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恋愛台帳、時代ズレにつき修正不能  作者: サザルト
第3章 真白な頁に名前が灯る編

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第222話 嘘

■前田家


 夕方。


 千夜は自宅のリビングで、のんびりと過ごしていた。


 特に予定もなく、スマートフォンを眺めながら時間を潰していると、玄関の呼び鈴が鳴った。


「はーい」


 千夜は立ち上がり、玄関へ向かう。


 確認して扉を開けると、そこに巴が立っていた。


 しかも、いつもより明らかに機嫌がいい。


 口元には笑みが浮かび、どこか嬉しそうにしている。


「巴?」


「ああ」


 巴はにこにことしたまま答えた。


「どうしたの? ずいぶん機嫌いいね」


「そう見えるか?」


「見えるよ」


 千夜がそう言うと、巴はさらに少しだけ嬉しそうに笑った。


 千夜は巴を自分の部屋に案内した。


 ここ最近、巴はずっと機嫌がよかった。


 恒一と両思いになったと、本人はそう信じているのだから、当然なのかもしれない。


 だが今日は、それ以上だった。


 いつもよりさらに機嫌がいい。


 千夜は、その様子を見て少し嫌な予感がした。


「ちょっと聞いてほしいことがある」


「うん」


「今日、部活してただろ」


「うん」


「終わる頃、夕焼けがすごく綺麗だったんだ」


「夕焼け?」


「そう」


 巴が頷く。


「それで思ったんだけど」


「何?」


「部活が終わったあと、夕焼けを二人で見ながら恒一に告白するのはどうかな」


「……」


 千夜は一瞬、返事ができなかった。


「グラウンドに人が少なくなってから、恒一と二人になって」


「うん」


「夕焼けが綺麗な時に、ちゃんと好きだって言う」


 巴の顔が少し赤くなった。


「結構いい雰囲気だと思うんだよね」


「……うん」


「どう思う?」


 千夜は想像してみた。


 部活が終わったあとのグラウンド。


 人も少なくなっている。


 夕焼けの中で二人きり。


 そこで巴が恒一に気持ちを伝える。


「……いいと思う」


「本当?」


「うん。かなり」


 普通にいい。


 むしろ、告白を思いとどまらせなければならない時に限って、どうしてこんなにまともなものを考えてくるのだろう。


「やっぱりそうだよね」


 巴が嬉しそうに笑う。


 千夜は困った。


 これが以前なら、そのまま勧めていたかもしれない。


 だが、今は駄目だった。


 昼休みに基樹と彩音と話したばかりだ。


 今の巴が告白したら、恒一はどう答えるのか。


 たぶん、嫌いだとは言わない。


 むしろ。


 ――俺も巴のことは好きだ。


 そこまでは言うのかもしれない。


 そのあと。


 ――大切な部活の仲間だし、俺が目指してる大切な陸上のライバルだから。


 そんなことまで続ける可能性がある。


 今の巴がそれを聞いたら、かなり傷つくだろう。


「いつにしようかな」


「え?」


「次に夕焼けが綺麗な日でもいいかなって」


「ちょっと待って」


「何?」


「それは……」


 千夜は言葉に詰まった。


 ここで本当の理由は言えない。


 まだ恒一が、巴を恋愛の相手として見ているとは言い切れない。


 そんなことを今の巴に言えば、どうなるか分からなかった。


 どうにか別の理由を考えないといけない。


 その時。


「巴姉、告白するんですか?」


「え?」


 二人が同時に振り返る。


 いつの間にか千瀬がいた。


「千瀬」


「はい」


「いつからいた?」


「夕焼けの中で告白するっていう辺りからです」


「結構前じゃないか」


「はい」


 千瀬は興味津々といった顔で巴を見る。


「本当に告白するんですか?」


「……するつもりだけど」


「そうなんですね」


「千瀬」


「はい?」


 巴が少し真剣な顔になる。


「このこと、誰にも言うなよ」


「大丈夫です」


「本当か?」


「はい。今日は聞いてるだけです」


「その言い方が少し怖いんだけど」


「見学です」


「何の?」


「人生経験です」


「……人生経験?」


「恋愛経験ですね」


「人の話を聞いてるだけだろ」


「それでも経験にはなると思います」


「そうなのか?」


「たぶん」


 巴は少し考えた。


「まあ、誰にも言わないならいいけど」


「言いません」


 千夜は二人のやり取りを見ながら頭を抱えたくなった。


 余計な時に千瀬まで来てしまった。


 だが今は、それより巴を止めないといけない。


「巴」


「何?」


「やっぱり、夕焼けの時はやめた方がいいかも」


「え?」


 巴がこちらを見る。


「さっき、いいって言ったよね」


「シチュエーションとしてはいいと思う」


「じゃあ、何で?」


「それが……」


 千夜は少し迷った。


 そして。


「この前、基樹くんと彩音に聞いたんだけど」


「うん」


「朝比奈君、夕焼けが嫌いみたい」


「そうなの?」


「……うん」


 言ってしまった。


