまう気がした。


「……好きな人は」


 ひよりは、声を絞り出した。


「佐々木先輩じゃ、ありません」


「……」


 佐々木は黙って聞いている。


「……陸上部の人です」


 静かに言う。


 それ以上は、言えなかった。


 名前までは出せない。


 けれど、佐々木はすぐに理解したらしい。


「……ああ」


 小さくうなずく。


「なるほどな」


 それだけだった。


 深く聞かない。


 誰かと確認しない。


 ただ、理解したという顔をした。


「その件は、俺からは何も言わない」


「……ありがとうございます」


「でも、いずれ本人には自分で言え」


「……」


「妹じゃなくてな」


「……はい」


 ひよりは、小さく答えた。


「じゃあな」


 佐々木は背を向ける。


 足音が遠ざかる。


 ひよりは、その場に残った。


「……」


(それでよかったのかな)


 小さく思う。


 答えは出ない。


 でも、少なくとも佐々木先輩への誤解は解けた。


 ひなたがやったことも、説明できた。


 ひとつは、終わった。


 ただ。


 胸の奥には、まだ別の重さが残っている。


■白石家・ひよりの部屋


 家に帰ってから、ひよりはひなたを部屋に呼んだ。


 ひなたは最初、少しだけ得意そうな顔をしていた。


 けれど、ひよりが学校で何が起きていたのかを話すと、その顔はだんだん小さくなっていった。


 佐々木先輩に告白したことになっていること。


 教室でも、廊下でも、その話をされたこと。


 佐々木先輩に直接謝りに行ったこと。


 そして、自分が好きなのは佐々木先輩ではないこと。


 そこまで聞いて、ひなたはようやく、自分がしたことの大きさに気づいたらしかった。


「……ごめんね」


 ひなたが、小さく言う。


「お姉ちゃん、ずっと困ってたから」


「……うん」


「私が言えば、うまくいくと思って」


「……うん」


 ひよりは、机の上に置かれた書きかけのメモを見る。


『こういちさんへ』


 その文字は、まだそこにある。


 何も進んでいない。


 むしろ、遠回りしただけかもしれない。


「……本当に、ごめん」


 ひなたが、もう一度謝る。


 ひよりは、すぐには答えられなかった。


 怒っていないわけではない。


 悲しくなかったわけでもない。


 恥ずかしくなかったわけでもない。


 でも、ひなたが自分を傷つけようとしたわけではないことも分かっている。


「……次からは」


 ひよりは、ようやく口を開いた。


「勝手にしないで」


「……うん」


「私のことは、私がちゃんとするから」


「……うん」


 ひなたは小さくうなずいた。


 問題は、一つ終わった。


 けれど、本当の問題はこれからだった。

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