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恋愛台帳、時代ズレにつき修正不能  作者: サザルト
すれ違い編

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第51話 探偵彩音の事件簿

■校舎の影


 放課後。


 校舎の影。


 彩音は、しゃがみ込んでいた。


「……対象、確認」


 小さくつぶやく。


 その視線の先。


 グラウンド。

 2年A組の朝比奈恒一。


 いつも通り走っている。


 ただ、いつもより少しだけ真面目に。


 少しだけ、力を入れて。


 フォームを確かめるように、何度も足を運んでいる。


「……あいつ」


 隣で基樹がぼそっと言った。


「ちゃんとやる気になってるな」


「なってるね」


 彩音が即答する。


「昨日、巴に怒られたから」


「普通に効いてたよな」


「うん」


「忠勝は駄目だったな」


「駄目だったね」


 彩音が小さく笑う。


「でも、結果的にはよかったんじゃない?」


「まあな」


 基樹はグラウンドを見る。


 恒一は、昨日より少しだけ集中しているように見えた。


 名前を変えるのではなく、自分のまま強くなる。


 本人がそこまで言葉にしているかは分からない。


 ただ、少なくとも走りには出ている。


「でも」


 彩音が言った。


「方向はズレてる」


「だろうな」


 基樹は苦笑する。


「で、何を見てるんだよ」


「流れ」


「何の」


「全部の」


「意味分かんねえ」


「分からなくていいよ、助手くん」


「誰が助手だ」


 基樹はため息をつく。


 だが、すぐには離れなかった。


 気になるものは、気になる。


 恒一のことも。


 白石ひよりのことも。


 駅前で見た、あの女の子と男のことも。


 全部、まだ噛み合っていない。


 少しして。


「来た」


 彩音が小さく言った。


「何が?」


 基樹が聞く。


 彩音は、顎でグラウンドの端を示した。


 視線の先。


 1年のスペース。


 白石ひよりがいた。


 少し離れた場所から、恒一の方を見ている。


 静かに。


 でも、確かに。


「……あ」


 基樹が小さく声を出した。


「また見てるな」


「見てるね」


「前からあんな感じだったのか?」


「たぶんね」


 彩音は目を細める。


「いつもずっと見てるタイプ」


「それ、前も言ってたな」


「うん」


 彩音は、少しだけ前に身を乗り出した。


「で」


「で?」


「動くよ」


 その瞬間。


 ひよりが歩き出した。


 まっすぐ。


 恒一の方へ。


「……行ったな」


「うん」


 距離を詰める。


 でも、近づきすぎない。


 邪魔にならないところで止まる。


 手にはスポーツドリンク。


 恒一がそれに気づく。


 ひよりが少しだけ頭を下げる。


 恒一が受け取る。


 短い会話。


 長くはない。


 けれど、空気は柔らかかった。


 ひよりは、押しつけない。


 恒一も、自然に受け取っている。


 それが妙に馴染んで見えた。


「はい」


 彩音が小さく言う。


「かなり有力」


「何が」


「白石ひよりちゃんの目的」


 迷いのない声。


「朝比奈恒一」


「……」


 基樹は少し黙った。


 その光景を見ると、確かにそう見える。


 ひよりは、恒一を見ている。


 少なくとも、ただの陸上部への興味だけではない。


 そう思わせるものがある。


 でも。


「……でもさ」


「ん?」


「彼氏いたぞ」


 空気が止まった。


「……は?」


 彩音がゆっくり振り向く。


「駅前で見たやつ」


 基樹は続ける。


「本当に白石だったかは分からねえけど、かなり似てた」


「うん」


「男と歩いてた」


「うん」


「距離も近かった」


「うん」


「どう見ても、デートっぽかった」


 少しの沈黙。


 彩音が考える。


 珍しく、すぐには茶化さなかった。


「……なるほど」


 小さくつぶやく。


「そこがズレの元か」


「だろ?」


 基樹がうなずく。


「だから、やっぱり――」


「いや」


 彩音が遮る。


 目が細くなる。


「それはまだノイズ」


「は?」


「重要なのは今」


 彩音は、グラウンドへ視線を戻した。


 ひよりと恒一。


 その距離。


 その空気。


 ひよりが、恒一の様子をちゃんと見てから声をかけていること。


 ドリンクを渡したあと、すぐに離れず、ほんの少しだけ言葉を交わしていること。


「過去の情報より、今の行動」


「……お前、探偵っぽいな」


「でしょ」


 彩音は満足そうに笑った。


「ただし」


「ん?」


「駅前の件は未確定」


 そう言って、指を一本立てる。


「あれが本当に白石ひよりちゃんだったのか」


 二本目。


「一緒にいた男が誰なのか」


 三本目。


「そもそも彼氏なのか、そうじゃないのか」


 彩音は、そこで指を下ろした。


「そこはまだ分からない」


「意外と冷静だな」


「探偵だから」


「自称だろ」


「細かいこと言わない」


 彩音は軽く流した。


 そして、もう一度グラウンドを見る。


「でも」


「でも?」


「今のところ、白石ひよりちゃんが恒一を見てるのは、かなり濃い」


「……」


「で、恒一は」


 視線の先。


 恒一は、スポーツドリンクを片手に空を見上げていた。


 少しだけ考えている顔。


 たぶん、何かを分かったつもりでいる顔。


 そして、たぶん何も分かっていない顔。


「一ミリも気づいてない」


「だろうな……」


 基樹は深く納得した。


 そこだけは、疑う余地がなかった。


 恒一はたぶん、ひよりの行動を陸上の話として処理している。


 あるいは、佐々木光一先輩への恋の延長として処理している。


 どちらにしても、正解からは遠そうだった。


 風が吹く。


 グラウンドの砂が、少しだけ舞う。


「……で?」


 基樹が聞いた。


「どうすんの」


 彩音が、にやりと笑う。


「何もしない」


「は?」


「今はね」


 彩音は一歩、歩き出す。


「まだ材料が足りないし」


「それはまあ、そうだな」


「それに」


 振り返る。


 その顔は、少しだけ楽しそうだった。


「面白いから、もう少し泳がせる」


「……お前さ」


 基樹が呆れた顔で言う。


「恒一で楽しんでるだろ」


 一瞬。


 彩音が、ほんの少しだけ笑った。


「バレた?」


「バレるわ」


 基樹は小さく息を吐く。


(……彩音は相変わらずだな)


 真面目に見ているのか。


 面白がっているのか。


 たぶん、両方だ。


「助手」


「次の観察行くよ」


「だから誰が助手だ!」


 そう言いながら。


 基樹も、結局ついていく。


 グラウンド。


 恒一は何も知らない。


 ただ、昨日より少しだけ真面目に。


 走っている。


 その理由も。


 見られていることも。


 そして、自分がかなり盛大に勘違いしていることも。


 まだ、知らない。

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