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恋愛台帳、時代ズレにつき修正不能  作者: サザルト
すれ違い編

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第44話 親しくなったのそっちじゃない

 ■縁の間


 その夜。


 気づけば、白い霧の中に立っていた。


 足元も空も曖昧な、いつもの場所。


 縁の間。


「ふぉっふぉっ」


 聞き慣れた声がする。


 振り向くと、神様がいた。


 白いひげを指でいじりながら、妙に満足そうな顔をしている。


「どうじゃ」


「……何が」


「面白かったじゃろう?」


 その言葉で、昨日の出来事が一気に頭の中に戻ってきた。


 道場。


 真紀子さん。


 台所。


 料理の話。


 巴の父。


 強制的な稽古。


 竹刀で吹っ飛ばされる父。


 土下座。


「どこがだよ」


 思わず言った。


「普通に最悪だったんだけど」


「そうかのう」


 神様は、ふぉっふぉっと笑う。


「わしはなかなか面白かったぞ」


「お前が面白かっただけかよ」


「見どころが多かったからのう」


「最悪だな」


 こっちは痛いし、疲れたし、意味も分からなかった。


 なのにこの神様は、完全に見物していた側の顔をしている。


「強くなれたじゃろう」


「なってねえよ」


「学びはあったはずじゃ」


「痛みしかなかったわ」


 ため息が出る。


 たしかに、少しだけ感覚は残った。


 踏み込みの位置とか。

 崩される時の違和感とか。


 そういうものは、前より少しだけ分かった気がする。


 でも、それと面白かったかどうかは別だ。


「それに」


 神様が、にやりと笑った。


「親しくなれたじゃろう?」


 一瞬、沈黙する。


「……誰とだよ」


「決まっておる」


 神様は、なぜか自信満々に言う。


「真田じゃ」


「……違う」


「何がじゃ」


「親しくなったの、母親の方だから」


 ぴたりと。


 神様の動きが止まった。


 ひげをいじっていた指も、そこで止まる。


「……母親?」


「そう」


「料理の話で盛り上がったの、そっちだから」


「……ほう」


 神様が少しだけ考える。


「それはそれで良いことじゃな」


「よくねえよ」


「重要な人脈じゃ」


「方向が違うだろ」


 俺が近づきたいのは巴だ。


 真紀子さんと料理の話で通じ合いたかったわけじゃない。


 いや、悪くはなかった。


 料理の話が通じるのは、普通に楽しかった。でも、そういう話ではない。


「結果として」


 神様が指を立てる。


「関係は前進しておる」


「してねえよ」


「しておる」


「してねえって」


「家の者に覚えられたのじゃぞ」


「それはそうだけど」


「ならば前進じゃ」


「雑なんだよ、判定が」


 しばらく沈黙する。


 神様が、ふぉっと笑った。


「まあよい」


「よくねえ」


「種は蒔いた」


「勝手に蒔くな」


「そのうち芽が出る」


「出なかったらどうすんだよ」


「出る」


 根拠はない。


 なのに言い切る。


「……はあ」


 もういい。


 この神様とまともに言い合っても、たぶん疲れるだけだ。


「じゃあの」


 神様が手を振る。


「待て。結局それだけか」


「それだけじゃ」


「本当に雑だな」


「ふぉっふぉっ」


 そのまま、神様の姿が薄れていく。


 白い霧も。


 縁の間も。


 ゆっくりと遠ざかっていった。


 ■朝比奈家


 朝。


 目を覚ます。


 天井を見る。


(……なんなんだ、あいつ)


 意味が分からない。


 面白いことが起きると言われて。


 実際に起きたのは、巴に会えないまま、真紀子さんと料理の話をして、巴の父にきつい稽古をつけられて、その父が吹っ飛ばされるのをみるという一日だった。


(どこをどう見たら、前進なんだよ)


 そう思いながら、体を起こす。


 体はまだ少し重い。


 でも、昨日よりは少しだけ動く。


(気のせいか)


 そう思うことにする。


 考えても分からない。


 今は、学校へ行く準備をするだけだ。


 ■教室


 放課後。


「恒一」


 基樹が、机に片肘をつきながら言った。


「この前、またやられたんだろ」


「やられた」


「しかも吹き飛ばされたって聞いたぞ」


「吹き飛ばされたのは俺じゃない」


「誰だよ」


「巴の父親」


「なんでそうなるんだよ」


「俺が聞きたい」


 基樹が、心底分からないという顔をする。


 俺も分からない。


 たぶん、あの場にいた全員が少しずつ分かっていなかった。


 分かっていたのは真紀子さんだけかもしれない。


 その時。


「ねえ」


 彩音が、少し楽しそうに声をかけてきた。


「恒一」


「なんだよ」


「巴のお母さん、恒一のこと気に入ってたよ」


「……は?」


 思わず聞き返す。


「どこ情報だよ」


「巴から」


 彩音はあっさり言う。


 情報が早い。


 さすがというか、なんというか。


「巴が聞かれたんだって」


「何を」


「恒一は、次いつ来るのかって」


 一瞬、止まる。


「……俺に?」


「うん」


「なんで」


「料理の話、またしたいって」


 呆然とする。


(なんでそっちなんだよ)


 頭を抱えたくなった。


 神様の顔が、頭に浮かぶ。


 親しくなれたじゃろう。


(だから、そっちじゃないんだよ)


「で」


 彩音がにやにやする。


「いつ行くの?」


「……さあな」


 適当に返す。


 でも、少しだけ考える。


 巴がその話をしてくれたのなら。


 真紀子さんが俺のことを聞いた時、巴が嫌そうにしていなかったのなら。


(……まあ)


 完全に方向が合っているとは言えない。


 けれど。


(巴が喜んでくれたなら、一応、進展はしてるのか?)


 神様の言うことも、まったくの嘘ではなかったのかもしれない。


 そう思うことにした。


 ただ、この時の俺はまだ知らない。


 真紀子さんに気に入られたことがきっかけで。


 このあと、料理の話をするために何度も真田道場へ呼ばれることになるなんて。


 まして、それが巴と会う理由の一つになるなんて。


 この時は、少しも思っていなかった。


「……そのうち」


 ぼそっと言う。


 彩音がすぐに反応した。


「お、行く気じゃん」


「違う」


「違わないでしょ、それ」


「料理の話をしに行くわけじゃない」


「じゃあ何しに行くの?」


「稽古」


「はいはい」


 彩音が笑う。


 基樹も苦笑している。


「恒一、なんか真田家になじみ始めてないか?」


「なじんでない」


「いや、普通は父親に稽古つけられて母親に料理で気に入られたりしないだろ」


「俺だって普通がよかった」


 騒がしい。


 でも、悪い空気ではなかった。


(……まあいいか)


 窓の外を見る。


 何も変わっていないはずなのに。


 少しだけ。


 本当に少しだけ。


 前より、進んでいる気がした。


 方向が合っているかは、まだ分からないけれど。

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