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恋愛台帳、時代ズレにつき修正不能  作者: サザルト
すれ違い編

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第38話 勢いで武道場に行くことになった

 教室


 放課後。


「……で」


 基樹が机に頬杖をつく。


「なんで武道場なんだよ」


「強くなるため」


「ざっくりしすぎだろ」


 彩音がくすっと笑う。


「でもさ」


「ちょっと分かるかも」


「どこが」


「巴、強いもんね」


「そういう問題じゃねえ」


 基樹がため息をつく。


「お前さ」


「また変な方向行ってない?」


「変じゃない」


 剣道場で見た巴。


 弓道場で見た巴。


 あれが、まだ頭に残っている。


 走っている姿だけでも遠いと思っていたのに。


 剣道も。


 弓道も。


 全部、同じ人の強さだった。


「巴は剣道も弓道もやってる」


「薙刀もだろ」


 基樹が言う。


「そう。それも」


「だから?」


「だったら」


 少しだけ考えてから言う。


「そこに近づくしかないだろ」


 シンプルな結論だった。


 少しだけ沈黙が落ちる。


「……まあ」


 基樹が頭をかく。


「言いたいことは分かる」


「だろ?」


「でも、お前死ぬぞ」


「死なない」


「いや、死ぬ」


 彩音が笑いながら口を挟む。


「でもさ、ちょっと見てみたいかも」


「何を?」


「朝比奈が道場でどうなるか」


「見世物じゃねえぞ」


「半分くらいはそう」


 彩音がにやっと笑う。


「ね、行こうよ」


 基樹の方を見る。


「……俺も?」


「止める係」


「もう止められねえだろ」


「確かに」


 三人で少しだけ笑う。


 でも、武道場の話をしているうちに、少しずつ本当に行く流れになっていた。


 巴の家が道場をやっていることは、前に聞いていた。


 場所も、なんとなく知っている。


 だからこそ、余計に気になっていた。


 グラウンドや学校の剣道場とは違う。


 巴が育った場所。


 巴が積み重ねてきた場所。


(……ちょっと、見てみたい)


 そう思ってしまった時点で、たぶん止まれなかった。


 そのとき。


「何の話?」


 振り向く。


 巴が、自然に立っていた。


 高い位置のポニーテールが、軽く揺れる。


「……真田道場」


「行く話」


 俺が言う。


 巴が一瞬だけ止まった。


「……本気?」


「本気」


 少しだけ間が空く。


 巴が息を吐いた。


「……そっか」


 短く言う。


 でも。


 目が、少しだけ変わった。


「じゃあ」


「覚悟しといて」


「うち、甘くないから」


「知ってる」


 思わず苦笑する。


「……だよね」


 巴も少しだけ笑う。


 そのまま去っていく。


 残された三人。


「……やっぱやめないか?」


 基樹が言う。


「やめない」


 即答した。


「だろうな」


 基樹がため息をつく。


「じゃあ行くか」


「見届けるわ」


 彩音が楽しそうに言う。


 こうして。


 三人で真田道場に行くことが決まった。


 ■真田道場


 ――週末。


 真田道場。


「……で」


 基樹が門を見上げる。


「本当に来たのか」


「来た」


 その横で、彩音が目を輝かせる。


「すごいね、ここ」


「完全に“そういう家”じゃん」


「そういう家だな」


 古いけれど、手入れされている。


 門も、建物も、庭も。


 ただの習い事の場所というより、長く続いている家の一部みたいだった。


(帰りたい)


 基樹の顔が、そう物語っていた。


「……入るぞ」


 ガラッ。


 一歩入った瞬間。


 空気が変わる。


「……来たか」


 父、祖父、兄。


 三人がいた。


(やっぱりいた)


