表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/132

勘違いから走り出した話

放課後。

 

 屋上のベンチで、俺は死んでいた。

「うん、無理」

 真田巴のあの一言が、頭の中でずっと繰り返されている。


「……いや、知ってたけどさ」

 知っていた。

 初対面で告白して成功するわけがない。

 それくらいは、俺にも分かる。

 分かってはいる。

(即答は、さすがにきついだろ……)


 空を見る。

 春の空は、やたらと明るかった。

 こっちは失恋直後なのに。

「歴代でも、かなり上位の散り方だったな」

 横で、基樹が言った。


「うるさい!」

「いや、あれはすごい。迷いがなかった」

「やめろ」

「うん、無理」

「再現するな」

 基樹は少し笑っていた。

 悪気はない。

 多分。

 

「恒一、大丈夫?」

 声がした。

 振り向くと、一ノ瀬彩音が立っていた。

 幼馴染。

 昔から、俺の失恋をそれなりの距離感で見てきた相手である。


「顔、完全に終わってるよ」

「終わってるよ、実際」

「だよね」

 彩音は苦笑しながら、少し離れて座った。

「相手、巴でしょ」

「なんで知ってるんだよ」

「有名だから」

「有名すぎないか?」

「有名すぎるね」

 否定しないのか。


 彩音は少しだけ考えるような顔をしてから、言った。

「ちなみにさ」

「うん」

「巴って、柔道部の山下先輩をちょっと見てるらしいよ」

「……は?」

 心臓が止まりかけた。

「山下先輩って、あの」

「うん」

 基樹が頷く。


「でかい人」

「説明が雑」

「でも伝わるだろ」

 伝わる、ものすごく伝わる。

 山下先輩。

 三年生で柔道部。

 肩幅がやたら広くて、校内でもかなり目立つ人だ。


「好きってことか?」

「そこまでは知らない」

 彩音は肩をすくめる。

「ただ、体格とか動きとか、そういうのは気になるみたい」

「……」

 俺は、自分の腕を見る。

 細い、絶望的に細い。

 山下先輩と比べたら、同じ高校生とは思えない。


「……終わった」

「まだ始まってもないだろ」

 基樹が言う。

「今終わった」

「早いな」


「山下先輩と比べられたら無理だろ」

「比べられてるとは言ってないよ」

 彩音が言う。


 でも、俺の耳にはもう届いていなかった。

 真田巴。

 強いものが好きそうな人。

 電車で男を制圧していた人。

 あの迷いのない動き。

 あの目。

 その人が見る相手。


(山下先輩……)

 納得してしまう。

 悔しいくらいに。

 その日の帰り道。

 俺は一人で歩いていた。

 夕焼けが、やけに目に刺さる。


(筋肉、か……)

 思い出す。

 電車で見た、巴の動き。

 グラウンドで見た、巴の走り。

 そして、彩音の言葉。

『体格とか動きとか、そういうのは気になるみたい』

 

 つまり、今の俺には、足りない。

 何もかも。

「……やるしかないか」

 誰に言うでもなく、つぶやいた。


 次の日から。

 朝比奈恒一の生活は、少し変わった。

 早朝ランニング。

 腕立て。

 腹筋。

 スクワット。

 放課後は、公園で基礎トレーニング。


「お前、急にどうした」

 基樹が呆れた顔で聞いてくる。

「鍛える」

「理由が短い」

「強くなる」

「さらに短くなった」

「山下先輩に勝てるくらい」

「方向性合ってるのか、それ」

 基樹のツッコミは聞こえていた。

 でも、止まる理由にはならなかった。


 数日後。

 グラウンドの端で、俺はストレッチをしていた。

 最近は、ここで体を動かすのが日課になりつつある。

(少しはマシになってきたか……?)

 腕立ての回数は増えた。

 走るのも、最初よりは少しだけ楽になった。


 まあ。

 巴と比べたら、誤差以下だろうけど。

「よし、もう一本」

 立ち上がった時だった。


「山下先輩、やっぱすごいね」

 女子の声が聞こえた。

 思わず振り向く。

 グラウンドの向こう。

 柔道部の練習スペース。

 そこに、山下先輩がいた。

 でかい、とにかくでかい。

 肩幅が明らかにおかしい。


「腰、もっと入れろ」

「はいっ!」

 声が低い。

 太い。

 圧がある。

 完全に、強い人間の空気だった。


(……あれか)

 自分の腕を見る。

 やっぱり細い。

 比べる前から負けている。

 視線をずらす。

 そこに、真田巴がいた。


 練習の合間なのか、水を飲みながら山下先輩の動きを見ている。

 じっと。

 真剣に。

(見てる……)


 心臓が、嫌な音を立てた。

 巴は、少しだけ笑った。

 山下先輩の動きを見て。

 ほんの一瞬、楽しそうに。


(終わった)

 俺の中で、何かが確定した。

(あれが好きって顔だろ……)

 誰も否定してくれない。


 いや、誰にも聞いていないのだから、否定されるはずもない。

 それでも、周囲の声が、やけに耳に入る。

「巴様と山下先輩、並んだら強そう」

「最強じゃん」

「分かる」


(やめろ)

 聞きたくない。

 でも、聞こえる。


 その日の夜。

 俺は、いつもの公園にいた。

 街灯の下。

 一人で走る。

「はっ……はっ……」

 息が上がる。

 足が重い。

 でも、止まらない。

 頭の中に、あの光景が焼き付いていた。

 山下先輩を見る巴の横顔。

 楽しそうな目。

(ああなれなきゃ、駄目なんだろ)

 強くて。

 大きくて。

 完成されている男。

 俺とは、真逆の存在。


「……っ」

 腕立て。

 限界まで。

 腕が震える。

 でも止めない。

「くそ……」

 地面に汗が落ちる。

 呼吸が乱れる。

 視界が少し滲む。


 足りない。

 全然足りない。

 ベンチに座り込む。

 夜風が冷たい。

 それなのに、頭だけが熱い。


「……なんでだよ」

 ぽつりとこぼれた。

 悔しい。

 情けない。

 でも。

(諦めたくない)

 それだけは、はっきりしていた。


 一方、その頃。

 グラウンドでは、陸上部の練習が終わりかけていた。

「そういえば、あの人またいたね」

 部員の一人が言う。


 巴が首を傾げる。

「あの人?」

「この前、巴に告白した人」

「ああ」

 巴は少しだけ思い出したように頷いた。

「朝比奈だっけ」

「そうそう。最近ずっと走ってるよ」

「へえ」


 巴はグラウンドの端を見る。

 もうそこに恒一はいない。

 ただ、土の上に残った足跡だけが、うっすら見えた。

「……」

 少し前。

 真正面から告白してきた顔を思い出す。

 初対面。

 急すぎる。

 普通に無理。


 でも。

「ちょっと面白い」

 巴は、小さく笑った。

 それだけだった。

 けれど。

 朝比奈恒一は、その裏で盛大に勘違いしていた。


 真田巴は、山下先輩が好き。

 その思い込みが。

 彼の努力を、さらに変な方向へ加速させることになる。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