第39話 道場に行ったらなぜか取り調べされた
■真田道場
週末。
今日も、真田道場に来ていた。
前回で懲りたかと聞かれたら、少しだけ迷う。
体はきつかった。
腕も足も、翌日まで重かった。
それでも。
(もう一回、やってみたいんだよな)
そう思ってしまった時点で、たぶん負けだった。
「……恒一、本当に来たんだな」
基樹が、道場の入口で小さく言う。
「来た」
「俺たちは見学で来たんだからな」
「分かってる」
隣で彩音が、少し楽しそうに中を見ていた。
「今日もすごそうだね」
「楽しそうに言うな」
「だって、見学だし」
「他人事だな」
「他人事だよ」
きっぱり言われた。
少しだけ言い返したくなったけど、やめる。
実際、今日やるのは俺だけだ。
道場に入ると、空気が変わる。
木の床。
整えられた竹刀。
奥に立つ巴の父と祖父。
そして、少し離れたところに巴がいた。
道着姿の巴は、学校で見る時とはやっぱり違う。ただ立っているだけで、ここが巴の場所なのだと分かる。
「来たか」
父が言う。
「はい」
「では始める」
(早い)
前回と同じだ。
余計な説明はほとんどない。
竹刀を渡される。
「構えろ」
「……はい」
構える。
まだ、しっくりこない。
手の位置。
足の幅。
背筋。
全部が少しずつ違う気がする。
「踏み込み」
「打ち込み」
「繰り返せ」
稽古が始まった。
「遅い!」
「腰が浮くな!」
「腕だけで振るな!」
声が飛ぶ。
踏み込む。
振る。
直される。
また踏み込む。
また振る。
(きつい)
すぐに息が上がる。
走るのとは違う。
同じように体を使っているはずなのに、疲れる場所が違う。
足だけじゃない。
腕だけでもない。
体全体が、うまく噛み合っていないのが分かる。
「もう一度!」
「はい!」
歯を食いしばって動く。
その様子を、巴が見ている。
真剣な目で。
学校で見せる軽さはない。
ここでは、巴も道場の人間だった。
――稽古、終了。
床に座り込む。
「……っは……」
息が上がる。
腕が動かない。
竹刀を握っていた手が、少し震えている。
「……死ぬ」
基樹が呟いた。
「お前、やってないだろ!?」
「見てただけで死にそう」
彩音が笑う。
「でもすごいね」
「よくやったよ」
「見学組は気楽でいいな」
「気楽に見てても怖かったよ」
彩音が、道場の奥をちらっと見る。
父と祖父は、こちらを見ていた。
「……まあ」
祖父が言う。
「悪くはない」
「根性はある」
父も頷いた。
「続ければ変わる」
(……少しは、か)
小さく息を吐く。
その瞬間だった。
「――ふむ」
父の視線がこちらに向く。
いや。
正確には、俺と巴の間を見ている。
(……あ)
嫌な予感がした。
「なるほどな」
父が低く呟く。
「娘の近くに来た理由」
(違う)
「そういうことか」
(違うって)
「若いな」
勝手に納得しないでほしい。
「……いや、違います」
「違わん」
「違います」
言い切った瞬間。
がしっ。
肩を掴まれた。
「話がある」
「ないです」
「ある」
有無を言わせない声だった。
そのまま、引きずられる。
「ちょ、ちょっと待って!」
彩音の声がした。
「連れてかれた!」
「南無」
基樹が、他人事みたいに合掌している。
「助けろよ!」
「無理だろ!」
正論だった。
■別室
別室。
正座。
(なんだこれ)
向かいに、父。
無言。
(怖い)
沈黙が続く。
稽古よりこっちの方がきついかもしれない。
「覚悟はあるのか?」
「何のですか?」
「娘だ」
(やっぱりか)
「違います」
「違わん」
「違います」
「では、なぜ通う」
「強くなりたいからです」
「なぜ強くなりたい」
「……それは」
言葉が止まる。
巴を見たから。
巴の強さを知ったから。
少しでも近づきたいと思ったから。
でも、それをそのまま言ったら、余計に誤解される気がした。
「ほう」
「まだ何も言ってません」
「顔に出ている」
「出てません」
「出ている」
逃げ場がない。
そのとき。
「――あら」
襖が、すっと開いた。
現れたのは、巴の母だった。
大きい。
父と並んでも引けを取らない体格。
無駄のない立ち姿。
整いすぎた所作。
(……やばい)
「あなた」
にこやかな声。
「何をなさっているのですか?」
完璧な敬語。
でも。
(圧がすごい)
父が、わずかに視線を逸らした。
「……話をだな」
「お話、ですか」
一歩、近づく。
音もなく距離が詰まる。
「取り調べのように見えましたが」
父が黙る。
「……昔の癖がな」
「そうですね」
母が、にこりと微笑む。
「その癖は、ご自宅では不要かと存じます」
(逃げ場ないやつだこれ)
「……すまん」
父が謝った。
母がこちらを見る。
「朝比奈さんですね」
「は、はい」
「無理をさせてしまったようで」
丁寧に頭を下げる。
(この人が謝るのか)
むしろ、こっちの方が恐縮する。
「いえ、大丈夫です」
「ですが」
空気が変わる。
「本日は稽古とのこと」
「はい」
「でしたら」
目が細くなる。
「途中で投げ出すことは、おすすめいたしません」
(圧がえぐい)
「……はい」
自然と頷いていた。
母が静かに頷く。
「よろしい」
そして、父を見る。
「あなた」
「はい」
父が即答した。
「きちんと、なさい」
その一言は、やわらかい。
でも絶対だった。
次の瞬間。
ドン。
父が膝をついた。
そのまま、額を床に。
土下座。
「先ほどは失礼した」
外から声が聞こえる。
「……え、今の音なに」
彩音の声。
「床じゃね?」
基樹の声。
(聞こえてる!?)
固まる。
母が静かに頷いた。
それで終わりだった。
父が立ち上がる。
何事もなかったように。
(切り替え早いな)
「では」
母が言う。
「どうぞお戻りください」
解放された。
■真田道場
道場に戻る。
「おかえり」
彩音がニヤニヤしていた。
「何されたの?」
「……取り調べ」
「やっぱり」
即理解された。
基樹が小声で聞いてくる。
「音すごかったけど」
「……床」
「こええよ」
三人で苦笑する。
そのとき、巴が近づいてきた。
「……ごめん」
「父、勘違いしたでしょ」
「したな」
「母、出たでしょ」
「出た」
「で」
巴が少しだけ目を細める。
「やったんでしょ」
「やった」
一瞬の間。
巴が少しだけ笑った。
「だよね」
その笑顔は、どこか慣れていた。
たぶん、真田家では何度かある流れなのだろう。
「でも」
巴がこちらを見る。
「やるんだよね」
「やる」
即答した。
巴の目が、少しだけ柔らかくなる。
「……そっか」
短く言う。
でも、さっきより少しだけ近い気がした。
■帰り道
帰り道。
「お前さ」
基樹が言う。
「恋もだけど、命も張ってるよな」
「そうかもな」
笑う。
空を見る。
体は重い。
腕も痛い。
でも、足はちゃんと前に出ている。
(遠いな)
巴は遠い。
強さも。
積み重ねてきたものも。
あの家の空気も。
まだ全然、届かない。
でも。
(だからいい)
少しだけ、笑う。
強さも、恋も。
まだ途中だ。
でも、ちゃんと前に進んでいる。




