台所の距離
週末、真田道場。
門をくぐると。
「いらっしゃい」
すぐに声がかかる。
真紀子母。
やわらかい笑顔。
けと、もう逃げ場はない。
「朝比奈さん」
「はい」
「お待ちしていました」
丁寧に頭を下げられる。
(やっぱりこの人、強いな)
内心で思う。
「こちらへ」
そのまま案内される。
道場ではなく――
台所。
「今日は、こちらです」
にこやかに言う。
(料理か)
少しだけ、気が楽になる。
「この前のお話」
真紀子母が振り向く。
「とても興味深くて」
「実際に見てみたいと思っていました」
そこからは早かった。
包丁。
火。
手順。
自然と体が動く。
「なるほど」
「そこを先にやるのですね」
「はい」
「理由は?」
問われる。
答える。
会話が、途切れない。
「面白いわね」
ふと、別の声。
振り向く。
小柄な老人。
巴の祖母。
「そういう考え方もあるのね」
「いいのよ、続けて」
三人で、話が広がる。
そこに。
いつの間にか、巴がいる。
壁にもたれて。
静かに見ている。
「これ」
差し出す。
「どうだ?」
巴が受け取る。
一口、味わう。
瞬間。
「……おいしい!」
短くでも。
「ちゃんと考えてる」
もう一言。
(……)
言葉が出ない。
嬉しい。
素直に。
そのとき。
廊下に、すっと現れる影。
父。
無言で腕を組む。
じっと見てる。
調理台。
手元。
距離。
会話。
全部見ている。
そして。
無言で、うなずく。
――と思ったら。
すっと近づいてくる。
「……そこ」
低い声。
「火、強い」
「……え?」
さっと手が伸びる。
火加減を直す。
そのまま。
ちらっと巴を見る。
また恒一を見る。
そして。
うなずく。
去る。
「……今のなに?」
思わずつぶやく。
「父です」
「それは知ってる」
少し離れた場所。
父は柱の陰。
ちらっと覗く。
また隠れる。
また見る。
腕を組む。
うなずく。
また睨む。
(なんか忙しいな)
台所に戻る。
「朝比奈さん」
真紀子母が微笑む。
「本当に、お上手ですね」
「ありがとうございます」
祖母も、うなずく。
「いいわね」
「またやりましょう」
空気は、穏やかで。
あたたかい。
一方、道場の外。
門の前。
ひよりが立っていた。
少しだけ、遠く。
中は見えない。
でも声は、聞こえる。
笑い声。
会話。
(……楽しそう)
小さく、思う。
(母、か)
言葉が、重なる。
(そっちなんだ)
静かに、納得する。
少しだけ。
胸の奥が、落ち着く。
そのまま。
ゆっくりと、背を向ける。
道場の中では。
笑い声が、続いていた。




