第37話 変わる空気
弓道場前
弓道場を出ても、さっきの一射が頭から離れなかった。
夕方の空気が、少しだけ涼しい。
(……すげえな)
結局、それしか出てこない。
陸上の巴。
剣道の巴。
弓道の巴。
どれも違うのに、全部同じ人だった。
隣を歩く西園寺が、ふっと息を吐く。
「ね」
「……なんだ」
「ちょっとだけ、見直した」
唐突に言われた。
「は?」
「前はさ」
西園寺が腕を組む。
「正直、ムカついてた」
「……だろうな」
それは分かる。
むしろ、分かりやすいくらいだった。
「でも」
西園寺は、少しだけ視線を外した。
「さっきの、見てる顔」
「……顔?」
「嘘じゃなかった」
一瞬、言葉に詰まる。
「……」
「ちゃんと見てるんだなって思った」
ぽつりと。
あの西園寺が、そんなことを言った。
少しだけ、調子が狂う。
「だから」
西園寺は軽く肩をすくめる。
「前よりはマシ」
「評価低いな」
「当たり前でしょ」
少しだけ笑う。
でも、前とは違った。
明確に。
“敵”ではなくなっていた。
「……じゃ」
西園寺が足を止める。
「邪魔はしない」
「……そうか」
「ちゃんと見てるから」
「は?」
「追いかけるの」
さらっと言う。
「ただし」
西園寺が、一歩だけ近づいた。
「中途半端なら許さない」
まっすぐな目だった。
巴を見る時の、あの熱のまま。
こっちを見ている。
「……しねえよ」
短く返す。
西園寺は、少しだけ笑った。
「ならいい」
そう言って、そのまま去っていく。
一人になる。
(……変わったな)
状況が、少しずつ。
でも確実に。
前とは違う方向へ動いている気がした。
そのときだった。
「……あの」
小さな声が聞こえた。
振り向く。
白石ひよりが、少し離れた場所に立っていた。
「白石」
「今の……」
ひよりが、遠慮がちに言う。
「見てました」
「……そうか」
短く返す。
ひよりは、少しだけ微笑んだ。
「すごいですね」
「何が」
「雰囲気」
「……雰囲気?」
「前と、違います」
一瞬、考える。
(違うか?)
自分では、よく分からない。
弓道場で巴を見て。
西園寺と少し話して。
それだけだ。
でも、ひよりは首を振った。
「ちゃんと見てる人には、分かります」
静かだけど、はっきりした声だった。
「朝比奈先輩も」
「俺?」
「はい」
ひよりは頷く。
「前より、逃げてない感じがします」
「……逃げてない」
その言葉が、少しだけ引っかかった。
逃げているつもりはなかった。
でも、知らないままでいた部分はある。
巴のことも。
周りからどう見られているかも。
自分が何を追いかけているのかも。
「みんなの見方も」
ひよりが続ける。
そこで、ようやく気づいた。
周りの視線。
前みたいな、冷たい感じではない。
興味。
少しの評価。
まだ完全に受け入れられたわけではない。
けれど、ただの勘違いや邪魔者を見る目ではなくなっている。
(……確かに)
変わっている。
「……まあ」
小さく息を吐く。
「やることは変わらないけどな」
「はい」
ひよりが、嬉しそうに頷いた。
「それがいいと思います」
その言い方は、柔らかかった。
押してこない。
決めつけない。
でも、ちゃんと支えている。
「……ありがと」
自然に出た。
ひよりが、少しだけ驚いた顔をする。
それから、すぐに笑った。
「はい」
静かな返事だった。
そのまま、少しだけ並んで歩く。
夕方の道。
前とは違う空気。
俺を見る目も。
西園寺との距離も。
ひよりの言葉も。
少しずつ、変わっている。
(……変わったな)
そう思ったのは。
たぶん、俺だけじゃなかった。




