第24話 頭を下げる理由
二年A組教室
教室の空気が、静かに揺れていた。
さっきまであった“確信”は、もう消えている。残っているのは、戸惑いと気まずさだった。
西園寺さつきが、ゆっくりと視線を落とす。
その周りにいた女子たちも、同じように黙っていた。
(……やばい)
そんな空気だけが、教室の中に漂っている。
「……行こ」
誰かが小さく言った。
西園寺たちが、そそくさと教室の出口へ向かう。
逃げるように。
その時だった。
「おい」
基樹の声だった。
教室の空気が、また止まる。
西園寺たちが振り返った。
「そのまま出ていくのか?」
低い声だった。
怒鳴ってはいない。
でも、かなり怒っているのが分かった。
「……え?」
西園寺が、かすかに声を漏らす。
基樹は、はっきりと言った。
「謝れよ」
「……」
「全員で」
一瞬、空気が張り詰める。
西園寺は言葉に詰まった。
周りにいた女子たちも、気まずそうに視線を泳がせている。
俺は、その光景を見ていた。
謝ってほしい。
そう思わなかったわけじゃない。
でも、目の前で全員に頭を下げられるところを想像すると、胸の中が妙に重くなった。
勝ったわけじゃない。
誰かを負かしたかったわけでもない。
ただ、違うことを違うと分かってもらえれば、それでよかった。
「……いい」
俺は、口を開いた。
基樹がこちらを見る。
彩音も、静かに俺を見ていた。
「分かってもらえたなら、それでいい」
「恒一」
「別に、謝らなくても」
そう言った瞬間、教室の空気が少しだけ揺れた。
基樹は何か言いたそうだった。
でも、すぐには口を開かなかった。
その代わりに。
小さな声がした。
「いや」
西園寺だった。
ゆっくりと、俺の方へ向き直る。
顔を上げる。
さっきまでの強気な表情は、もうなかった。
「……ごめん」
その一言で、続くように周りの女子たちも頭を下げた。
「……ごめんなさい」
「すみませんでした」
「勝手なこと言って、ごめんなさい」
ぽつり、ぽつりと声が落ちる。
そして、西園寺たちは全員、俺に向かって頭を下げた。
教室が、完全に静まる。
俺は、その光景を見ていた。
(……なんか)
変な感じだった。
嬉しいわけではない。
すっきりしたわけでもない。
勝ったわけでもない。
ただ。
(終わったんだな)
そう思った。
ようやく、止まった。
勝手に広がっていた噂が。
勝手に決めつけられていた空気が。
完全に消えたわけではないのかもしれない。でも、少なくともここでは、一度止まった。
「……もういいよ」
俺は小さく言った。
西園寺たちは、ゆっくりと顔を上げる。
誰も、すぐには何も言わなかった。
西園寺は一度だけ俺を見た。
それから、何かを言いかけて、結局口を閉じる。
そのまま、女子たちと一緒に教室を出ていった。
静寂。
そして。
キーンコーンカーンコーン――
チャイムが鳴った。
いつも通りの音だった。
でも、教室の空気は、少しだけ違っていた。
誰も、もう笑っていない。
代わりに、どこか認識が変わったような視線がある。
朝比奈恒一を見る目が、ほんの少しだけ変わっていた。
基樹が、深く息を吐く。
「……お前、甘いな」
「そうか?」
「そうだよ」
基樹は、少しだけ苦い顔をした。
「でも、まあ」
「なんだよ」
「お前らしいとも思った」
「褒めてるのか?」
「半分くらい」
彩音が、小さく笑う。
「でも、終わってよかったね」
「……ああ」
俺は頷いた。
終わってよかった。
それは本当にそう思う。
でも、巴が来なければ、きっとこうはならなかった。
俺は何もできなかった。
言い訳をしないことを、強さだと思おうとしていた。
けれど、違うことを違うと言う強さもある。
巴は、それをやった。
そして今、俺はその結果の中にいる。
授業が始まる。
日常が戻る。
でも、確実に。
何かが変わっていた。
俺を見る目も。
教室の空気も。
そして、俺自身も。
このまま終わったことにしてはいけない。
巴がまっすぐ言ってくれたからこそ。
基樹が逃げるなと止めてくれたからこそ。
西園寺たちが頭を下げたからこそ。
俺も、次に進まなければいけない。
そう思った。




