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恋愛台帳、時代ズレにつき修正不能  作者: サザルト
すれ違い編

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第32話 知らなかった強さ

 基樹の部屋


 放課後。


「はい、ここ」


 彩音がノートを机に広げる。


「この範囲、絶対出るから」


「マジで?」


「マジで」


 彩音は、妙にきっぱりと言った。


 その言い方が少し先生っぽい。


「一ノ瀬先生、そこは根拠あるんですか?」


「過去問と授業中の先生の言い方」


「ちゃんとしてる」


 横で基樹が問題集をめくる。


「とりあえず暗記しろ」


「雑だな」


「時間ねえんだよ」


「基樹先生は雑すぎる」


「先生じゃねえし」


 基樹が即答する。


 彩音がペン先でノートを軽く叩いた。


「はい、私語はそこまで」


「本当に先生みたいになってきたな」


「恒一がちゃんとしないからでしょ」


「すみません」


 なぜか素直に謝ってしまった。


 机に向かう。

 久しぶりの、ちゃんとした勉強。


(……きつい)


 走るのとは違う疲れがある。


 足ではなく、頭が重い。


「集中」


 彩音に軽く小突かれる。


「してるって」


「今、三秒くらい魂抜けてた」


「抜けてない」


「抜けてた」


 基樹まで頷く。


「抜けてたな」


「お前まで言うな」


 仕方なくノートを見る。


 歴史。


「源平合戦……」


 ページをめくる。


 その中に、見慣れた字があった。


「……巴御前」


 手が止まる。


(この名前……)


 どこか引っかかる。

 なんとなく気になって、スマホを取り出す。


「ちょっと調べる」


「勉強しろよ」


 基樹のツッコミが入る。


「一応、歴史だ」


「そういう時だけもっともらしいこと言う」


 彩音に呆れられながら、検索する。


 ――巴御前。


 表示される説明。


 女武者。


 戦場で戦った女性。


(……へえ)


 さらに読む。


 武勇に優れ。


 首級を挙げ。


 馬上で戦い。


(……は?)


 スクロールが止まらない。


(ちょっと待て)


 文章を、もう一度読む。


(これ……)


「凄くね?」


 思わず口に出た。


「なにが?」


 彩音がのぞき込む。


「巴御前」


「ああ。強いよね」


「強いってレベルか?」


 基樹も横から画面を見る。


「確かにすげえな」


「いや、これ普通に……」


 言葉を探す。


「戦場の最前線で戦ってるじゃん」


「うん」


「しかも普通に勝ってるし」


「うん」


「何者だよこれ」


 彩音が少し笑った。


「歴史上の人だよ」


「それは知ってる」


「はい、脱線一回目」


 彩音がペンで机をこつんと叩く。


「授業中なら注意されるやつだよ」


「でも先生、これは歴史の範囲です」


「興味を持つのはいいです」


 彩音がなぜか先生っぽい口調になる。


「でも、テストに出るところへ戻りましょう」


「先生っぽい」


「恒一くん、口答えしない」


「はい」


 基樹が横で吹き出した。


「完全に怒られてるじゃん」


「うるせえ」


 三人で少しだけ笑う。


 でも、スマホの画面から目が離れなかった。


(……やばいな)


 頭の中に、映像が浮かぶ。


 戦場。


 馬。


 刀。


 その中で戦う、一人の女性。


(こんなのいるのかよ)


 小さく息を吐く。


 声には出さない。


 けれど、ふと、神様に聞いた言葉を思い出した。


 巴は、巴御前の生まれ変わりだ、と。


(……そういえば、そんな話もあったな)


 あの時は、正直、あまり実感がなかった。


 生まれ変わりと言われても、遠すぎる。歴史上の人物と言われても、ぴんとこない。


 けれど今、画面に並んだ文字を読んでいると。ほんの少しだけ、分かる気がした。


「……巴って名前、すげえな」


 ぽつりと言う。


「まあ、かっこいいよね」


 彩音が軽く返す。


「……いや」


 首を振る。


「名前負けしてないのがやばい」


 一瞬、二人がきょとんとする。


「どういう意味?」


「いや」


 少しだけ考える。


 うまく言葉にならない。


「なんか……」


 グラウンドでの姿が浮かぶ。


 まっすぐな走り。


 無駄のない動き。


 近くにいるだけで分かる、あの強さ。


「強い感じ、するだろ」


 曖昧な言い方になった。


 それでも、自分の中ではしっくりきていた。


(……重なるな)


 ほんの少しだけ。


 巴御前と、巴。


 もちろん、同じなわけではない。


 それでも、名前を見ただけで引っかかった理由は、少し分かる気がした。


「……まあ、いいや」


 スマホを置く。


「よくない」


 彩音がすぐにノートを指した。


「現実に戻って」


「戻ります」


「テスト、落ちたら終わりだよ」


「……はい」


「返事だけはいい」


「先生、厳しいです」


「厳しくしないとやらないでしょ」


「否定できない」


 基樹が問題集をこちらへ押してくる。


「じゃあ次、ここ」


「まだあるのか」


「あるに決まってんだろ」


 また、机に向かう。


 単語。

 年号。

 人物名。


 頭の中に入れなきゃいけないものは、思ったより多い。


 走る時みたいに、足を前へ出せば進むわけじゃない。


 でも。


(これも、積み重ねか)


 ノートにペンを走らせる。


 さっきまで画面にあった“巴御前”の姿が、頭のどこかに残っている。


 強い人は、昔にもいた。


 今、近くにもいる。


 知らなかった強さが、一つ増えた気がした。


「恒一」


「ん?」


「また手、止まってる」


 彩音に言われて、慌ててペンを動かす。


「……はい」


「よろしい」


 彩音が少し満足げに頷く。


 基樹が小さく笑った。


 俺は文句を言い返そうとして、やめる。


 今は、言い返すより先に覚える。


 そう思って、もう一度ノートを見た。


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