 分かっていたはずなのに、実際に見ると圧がある。


「お前だけじゃなかったか」


 視線が、基樹と彩音に移る。


「見学です!」


 彩音が即答した。


「俺も!」


 基樹もすぐに乗る。


 祖父が、ふむと頷いた。


「若いのが増えるのは良いことじゃ」


 そして、にやりと笑う。


「どうじゃ、そこの娘も」


 彩音を見る。


「入門してみんか?」


「え?」


「基礎から叩き込んでやるぞい」


「いやいやいや」


 彩音が手を振る。


「私は見学で十分です!」


「遠慮するでない」


 祖父が一歩近づく。


(圧がすごい)


 そのときだった。


「じいちゃん」


 低い声。


 空気が変わる。


 巴だった。


「無理やりはダメ」


 ぴしっと言う。


 祖父が肩をすくめた。


「むう」


「せっかくの逸材じゃったのに」


「違うから」


 巴が即否定する。


 基樹が小声でつぶやいた。


「助かった……」


 空気が少し緩む。


「で」


 父が言う。


「入門だったな」


「あ、はい」


 空気が締まる。


「ならば」


(早い)


 竹刀を渡される。


「構えろ」


「……はい」


 構える。


(重い)


 竹刀そのものが重いというより。


 この場の空気ごと、手に乗っているような感じがした。


 でも、やるしかない。


「踏み込み」


「打ち込み」


「繰り返せ」


 始まる。


「遅い!」


「腰が浮くな!」


「腕だけで振るな!」


 声が飛ぶ。


(きつい)


 すぐに分かった。


 走るのとは違う。


 足だけじゃない。


 腕も。


 腰も。


 背中も。


 全部が噛み合っていない。


「もう一度!」


「はい!」


 踏み込む。


 振る。


 また直される。


 少し動いただけで、息が上がる。


(でも、やめるか?)


 違う。


 歯を食いしばる。


 動く。


 ただ、それだけ。


 その様子を、巴が見ていた。


 真剣な目で。


(……やっぱり)


 小さく思う。


(本気だ)


 ここは、そういう場所だ。


 強くなるために、ずっと積み重ねてきた場所。巴が当たり前みたいに立っている場所。


 俺は今、その入口に立っているだけだった。


 ――稽古、終了。


 床に倒れ込む。


「……っは……」


 息が上がる。


「……死ぬ」


 基樹が呟く。


「お前、やってないだろ」


「見てただけで死にそうになった」


 彩音が笑う。


「でもすごいね」


「よくやったよ」


 そのとき。


「……まあ」


 祖父が言う。


「悪くはない」


「根性はある」


 父も頷いた。


「続ければ変わる」


 小さく息を吐く。


 褒められているのか、まだよく分からない。


「でも」


 巴が近づく。


「やりすぎ」


「……は?」


「初心者にあれはダメ」


 父と祖父を見る。


 空気が止まった。


「折れるよ、普通」


 はっきり言う。


 少しだけ怒っている。


「……ふむ」


 祖父が考える。


「確かにの」


「ちょっとやりすぎたかもしれん」


「ちょっとじゃない」


 巴が即座に言う。


 基樹が小声でつぶやく。


「強いな……」


 彩音も頷く。


 巴が、こちらを見る。


「大丈夫?」


 少しだけやわらかい声だった。


「……まあ」


 なんとか起き上がる。


「大丈夫じゃないけど、やる」


 一言だけ返す。


 巴が目を細めた。


「……そっか」


 それだけ言う。


 その表情は、ほんの少しだけ変わっていた。


 ■帰り道


 帰り道で。


「お前さ」


 基樹が言う。


「完全に沼ってるな」


「何が」


「強さに」


「……かもな」


 否定はしない。


 空を見る。


 腕も足も重い。


 体のあちこちが、自分のものじゃないみたいだった。


 でも、不思議と嫌ではない。


(遠いな)


 巴は、遠い。


 陸上でも。


 剣道でも。


 弓道でも。


 そして、あの道場でも。


 でも。


(だからいい)


 少しだけ笑う。


 “強さの入口”は。


 思ったより、深かった。

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