第221話 告白はまだ早い
■二年A組・教室
昼休み。
恒一は陸上部の用事で顧問に呼ばれ、職員室へ行っていた。
教室へやってきた千夜は、中を見回して基樹と彩音を見つけると、そのまま二人のところへ向かった。
「ちょっと二人に聞きたいことがあるんだけど」
「俺たちにですか?」
「何?」
「巴のこと」
その一言で、二人の表情が少し変わった。
「突然ですね」
千夜は基樹の反応を無視して話を続けた。
「巴ね。今、自分と朝比奈君は両思いだと思ってる」
「……え?」
彩音が目を丸くした。
「もう、そこまで二人の仲は進んでるんですか?」
「巴の中ではね」
「どういうこと?」
「この前、朝比奈君から、今まで気持ちに気づけなくてすまなかったって言われたらしいの」
「ああ……」
「それと、お互いに名前で呼ぶようになったから」
基樹と彩音が顔を見合わせた。
「それで、自分の気持ちに気づいてもらえたと思ったんですね」
「うん」
「なるほどね……」
彩音が少し困った顔をした。
「おかげで巴、最近ずっと機嫌がいいよ」
「そんなに?」
「すごく。もう、いつ告白しようか考えてる」
「告白?」
二人の声が重なった。
「最初は明日言うって言ったから、それは先日止めたけどね」
「止めたんですか?」
「そういうのって雰囲気もあるでしょ。ちゃんとそういう雰囲気になった時に言った方がいいって」
「それで?」
「分かったって」
彩音が額に手を当てた。
「もうそんなところまで進んでるのね……」
「だから困ってるの」
千夜は二人を見る。
「この前、朝比奈君、私のことまで名前で呼ぼうとしたでしょ」
「ああ……」
「それで、やっぱり巴が思ってるのとは少し違うんじゃないかと思って」
「千夜は途中からだったから知らないと思うけど、あの日はもっと大変だったの」
「もっと?」
「クラスの女子まで名前で呼び始めたの」
「……みんなに?」
「大切なクラスメイトだからって」
千夜が目を瞬いた。
「名前で呼んだ理由を、大切だからって説明しようとしてたのは知ってるよ。私も言われたから」
「止めなかったら、他の女子にも同じ説明をしてたと思います」
基樹が苦笑した。
「北条さんが、名前で呼んでほしいと言われた相手だけそうすればいいって説明して、ようやく納得したので」
「……それなら、名前だけで両思いって判断するのは危ないね」
「そうね」
千夜は少し考えた。
「じゃあ、朝比奈君にとって巴って、実際どうなの?」
「特別だとは思いますよ」
基樹はすぐに答えた。
「そこは俺もかなり確信あります」
「そんなにはっきり分かるの?」
「分かるよ」
彩音が答えた。
「恒一、巴のことになると今までの女の子とは全然違うもの」
「例えば?」
「まず陸上」
「陸上?」
「恒一が最初に巴へ近づいたのって、走ってる姿を見たからなのよ」
「綺麗だと思って、自分もああなりたいって」
基樹が続けた。
「今でもずっと、真田さんを追いかけてますからね」
「それに、真田家の道場にも通ってるでしょ」
「そうそう」
「強くなりたいっていうのも、元をたどれば真田さんへの憧れがかなり大きいと思います」
「陸上だけじゃないんだ」
「うん」
彩音はさらに続ける。
「料理だってそう」
「ああ……この前の朝ご飯?」
「そう」
千夜も事情を知っているらしく、微妙な顔になった。
「あれだけ大変なことになったのに、恒一は巴に料理をやめろとは言わなかった」
「自分で教えることにしたんですよ」
「一緒に作って、ちゃんと上手くなるようにしてる」
「……確かに、そこまでやるんだね」
「真田さんが頑張ってるからって、切り捨てないんです」
基樹が言った。
「陸上で追いかけて、道場にも通って、料理まで一緒にやってる」
彩音が指を折るように並べた。
「それで最近は、巴って名前で呼んでる」
「それは巴に頼まれたからでしょ?」
「もちろん。でも、あの日あれだけ名前呼びで暴走したのに、結局今も名前で呼んでる女子は巴だけなのよね」
「あ」
千夜が気づいた。
「そうか」
「だから、巴が特別じゃないってことはないと思う」
「なるほどね」
千夜は少し納得した様子だった。
だが、すぐに首を傾げる。
「だったら、もっと分からないんだけど」
