第59話 ひよりの悩み
■一年教室の隅。
昼休み。
ひよりは、少しだけ困った顔をしていた。
「……どうしたの?」
友人が声をかける。
「えっと……」
少し迷ってから。
「相談、いいですか?」
数分後。
「……なるほど」
「それはまた……」
友人たちが顔を見合わせる。
「つまり?」
「朝比奈先輩って」
ひよりは、少し言いにくそうに続けた。
「年上の人、好きなんですよね?」
「……たぶん」
ひよりが小さくうなずく。
「しかも」
さらに言いにくそうに、声を落とす。
「ちょっと……」
「ちょっと?」
「叱られるのが、好きっていうか……」
「……あー」
友人たちは、なんとなく理解したような顔になった。
ひよりは真剣だった。
真田道場の門の隙間から見えてしまった光景。
倒されかけた朝比奈先輩。
止めに入った真田さん。
それなのに、次の日の朝比奈先輩は、あれを楽しかったと言っていた。
普通なら、怖かったとか、大変だったとか言うはずなのに。
楽しかった。
そう言った。
「それ、だいぶ特殊じゃない?」
「うん……」
ひよりが小さくうなずく。
「だから……」
少しだけ、指先をそろえる。
「私、どうすればいいのかなって」
真剣だった。
「じゃあさ」
友人の一人が言う。
「年上っぽく振る舞えば?」
「え、でも……」
「ちょっと大人っぽくするとか」
「大人っぽく……」
「あと、少し強めに言ってみるとか」
「強め……?」
「“遅いです”とか」
「“ちゃんとして下さい”とか」
「“それじゃ駄目です”とか」
「……難しいです」
ひよりは、真剣に悩む。
(どうすれば)
(近づけるんだろう)
そのとき。
近くの廊下を歩いていた恒一の耳に、偶然会話が少しだけ入った。
「年上」
「叱られるのが好き」
恒一の足が止まる。
(……)
自然と、意識が向いた。
一年教室の中から、ひよりの声が聞こえる。
「そういう人、好きみたいで」
(……)
一瞬、思考が止まる。
そして。
恒一は、ゆっくりとうなずいた。
(……なるほど)
(完全に把握した)
静かに結論を出す。
(佐々木先輩か)
納得する。
ひよりが言っていた“こういちさん”。
陸上部の佐々木光一先輩。
年上。
先輩。
厳しい。
隙がない。
練習でも手を抜かない。
(たしかに)
佐々木先輩なら、分からなくはない。
年上で、頼れる。
少し厳しい。
そういうタイプが好きだと言われれば、納得できる。
(……そういうタイプか)
少しだけ、驚く。
ひよりは静かで、柔らかい雰囲気だから、もっと優しい感じの人が好きなのかと思っていた。
でも、人の好みは分からない。
(まあ、わからなくはない)
もう一度、うなずく。
完全に理解した顔で。
恒一は、そのまま廊下を歩き出した。
一方の教室内。
ひよりの周りでは、まだ相談が続いていた。
「じゃあ、練習する?」
「え?」
「ほら、言ってみて」
「……えっと」
ひよりは、小さく息を吸う。
「……お、遅いです」
「弱い弱い」
「もう一回」
「ちゃんとして下さい……」
「優しいな」
「怒ってる感じがない」
「難しいです……」
ひよりは、真剣に悩んでいる。
年上っぽく。
少し強めに。
叱るように。
そのどれも、自分には難しかった。
「もっとこう、きりっと」
「きりっと……」
ひよりは目元に力を入れようとする。
けれど、どうしても困った顔になる。
「駄目です」
「うん、優しい」
「全然怖くない」
「……ごめんなさい」
「謝らなくていいから」
友人たちが笑う。
ひよりも、少しだけ恥ずかしそうに目を伏せた。
けれど、諦めたわけではない。
(少しでも)
近づけるなら。
そう思っていた。
教室の中。
それぞれの理解は。
きれいに、すれ違っていた。




