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恋愛台帳、時代ズレにつき修正不能  作者: サザルト
第3章 真白な頁に名前が灯る編

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第224話 夕焼けの告白?


 放課後。


 陸上部の練習は、いつもどおり続いていた。県大会が近いこともあり、部員たちはそれぞれ自分の種目の練習に集中している。


 恒一も何本か走り終え、呼吸を整えながらタイムを確認していた。


「巴」


「何だ?」


「次、もう一本いけるか?」


「ああ。問題ない」


 巴がスタート位置へ向かう。


 百九十センチ近い長身。道場育ちのまっすぐな背筋。走る前になると、普段以上に姿勢が引き締まって見える。


 恒一はストップウォッチを構えた。


「準備いいか?」


「ああ」


「じゃあ、行くぞ」


 巴が走り出した。長い脚が大きく前へ出て、地面を蹴るたびに速度が上がっていく。


 恒一はゴール地点で時計を止めた。


「どうだ?」


「悪くない」


「本当か?」


「ああ。ただ、後半もう少し上げられると思う」


「そうか」


「もう一本やる?」


「いや」


 巴は少し考えてから首を横に振った。


「今日はここまでにしておく」


「珍しいな」


「そうか?」


「巴なら、もう一本やるって言うと思った」


「やりすぎてもよくないだろう」


「まあ、それはそうだけど」


 恒一はストップウォッチをしまい、周囲を見る。


 少し前までたくさんいた部員も、かなり減っていた。練習を終えた者から、片づけや着替えに向かっている。


 空も、少しずつ赤くなり始めていた。


「今日も終わりだな」


「ああ」


 巴は空を見る。


 そこで、動きが止まった。


 夕日が校舎の向こうへ沈みかけ、空一面が赤く染まっている。雲にも夕日の色が映り、グラウンドまで薄く赤く見えた。


 巴はしばらく何も言わなかった。


 数日前、千夜に話したことを思い出す。


 部活が終わったあと、人の少なくなったグラウンドで、夕焼けの中、恒一と二人きりになって告白する。


 自分が考えた場面と、ほとんど同じだった。


 けれど。


 ――それまでは、告白しない方がいいと思う。


 千夜にそう言われた。自分も約束した。


 待つ、と。


 だから、今日は言わない。


 巴はそう決めた。


「綺麗だな」


 隣から恒一の声がした。


「……え?」


「夕焼け」


 恒一も空を見上げていた。


「今日はかなり綺麗だな」


「……ああ」


 巴は返事をする。


 その時、別のことを思い出した。


 千夜は言っていた。恒一は、あまり夕焼けが好きではないらしい、と。


 巴は隣を見る。


 恒一は普通に夕焼けを眺めている。嫌そうには見えない。


「恒一」


「何だ?」


「お前、夕焼けは嫌いだったんじゃないのか?」


「夕焼け?」


「ああ」


 恒一は少し考えた。


「どうだったかな」


「覚えていないのか?」


「嫌いってほどじゃなかったと思うけどな」


 恒一はもう一度、赤く染まった空を見る。


「少なくとも、今は嫌いじゃないよ」


「そうなのか?」


「ああ。こういうの、見てても飽きないしな」


「飽きない?」


「うん」


 恒一はしばらく夕焼けを眺めていた。そして、ふと巴へ目を向けた。


「何か、巴みたいだな」


「……私?」


「ああ」


 巴が目を瞬く。


「どういう意味だ?」


「巴が走ってるところも、見てて飽きないから」


「……」


「何本走ってても、ずっと見てられる」


 巴の顔が一気に熱くなった。


「わ、私の走っているところをか?」


「ああ」


「そんなにか?」


「一生懸命やってるの見てると、俺も走りたくなるしな」


 恒一は何でもないことのように答えた。


「だから、全然飽きないよ」


「……そうなのか」


 巴はそれ以上、何も言えなくなった。


 胸がうるさい。


 恒一は再び夕焼けへ目を向ける。


 赤く染まった空には、沈みかけた夕日が浮かんでいる。しばらく、二人とも何も言わなかった。


 けれど巴の頭の中には、さっきの恒一の言葉が残ったままだった。


 ずっと見ていられる。全然飽きない。


 そんなことを、自分に言われたことなどなかった。


 今なら。


 そんな考えが頭をよぎった。


 駄目だ。


 千夜と約束した。まだ告白しない。タイミングが来たら、千夜が教えてくれる。


 そういう話だった。


「巴?」


「……何だ?」


「さっきから静かだけど、疲れたか?」


「いや」


「ならいいけど」


 恒一は再び夕焼けを見る。


 グラウンドには、もうほとんど人が残っていない。少し離れたところで、片づけをしている部員が何人かいるだけだった。


 赤い空。二人きりに近いグラウンド。そして、隣には恒一がいる。


 巴は拳を軽く握った。


 言わない。


 言ってはいけない。


 そう思っているのに。


「恒一」


 名前を呼んでいた。


「何だ?」


 恒一が振り向く。


 巴は一瞬、言葉が出なかった。もう戻れない気がした。


「お前は……」


「うん?」


 巴の顔が少し熱くなる。


「……好きなのか?」


「ああ」


 恒一はすぐに頷いた。


「好きだよ」


 巴の心臓が跳ねた。


 頭の中が、一瞬真っ白になる。