 完全な嘘だった。


 基樹も彩音も、そんなことは一言も言っていない。


 そもそも恒一が夕焼けを好きなのか嫌いなのか、千夜は知らない。


 ごめん、朝比奈君。


 心の中で謝った。


「知らなかった」


「私も、この前聞いて知ったから」


 また嘘を重ねてしまった。


「そうだったんだ」


 巴は素直に納得している。


「危なかった」


「え?」


「知らなかったら、そこで告白するところだった」


「……うん」


「教えてくれてありがとう、千夜」


「……どういたしまして」


 胸が少し痛んだ。


 巴は何も疑っていない。


 むしろ本気で感謝している。


 このままだと、次は別の場所を考えてくるだろう。


 それでは意味がない。


「だからさ」


「うん」


「告白する場所は、私が探してみるよ」


「千夜が?」


「うん」


「いいの?」


「ちゃんと朝比奈君に合いそうな場所を考えてみる」


「……そっか」


「それに、場所だけじゃなくてタイミングも大事だから」


「タイミング?」


「そう。今なら大丈夫っていう時になったら、私から言うよ」


「千夜が教えてくれるの?」


「うん」


「それまでは、告白しない方がいいと思う」


 巴はしばらく考えた。


 千夜は少し緊張しながら返事を待つ。


「……分かった」


「本当?」


「うん」


 巴が大きく頷いた。


「千夜が言うなら間違いないと思う」


「……」


 また胸が痛んだ。


「じゃあ、それまで待つ」


「うん。その方がいいと思う」


「頼むな、千夜」


 巴が千夜の手を取った。


「え?」


 両手でしっかりと握られる。


「本当にありがとう」


「いや……」


「ずっと相談に乗ってくれてるだろ」


「まあ……うん」


「千夜のおかげで、ここまで来られた」


「……」


「料理のこともそうだし、恒一のこともそうだし」


 巴は本当に嬉しそうだった。


「今度のことも頼む」


「……うん」


「千夜なら安心できる」


「……うん」


 ごめん。


 千夜は心の中で謝った。


「本当に助かってる」


 ごめん。


「これからも頼むな」


 ごめん、巴。


 お礼を言われるたびに、心が痛かった。


「お姉ちゃん、すごく頼りにされてますね」


「千瀬」


「はい?」


「今は黙ってて」


「はい」


 千瀬は素直に口を閉じた。


 しばらくして、巴が立ち上がった。


「じゃあ、今日は帰る」


「うん」


「いい場所が見つかったら教えてくれ」


「分かった」


「タイミングも」


「うん」


「頼むな」


「……任せて」


 また嘘をついた気分になった。


「じゃあ、また明日」


「また明日」


 巴は満足そうな顔で部屋を出ていった。


 やがて玄関の扉が閉まる音がする。


 千夜はしばらく何も言わなかった。


「朝比奈先輩が夕焼け嫌いなんて、知りませんでした」


「千瀬」


「はい?」


 千夜が勢いよく振り返った。


「あんた、今の話、絶対に誰にも言っちゃ駄目だからね」


「え?」


「絶対に」


 千夜は千瀬をじっと睨んだ。


「巴が告白しようとしてることも、夕焼けのことも、誰にも言わない!」


「分かりました」


「本当に?」


「はい」


「朝比奈君にも?」


「言いません」


「友達にも?」


「言いません」


「絶対?」


「絶対です」


「……」


 千夜は千瀬を見たまま、少し考えた。


 いや。


 駄目だ。


「千瀬」


「はい?」


「やっぱり、全部忘れて」


「……全部ですか?」


「全部」


「今日のことを?」


「今日ここであったこと、全部」


「巴姉が来たことも?」


「忘れて、なかったことに」


「告白の相談をしてたことも?」


「忘れて」


「夕焼けのことも?」


「忘れて」


「お姉ちゃんが場所を探すって――」


「それも忘れて」


「でも、何で――」


「千瀬! 言い返さない!」


 千夜が睨む。


「……はい。すみません」


 千瀬は素直に口を閉じた。


「今日ここで聞いたことも、見たことも、全部なかったことにするの」


「分かりました」


「誰にも話さない」


「はい」


「理由も聞かない」


「はい」


「全部忘れる」


「分かりました。全部忘れます」


「よし」


 千夜はようやく息を吐いた。


 千瀬はまだ少し不思議そうだったが、それ以上は何も聞かなかった。


 これで、とりあえずは大丈夫だろう。


 巴の告白も止めた。


 千瀬にも口止めした。


 しばらくは時間を稼げるはずだ。


 ただ。


「……朝比奈君にも、いつか謝らないとな」


 勝手に夕焼け嫌いにしてしまった。


 基樹と彩音にも、言ってもいないことを言ったことにしてしまった。


 そして。


 何より、巴にも初めて嘘をついてしまった。


 いつかは謝らなければならない。


 千夜は大きく息を吐いた。


「……本当に、なんで私がこんなに苦労してるんだろう」


 答えてくれる者はいなかった。



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