第52話 完全に理解した(気がする)
■駅前
夕方の人通りの中で、基樹は足を止めた。
「……いた」
小さくつぶやく。
「どれ?」
隣で彩音が目を細める。
基樹は、人の流れの向こうを指した。
視線の先。
白石ひよりにそっくりな女子がいた。
背格好。
髪型。
横顔。
ぱっと見ただけなら、白石ひよりにしか見えない。
でも。
隣には男がいる。
制服ではない。
私服。
年上っぽく見える。
二人は並んで歩いていた。
距離が近い。
無理に近づいているわけではなく、自然に近い。
話して。
少し笑って。
また前を向く。
その空気は、どう見てもただの知り合いには見えなかった。
「……あれか」
「うん」
「どう見てもデートだね」
「だろ」
基樹は、小さく息を吐く。
やっぱり、自分の見間違いではなかった。
少なくとも、あの距離感は普通ではない。
けれど。
彩音の目は、まだ細いままだった。
「顔は?」
「ひよりにしか見えない」
「でも?」
「……なんか違う気もする」
基樹は曖昧に答える。
自分でも、うまく説明できない。
顔は似ている。
かなり似ている。
でも、雰囲気が違う。
白石ひよりは、もっと静かで、少し遠慮がちな印象がある。
今見えている女子は、隣の男と話す時の表情が、少しだけ違う気がした。
慣れている。
遠慮がない。
それが、基樹の知っている白石ひよりと少し噛み合わない。
その時。
その女子が、ふと振り向いた。
横顔が見える。
彩音が小さく声を出した。
「……あ」
「何だよ」
「違う」
「は?」
「雰囲気」
彩音が一歩だけ前に出る。
「たぶん、別人」
「マジで?」
「確定じゃないけど」
彩音は、まだ視線を外さない。
「可能性は高い」
「どのへんで?」
「顔は似てる。でも、動きと空気が違う」
「動きと空気」
「そう」
彩音は真面目な顔でうなずいた。
「白石ひよりちゃんは、誰かの隣をあんなふうに歩く時、たぶんもう少し距離を取るタイプ」
「……分かるのか、それ」
「分かる」
「なんで」
「女の勘」
「探偵じゃなかったのかよ」
「探偵にも勘は必要」
彩音は少しだけ笑う。
基樹は、もう一度人混みの向こうを見る。
ひよりにそっくりな女子と男は、駅前の通りをそのまま歩いていく。
やがて、人の流れに紛れて見えなくなった。
「双子?」
基樹がつぶやく。
彩音は少し考えた。
「可能性はある」
「いや待て」
基樹は眉をひそめる。
「そんな都合よくあるか?」
「ある時はある」
あっさり返された。
「顔一致、行動不一致」
「何だそれ」
「似てるのに、本人の行動としては違和感がある時のやつ」
「今作っただろ」
「うん」
「うんじゃねえよ」
彩音は満足そうに笑う。
「でも、見立てとしては悪くないでしょ」
「……やっぱり探偵っぽいな」
「でしょ」
「褒めてはない」
「褒め言葉として受け取る」
彩音は軽く肩をすくめた。
ただ、ふざけてはいても、目はまだ真面目だった。
「とにかく」
「うん」
「駅前の子は、白石ひよりちゃん本人じゃない可能性が高い」
「うん」
「ただし、確定ではない」
「だな」
「だから、今言えるのはそこまで」
基樹はうなずく。
少しだけ、胸のつかえが取れた気がした。
昨日から引っかかっていた違和感。
それは、完全な気のせいではなかったのかもしれない。
■グラウンド
翌日。
グラウンド。
「なあ、恒一」
基樹が声をかけた。
「ん?」
恒一が顔を上げる。
練習前のグラウンドは、いつも通りざわついている。
少し離れた場所では、彩音が腕を組んでこちらを見ていた。
口は出さない。
でも、聞く気は満々の顔だった。
「ひよりのことなんだけど」
「白石?」
「ああ」
基樹は少しだけ言葉を選んだ。
「たぶんだけど」
「うん」
「双子の姉妹がいるかもしれない」
「……は?」
恒一が眉をひそめる。
「駅前で見たの、白石じゃないかもって話」
「どういうことだよ」
「そっくりだけど、別人っぽかった」
「別人」
「可能性が高い」
「……」
恒一は、少し考えた。
真剣な顔だった。
そして。
「……何言ってんの?」
「は?」
「疲れてんのか?」
素で言った。
基樹が固まる。
「いやいやいや」
「俺、真面目に言ってるんだけど」
「俺も真面目に言ってる」
「……大丈夫か?」
本気で心配する目だった。
「休んだ方がいいぞ」
「お前がな!」
基樹は思わずツッコんだ。
少し離れた場所。
彩音は腕を組んだまま見ている。
口は出さない。
(……いいね)
内心でつぶやく。
(このズレ)
ほんの少しだけ、口元が緩む。
恒一は、まだ真面目な顔で考えていた。
「まあいい」
「よくねえよ」
「つまり」
恒一が小さくうなずく。
基樹と彩音が、同時に見る。
「やっぱ佐々木先輩だな」
「違うって言ってるだろ!」
基樹のツッコミが即座に飛んだ。
「違わない」
恒一は即答する。
「情報は整理できてる」
「整理できてないから言ってるんだよ」
「ひよりは“こういちさん”って言ってた」
「だから」
「陸上部には佐々木光一先輩がいる」
「そうだけど」
「駅前で男といた」
「それが別人かもしれないって話だろ」
「でも、ひよりに似てたんだろ」
「似てたけど」
「なら、やっぱり佐々木先輩の可能性が高い」
「なんでそうなる!」
基樹が頭を抱える。
恒一はむしろ自信を深めている顔だった。
「むしろ確定に近づいた」
「遠ざかったんだよ!」
彩音が横で見ながら、肩を震わせていた。
(……やっぱり面白い)
恒一は、本気で分かったつもりでいる。
基樹は、本気で説明しているのに伝わらない。
この噛み合わなさは、なかなか見られない。
その時。
「朝比奈先輩」
柔らかい声がした。
ひよりだった。
手にはスポーツドリンク。
少し遠慮がちに近づいてくる。
「これ、よかったら」
「ありがとう」
恒一が受け取る。
ひよりは、いつものように少しだけ微笑んだ。
控えめで。
静かで。
でも、ちゃんと恒一を見ている。
恒一は少しだけひよりを見る。
そして、内心で納得した。
(……やっぱり)
ひよりはいいやつだな。
それだけだった。
ひよりが自分を見ていることも。
スポーツドリンクを渡すタイミングを選んでいることも。
さっきの話とつながっていることも。
何も分かっていない。
少し離れた場所。
「……どうすんの、これ」
基樹がつぶやく。
彩音は、少しだけ考える。
「どうもしない」
小さく言った。
「今は観察」
「またそれかよ」
「だって」
彩音は、くすっと笑う。
「面白いから」
「恒一で遊ぶな」
「遊んではないよ」
「本当か?」
「観察してるだけ」
「言い方」
基樹はため息をつく。
けれど、視線はグラウンドに戻っていた。
恒一は、スポーツドリンクを片手に、少し満足そうに立っている。
たぶん、自分の中では完全に理解したつもりなのだろう。
白石ひより。
こういちさん。
佐々木光一先輩。
駅前の男。
似ている別人の可能性。
全部を、自分に都合よく整理して。
(完全に理解した)
そう思っている。
気がする。
風が吹く。
グラウンドの端で、ひよりが静かに笑っている。
恒一は、それに気づいているようで。
やっぱり、何も気づいていなかった。