「……そうか」


「ああ」


「私も」


「ん?」


「私も好きだ」


「そうなのか」


「ああ」


 言った。


 とうとう言ってしまった。


 千夜には待つと約束した。それなのに。


 だが、もう止められなかった。


「私は……」


 巴は顔を上げる。


「できるなら、ずっとこうしていたい」


 恒一が少しだけ首を傾げた。


「ずっとは無理だろ」


 巴の表情が止まった。


「……え?」


「いつかはいなくなるもんだ」


 胸の奥が冷たくなる。


「……いなくなる?」


「ああ」


「どうしてだ?」


「ずっと同じままってわけにはいかないだろ」


 巴は何も言えなくなった。


「今はこうして一緒にいられるけど、いつかは終わる」


「……そうなのか」


「ああ」


 巴は俯いた。


 恒一は好きだと言った。自分も好きだと言った。それなのに、ずっとこうしてはいられないという。


 いつかいなくなる。


 いつかは終わる。


 どういうことなのか、分からなかった。


「恒一」


「何だ?」


「お前は……一緒にいたくないのか?」


「いや」


 恒一はすぐに首を横に振った。


「できるなら、ずっと見ていたいと思うよ」


 巴の胸がまた大きく鳴った。


「……本当か?」


「ああ」


 恒一は少し笑った。


「俺は好きだからな」


「……」


 好き。


 その言葉だけなら、嬉しかった。ずっと聞きたかった言葉だった。


 だが。


「だから、今こうしていられる時間は大事にしたいけどな」


「……」


 恒一の表情が少しだけ寂しそうになった。


 巴は、その顔を見た。


 嘘を言っているようには見えない。


 自分と一緒にいたい。好きだ。でも、いつかいなくなる。


 そして恒一自身も、それを寂しいと思っているように見えた。


 巴の中で、話がつながり始めた。


 ――千夜。


 ふと、千夜の顔が浮かんだ。


 告白するなと言った。まだ早いと言った。夕焼けもやめた方がいいと言った。


 もしかして、千夜は知っていたのではないか。


 恒一が、いつかいなくなることを。


 だから自分を止めたのではないか。告白してしまえば、自分が傷つくと分かっていたから。


 それなのに、自分は約束を破った。


 待つと言ったのに、夕焼けが綺麗だったから。恒一と二人きりだったから。


 我慢できなかった。


 ――私が悪い。


 巴は唇を噛んだ。


 告白そのものは、成功したようにも思える。恒一は好きだと言ってくれた。一緒にいたいとも言ってくれた。


 なら、成功したのかもしれない。


 けれど、ずっと一緒にはいられない。いつかいなくなる。


 それなら、ほとんど失敗したのと同じではないか。


「巴?」


 恒一の声が聞こえた。


「どうした?」


「……」


 巴は返事をしなかった。


 目の奥が熱くなり、視界が少しだけ滲む。泣くつもりはなかった。それでも、目元にわずかに涙が浮かんだ。


「巴?」


「……すまない」


「え?」


 巴は顔を背けた。


 恒一に見られたくなかった。


「今日は、もう帰る」


「今から?」


「ああ」


「でも、まだ片づけが――」


「すまない」


 巴はそれだけ言うと、走り出した。


「巴!」


 恒一が呼ぶ。


 だが、巴は止まらなかった。


 グラウンドを抜ける。


 いつもの練習とは違う。速さを意識して走っているわけでもない。


 ただ、その場から離れたかった。


「真田?」


 途中で佐藤の声がした。


 佐藤は片づけを終え、部室へ向かうところだった。巴の様子を見て、足を止める。


「おい、どうした?」


「……何でもない」


「何でもないって、お前――」


 巴は止まらない。佐藤の横をそのまま通り過ぎる。


「真田!」


 もう返事はなかった。


 佐藤は巴の後ろ姿を見る。いつもの巴とは明らかに違う。


 目元が少し赤かったようにも見えた。


「……何があったんだ?」


 佐藤はグラウンドの方を見る。


 そこには恒一が立っていた。


 恒一も、状況が分からない顔をしている。


 ◇ ◇ ◇


 女子更衣室で、巴はほとんど誰とも話さなかった。


 急いで着替え、声をかけられても短く返すだけだった。


 頭の中では、さっきの言葉が何度も繰り返されている。


 好きだ。一緒にいたい。


 でも、ずっとは無理だ。


 いつかいなくなる。いつかは終わる。


 意味が分からない。


 けれど、恒一が嘘をついているようには見えなかった。だから余計に分からなかった。


 ――千夜の言うことを聞けばよかった。


 巴は鞄を持つ。


 今日はもう誰とも話したくなかった。


 特に恒一とは。


 今顔を見れば、本当に泣いてしまうかもしれない。


 巴はそのまま学校を出た。


 ◇ ◇ ◇


 恒一はまだ夕焼けを見ていた。


 さっきまで隣に巴がいた。


 好きだと言っていた。ずっとこうしていたいとも言っていた。


 それなのに、急に涙ぐんで、走って帰ってしまった。


「……何だったんだ?」


 恒一は首を傾げる。


 空を見る。


 夕日は、もうかなり低くなっていた。さっきより赤みも薄くなっている。


「綺麗だったと思うんだけどな」


 恒一には、巴がなぜ泣いたのか、まったく分からなかった。



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