第3話 強すぎる人に告白した話
あの日の電車の出来事から、恒一の中で何かが変わっていた。
真田巴。
名前は分かった。
顔も見た。
同じ高校。
同じ二年。
クラスは隣の二年B組。
そして、ほぼ確信もある。
(あれ、絶対そうだ……)
問題は。
「どうやって近づくか、なんだよな……」
恒一は二年A組の教室で頭を抱えていた。
すると。
「また惚れたのか?」
基樹が、呆れた顔で言った。
「うん」
「即答かよ」
基樹は額を押さえる。
失礼なやつだ。
恒一はいつも真剣なのに。
「今回だけは違う」
「毎回言ってる」
「今回は運命なんだよ」
「それも前に聞いた」
「今回は本当に運命なんだ」
「言い方変えただけだろ」
信じてもらえないのは慣れている。
でも、今回は本当に違う。
(これ神様案件だぞ……)
さすがにそれをそのまま言うのは危ない。
恒一でも分かる。
「で?」
基樹が机に頬杖をつく。
「相手は?」
「真田巴」
その瞬間、基樹の顔が止まった。
「……は?」
「真田巴」
「お前、今なんて?」
「真田巴」
「聞き間違いじゃなかったか……」
基樹はゆっくり天井を見た。
「やめとけ」
「早いな」
「早く言わないと間に合わない気がした」
「なんでだよ」
「相手が相手だからだよ」
基樹は声を落とした。
「真田巴だぞ。二年B組の」
「ああ」
「剣道も薙刀も弓道も陸上もおかしいって言われてる、あの真田巴だぞ」
「ああ」
「なんで落ち着いてんだよ」
「落ち着いてはいない」
「顔が変わってねえんだよ」
そう言われても困る。
内心は、かなり忙しい。
恋愛台帳。
巴御前。
女武者。
電車で見たあの動き。
全部が、真田巴という名前に集まっていた。
「まあ」
基樹はため息をつく。
「お前が止まるわけないのは分かってるけど」
「よく分かってるな」
「付き合い長いからな」
その時だった。
廊下の方がざわついた。
「巴様いるって」
「え、どこ?」
「グラウンド!」
「今日、陸上部出てる!」
女子たちが一斉に窓際へ動いた。
「……巴様?」
恒一が思わずつぶやく。
基樹が横で言った。
「知らなかったのか」
「知らない」
「真田巴、わりと有名人だぞ」
「巴様って呼ばれてるのか」
「一部でな」
「一部の熱量じゃないだろ、これ」
恒一も窓へ近づいた。
グラウンドに、巴がいた。
黒髪をポニーテールにして、スタート位置に立っている。
やはり背が高い。周囲の部員の中にいても、すぐに見つけられる。
背筋もまっすぐで、立っているだけで目を引いた。
「よし、もう一本!」
声が届く。
次の瞬間、巴が走り出した。
速い。
一瞬だった。
地面を蹴る音すら、他の部員と違って見えた。陸上について何も知らない恒一でも分かる。
あれは普通じゃない。
「……速いな」
「だろ」
基樹が言う。
「しかも本業は剣道らしいからな」
「意味が分からないな」
「お前が言うな」
走り終えた巴は、仲間と何か話していた。
さっきまでの鋭さが少し緩む。
笑っている。
その瞬間、窓際の女子たちがざわついた。
「笑った」
「今日の巴様、供給多い」
「スタートもやばかった」
「分かる、普通にかっこいい」
(なにこの文化)
恒一は少し圧倒される。
真田巴。
強い。
速い。
人気がある。
そして、たぶん恒一の恋愛台帳に残された、ほぼ唯一の可能性。
(難易度、高すぎないか)
そう思った時。
巴が、ふとこちらを見た。
目が合う。
一瞬だけ。
それなのに、胸が鳴った。
巴は少しだけ首を傾げる。
まるで、こちらを測るように。
品定めするみたいに。
(うわ)
圧が強い。
電車の時と同じだ。
真正面から見られると、逃げ場がない。
(だからこそ、だろ)
恒一は深く息を吸った。
惚れやすい。
それは短所かもしれない。
でも同時に、踏み出せる理由でもある。
「……よし」
基樹が嫌な顔をした。
「おい」
「行ってくる」
「どこへ?」
「グラウンド」
「なんで?」
「告白する」
「待て待て待て!」
基樹が椅子から立ち上がる。
「今!?」
「今」
「初対面だろ!?」
「電車で見た」
「向こうは覚えてるか分かんねえだろ!」
「それはそうだな」
「納得したなら止まれ!」
でも、恒一はもう教室を出ていた。
「恒一!」
基樹の声が後ろから飛ぶ。
聞こえている。
聞こえているが、止まれない。
廊下。
階段。
昇降口。
そして、グラウンド。
一直線に向かう。
近づく。
どんどん近づく。
そして。
巴の前に立った。
「……?」
巴が恒一を見る。
真正面から。
近くで見ると、遠くから見ていた時以上に大きく感じる。
恒一は自然と少し視線を上げた。
目がまっすぐで、立っているだけでも圧がある。
「何?」
低すぎない。
でも、よく通る声。
恒一は一度息を吸った。
「真田さん」
「うん?」
「俺と」
一瞬。
心臓がうるさくなる。
でも、もうここまで来た。
「付き合ってください」
かなり長い沈黙。
風が吹く。
周囲の陸上部員が止まる。
窓際の視線まで刺さっている気がした。
巴は、まっすぐ恒一を見る。
そして。
「うん、無理」
即答だった。
「……」
「……」
早かった。
あまりにも早かった。
恒一の人生でも、かなり上位に入る速度だった。
「理由を聞いても?」
「初対面だから」
「正論だな」
「あと、急すぎる」
「それも正論だな」
巴は少しだけ眉を寄せる。
「でも」
「?」
「勢いは嫌いじゃない」
そう言って、ほんの少しだけ笑った。
ほんの少し。
でも、確かに。
その目は、少しだけ楽しそうだった。
恒一は振られた。
また振られた。
けれど。
(……終わってない)
なぜか、そう思った。
遠くで、基樹の叫び声が聞こえた。
「だから言っただろぉぉぉ!」
グラウンドに、春の風が吹いていた。




