第72話 こういち違いで公開告白された話
■白石家・ひよりの部屋
数日前。
ひよりの部屋。
机の上には、書きかけのメモが置かれていた。
『こういちさんへ』
そこまで書いて。
その先で止まっている。
「……できない」
ひよりは、ペンを置いた。
ため息をつく。
「……やっぱり無理」
小さくつぶやく。
メモの横には、書いては消した跡がいくつもある。
好きです。
ちゃんと伝えたいです。
朝比奈先輩へ。
どれも途中で消されていた。
その数日後。
ひよりは、体調を崩して寝込んでいた。
ベッドの中で、浅く息をしている。
熱があるのか、頬が少し赤い。
机の上には、あの日の書きかけのメモが残っている。
『こういちさんへ』
その文字を、ドアの外から見ていた者がいた。
妹のひなたである。
(お姉ちゃん……)
ひなたは、少しだけ眉を寄せた。
ひよりは、最近ずっと悩んでいた。
机に向かっては止まって。
手紙を書こうとしては消して。
何度もため息をついていた。
そのうえ、今日は熱を出して寝込んでいる。
(このままだと、ずっと言えないままだ)
ひなたが知っていることは少ない。
相手は、蒼ヶ崎高校の人。
陸上部の人。
名前は、こういちさん。
そして、姉がその人を好きだということ。
(しょうがないな)
ひなたは、小さくうなずいた。
(私がなんとかする)
それが正しいかどうかは、考えていない。
ただ、姉が困っている。
動けない姉の代わりに、自分が行く。
妹としては、それで十分だった。
■蒼ヶ崎高校・校門前
数日後。
ひなたは、少し緊張した顔で立っていた。
(ここが……お姉ちゃんの高校)
着ているのは、ひよりの制服。
ひよりが寝込んでいる間に、こっそり借りてきたものだった。
昔から、ひなたは姉によく似ていると言われていた。髪型を寄せて、同じ制服を着れば、初対面の相手ならまず見分けがつかない。
姉のことをよく知っている相手でも、少し離れて見れば一瞬迷う。
(バレないよね)
けれど、胸の奥はずっと落ち着かない。
姉は動けない。
なら、自分が行くしかない。
ひなたは、一歩踏み出した。
校門の近くにいた生徒に、元気よく声をかける。
「すみません」
「ん?」
「陸上部ってどこですか?」
「ああ、グラウンドだよ。あっち」
「ありがとうございます!」
ひなたは元気よく頭を下げて、指さされた方へ歩き出す。
(こういちさん、か)
思い出す。
姉が書きかけていた名前。
何度も消されていた言葉。
(お姉ちゃんの好きな人)
少しだけ、表情が柔らかくなる。
(どんな人なんだろ)
■グラウンド
グラウンドには、走る音と掛け声が響いていた。
ひなたは、端の方で少し足を止める。
当然、知らない人ばかり。
知らない場所。
でも、ここで引くわけにはいかない。
近くにいた三年生に声をかける。
「すみません」
「はい?」
「こういちさん、呼んでもらえますか?」
「こういち?」
「はい!」
三年生は、少し考えた。
陸上部で、こういち。
そして、近くにいる上級生。
「佐々木ー!」
「なんだ!」
返事と同時に、佐々木が駆けてくる。
「どうした?」
佐々木は、ひなたを見る。
知らない女子生徒。
見覚えがあるような、ないような顔。
「……」
ひなたは、佐々木を見上げた。
(この人が……)
緊張が、一気に上がる。
(お姉ちゃんの)
背が高い。
部活の人たちに呼ばれて、すぐ来た。
たぶん、しっかりした人なのだろう。
ひなたの中で、勝手に評価が上がる。
(ここで引いたらダメ)
一歩、前に出た。
「……あの」
周囲の音が、少しだけ遠くなる。
「こういちさん」
「はい?」
佐々木が返事をする。
その瞬間。
ひなたは、まっすぐ頭を下げた。
「好きです!」
――静止。
グラウンドの音が、止まった。
「……え?」
佐々木が固まる。
周囲も固まる。
「え?」
「今の……」
「告白?」
「佐々木に?」
ざわつきが、ゆっくり広がっていく。
一方で、少し離れた場所にいた恒一は。
「……」
少しだけ考えた。
(またか)
小さくうなずく。
(こういう流れ、最近多いな)
納得している。
自分が呼ばれた可能性には、まだ気づいていない。
一方の彩音は、完全に反応していた。
(やば)
(当たり引いた)
口元が上がる。
基樹は、その横で嫌な予感しかしない顔をしていた。
「……また変なの始まったぞ」
「始まったね」
「楽しそうに言うな」
「いや、これはさすがに面白いでしょ」
「お前は黙ってろ」
小声のやり取りの間にも、ひなたはまっすぐ立っていた。
「……返事、もらえますか?」
真剣な顔だった。
佐々木は、完全に混乱している。
それでも、一度周囲を見る。
後輩たちが見ている。
部員たちが見ている。
知らない女子生徒が、自分に向かって真剣に告白している。
ここで雑に扱うわけにはいかない。
佐々木は、小さく息を吐いた。
「……少し時間をくれ」
場が、一瞬止まる。
ひなたは、ぱっと顔を上げた。
「はい!」
満足そうに頭を下げる。
「待ってます!」
そう言って、ひなたはきちんと礼をした。
グラウンドは、完全にざわついていた。
■二年A組教室
翌日。
教室は、その話題で持ちきりだった。
「聞いた?」
「昨日のやつ?」
「公開告白」
「しかも三年に」
「佐々木先輩でしょ?」
「やばくない?」
あちこちで声が上がる。
一方の恒一は、自分の席で少しだけ考えていた。
「……」
(最近、平和じゃないな)
本当に少しだけ、そう思った。
隣で基樹が頭を抱えている。
「お前、本当に何も思わないのか」
「何が?」
「今の話」
「佐々木先輩も大変だなって」
「……まあ、大変なのは間違いないけどな」
基樹は疲れた顔で言う。
彩音は、その横で小さく笑っていた。
(最高)
完全に楽しんでいる。
■白石家・ひよりの部屋
一方のひよりは。
その日も、ベッドの上で寝込んでいた。
体調はまだ戻っていない。
学校で何が起きたのかも知らない。
「……ん」
寝返りを打つ。
机の上には、書きかけのメモが残っていた。
『こういちさんへ』
その文字だけが、静かに残っている。
ひよりは目を覚まさない。
自分の知らないところで、自分の名前に近い顔をした妹が、大きな騒ぎを起こしていることも。
まだ、何も知らなかった。
■グラウンド
その日の放課後。
グラウンド。
佐々木は、練習メニューの確認をしながら、ふと思い出していた。
「……」
昨日のこと。
あの女子生徒の顔。
真剣な目。
そして、どこかで見たような雰囲気。
(……昨日、白石は休みじゃなかったか?)
小さく眉をひそめる。
陸上部の一年。
白石ひより。
彼女は昨日は体調不良で休んでいたはずだ。
だが、昨日の女子生徒は、どこか似ていた。似ているが、本人とは少し違う気もする。
「……」
佐々木は、少し考える。
結論は出ない。
「……あとで確認するか」
小さくつぶやく。
風が吹く。
グラウンドのざわつきは、まだ完全には消えていない。
問題は、まだ終わっていなかった。




