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恋愛台帳、時代ズレにつき修正不能  作者: サザルト
すれ違い編

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第31話 足りないのは体力だけじゃない

夜、基樹の部屋。


「うわ」


 基樹が、俺を見て言った。


「なんか変わったな」


「何が」


「その体」


 その一言で、少しだけ意識する。


「前より細かったのにさ」


「ちょっと締まってきてる」


「……そうか?」


「うん」


 横で彩音も頷いた。


「前より全然いいよ」


 少しだけ照れる。


「まあ、毎日走ってるしな」


「だろうな」


 基樹が苦笑する。


「最近ほんと、そればっかだし」


「……まあな」


 自然とそうなっている。

 気づいたら、体を動かしている。


 走らない日があると、逆に落ち着かないくらいだった。


「でもさ」


 基樹が、ふと真面目な顔になる。


「来週、テストだぞ」


「……あ」


 思考が止まった。


「覚えてなかっただろ」


「……ちょっと忘れてた」


「ちょっとじゃねえだろ」


 彩音がため息をつく。


「絶対やばいよ、それ」


「いや、まだ一週間あるし」


「その一週間も走るんでしょ?」


「……」


 言い返せない。


 走らないという選択肢は、もうほとんど頭になかった。


「ちなみに」


 基樹が、さらっと言う。


「巴、普通に両立してるらしいぞ」


「……え?」


「成績も普通に上の方」


「マジかよ」


 完全に予想外だった。


(あの練習量で?)


 頭に浮かぶ。


 あの走り。


 あの体力。


 それで、勉強も落としていない。


(どうなってんだよ)


「やばくね?」


「やばいよ」


 彩音が即答した。


「だから巴はすごいんだよ」


 妙に納得される。


「……いや待て」


 頭を抱える。


「俺、無理じゃね?」


「今気づいた?」


 基樹が笑う。


「今まで何してたんだよ」


「走ってた」


「知ってる」


 三人で少しだけ笑う。


 けれど、笑ってごまかせる話ではなかった。


(まずいな、これ)


 本気で思う。


 体は少しずつ変わってきた。


 前より走れるようにもなってきた。


 けれど。


(俺、頭の方を全然使ってねえ)


 ため息をつく。


「……やるか」


「何を」


「勉強」


 ぽつりと言った。


 基樹と彩音が顔を見合わせる。


「珍しいこと言うな」


「でもやらないと詰む」


「それはそう」


 彩音が頷く。


「じゃあさ」


 彩音が言う。


「一緒にやる?」


「え」


「どうせ一人じゃやらないでしょ」


 ぐうの音も出ない。


「……頼む」


 素直に言った。


 基樹が笑う。


「いいじゃん」


「走るだけじゃなくなってきたな」


「うるせえ」


 そう言いながら、机の上に教科書を広げる。


 まずは英語。


 開いた瞬間、知らない単語が並んでいた。


「……なあ」


「何」


「これ、どこから走ればいい?」


「走らないで」


 彩音に即答された。


「いや、でも基礎からだろ?」


「勉強でその言い方する人、初めて見た」


 基樹が笑う。


「じゃあ、単語からでいいんじゃね」


「単語か」


 ノートを開く。


 とりあえず一つ目の単語を書く。


 意味を書く。


 もう一つ書く。


 三つ目で、手が止まる。


「……きつい」


「早いよ」


「アップでもうキツイ」


「勉強にアップって何?」


 彩音が呆れたように言う。


 基樹は笑いながら、俺のノートを覗き込んだ。


「字、ちょっと荒れてるぞ」


「走った後だから」


「それは関係ない」


「フォームが崩れてるのか」


「字にフォームを持ち込むな」


 彩音にまた止められる。


 少しだけ笑いが漏れた。


 けれど、手は止めない。


 一つずつ書く。


 一つずつ覚える。


 走る時みたいに、いきなり速くはならない。でも、何もしなければ何も増えない。


「巴もこういうのやってんのかな」


 ふと口に出る。


 彩音が、少しだけ目を細めた。


「やってるんじゃない?」


「普通に?」


「普通に」


 彩音はそう言った。


「すごいけど、たぶん何もしないでできてるわけじゃないよ」


 その言葉に、少しだけ黙る。


 そうだ。


 巴は最初から遠いところにいるように見える。


 でも、あの走りも。


 成績も。


 たぶん、積み重ねた結果だ。


「……そっか」


「だから、恒一もやればいいじゃん」


 彩音が言う。


「今さらでも」


「今さらって言うな」


「じゃあ、今日から」


「それならいい」


 基樹が笑う。


「単純だな」


「うるせえ」


 でも。


(やるしかない)


 巴はやっている。


 走っている。


 積み重ねている。


 それでも、勉強を置き去りにはしていない。


(だったら)


 俺も、やるしかない。


 その日から。


 “走る”だけじゃなく。


 “積み重ねる”ものが、もう一つ増えた。

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