第30話 やさしい距離
グラウンド
放課後、練習が終わった。
「……っはぁ……」
その場に座り込む。
足が重い。
呼吸も、まだ整わない。
(きつ……)
初日ではない。
それでも、慣れないものは慣れなかった。
(陸上部って、毎日これやってんだよな)
地面を見つめたまま、小さく息を吐く。
そのときだった。
「……あの」
小さな声が聞こえた。
顔を上げる。
そこに、小柄な女子が立っていた。
少しだけ距離を取っている。
白石ひより。
一年生だったと思う。
陸上部ではない。
けれど、最近、グラウンドの端の方で何度か見かけたことがあった。
こっちを見ているような気がしていた子だ。
「これ……」
ひよりが差し出してきたのは、ペットボトルのスポーツドリンクだった。
まだ開けていない、新品のボトル。
「え?」
「よかったら……」
遠慮がちな声だった。
押しつける感じはない。
ただ、両手でそっと差し出している。
「……ありがとう」
受け取る。
ボトルは冷たかった。
それだけで、少しだけ体が楽になる気がした。
「……すみません、急に」
「いや、大丈夫」
一口飲む。
冷たさが喉にしみた。
「助かる」
ひよりが、少しだけほっとした顔をした。
「……あの」
それから、ひよりはもう一度口を開いた。
さっきより、少しだけ勇気を出すように。
「ずっと、見てました」
「……え?」
「最近、ずっと走ってるの」
ひよりは目を合わせない。
けれど、言葉はちゃんと出ていた。
「すごいなって」
一瞬、返事に詰まる。
「……すごくはないだろ」
「そんなことないです」
すぐに否定された。
「毎日、来てるし」
「きつそうなのに、やめないし」
静かな声だった。
けれどそれは、なんとなく言った言葉ではなかった。
ちゃんと見ていた人の言葉だった。
「……まあ」
少しだけ視線を逸らす。
「やるって決めたから、それだけだよ」
ひよりが、少しだけ笑った。
「いいと思います」
優しい言い方だった。
励ますというより、ただ、そのまま肯定するような声。
「……ありがとう」
さっきとは、少し違う意味で言った。
少しだけ沈黙が落ちる。
けれど、気まずくはなかった。
「……じゃあ」
ひよりが一歩下がる。
「頑張ってください」
軽く頭を下げた。
「ああ」
短く返す。
ひよりはそのまま去っていく。
足音も、ほとんど残らない。
もう一度、一人になる。
手の中のペットボトルを見る。
(見てた、か)
巴とは違う。
隣で走るわけでもない。
同じ場所で競うわけでもない。
けれど。
(ちゃんと見てるやつ、いるんだな)
小さく息を吐く。
もう一口、スポーツドリンクを飲む。
さっきより。
少しだけ、呼吸が楽になっていた。彼女の言葉も思い出して。