「何が?」
「朝比奈君、昔はあんなに簡単に告白してたのに、今はずいぶん慎重だよね」
「昔の恒一は、結構いろんな女の子に告白してましたから」
「巴に告白して振られる前から、それまでに何人にも振られてたしね」
「かなりひどかったな」
彩音も頷いた。
「そして、全部振られてた」
「何してたの、朝比奈君……」
「私たちも何度そう思ったことか」
彩音がため息をついた。
「昔の恒一って、ちょっといいなと思っただけで、すぐそれを好きだと思ってた」
「ちょっといいな?」
「自分にないものを持ってる人に、すぐ憧れてたんです」
基樹が説明する。
「もっと洗練されたいとか、その人みたいに楽しそうに生きたいとか」
「その人のそばにいたら、自分もそうなれるかもしれないって感じ」
「それを恋愛だと思ってたんだ」
「たぶん」
「それで告白してたんだね」
「そう」
「それで振られてた」
「はい」
「……分かりやすいね」
「ものすごく分かりやすかったよ」
彩音が苦笑した。
「巴にも告白したんだよね」
「そうだね」
「それで振られた」
「うん」
千夜は少し考えた。
「でも、朝比奈君って、巴に振られてから他の女の子には告白してないよね」
「そう」
彩音が頷いた。
「昔なら、また誰かをいいなと思ったら告白してたのにね」
「そうだな」
基樹が答えた。
千夜がふと思い出したように続ける。
「そういえば、朝比奈君が巴に渡した手紙もあるよね」
「ああ」
「名前だけ書いたやつ」
彩音がすぐに答えた。
「覚えてる」
基樹も頷いた。
「巴、あれ今でも大事に持ってるよ」
「……え?」
彩音が千夜を見た。
「まだ持ってるの?」
「うん。宝物みたいに大切にしてる」
基樹と彩音が顔を見合わせた。
「そこまでは知らなかった」
「私も」
彩音は少し驚いた顔のまま千夜を見る。
「じゃあ巴、本当に恒一のこと好きなのね」
「だから最初からそう言ってるでしょ」
「好きなのは分かってたけど、昔の手紙を今でもそこまで大事にしてるとは思わなかった」
「巴にとって朝比奈君が特別なのは間違いないよ」
「それは分かった」
彩音が頷いた。
「でも、恒一の方は、まだ憧れの方が強いんじゃない?」
「憧れ?」
「陸上でも、道場でも、恒一は巴を追いかけてるでしょ。巴みたいになりたいっていう気持ちはかなり強いと思う」
「恋愛とは違うってこと?」
「今のところは、そこまで行ってないんじゃないかって私は思う」
千夜が基樹を見る。
「基樹くんは?」
「俺も、真田さんが特別なのは間違いないと思います。でも、それが恋愛として好きなのかまでは分からないです」
「やっぱり分からないんだ」
「正直、あいつの気持ちはさっぱりです」
千夜は少し考え込んだ。
「じゃあ、どうしたらいいんだろう」
「俺は、真田さんは今のままでいいと思います」
「今のまま?」
「今まで通りで。恒一が追いついて、声をかけてくるまで待っててもいいんじゃないですか」
「私はちょっと違うかな」
彩音が言った。
「違う?」
「待ってるだけじゃ、たぶん進まないと思う。それにもう待てないんじゃないかな」
「じゃあ、巴の方から告白した方がいいってこと?」
「そこまでは言ってない」
彩音は首を横に振った。
「巴の方からも、もう少し恒一に歩み寄った方がいいってこと」
「歩み寄る?」
「恒一、巴の好きなタイプも勘違いしてると思う」
「ああ……」
「前に巴、本多忠勝が好きだって言ってたでしょ」
「言ってたね」
「山下先輩みたいな強い人にも憧れてたし、恒一のことも、強そうじゃないみたいに言ってた」
千夜が少し笑った。
「それは巴にも責任あるね」
「でしょ?」
「本人、もう忘れてそうだけど」
「巴ならありそう」
「でも恒一の方は覚えてるかもしれない。だったら、巴が自分を恋愛対象にするなんて思わなくてもおかしくないでしょ」
「だから、そこを巴の方から少し変えていく?」
「そう。いきなり告白するんじゃなくて、例えば、恒一みたいな男性も好きだとか、さり気なく言ってみたり」
基樹が彩音を見る。
「俺は、今まで通りでもいいと思うけどな」
「そこは意見が違うわね」
「みたいだな」
千夜は二人の顔を交互に見た。
「でも、二人とも今は両思いだと思ってないんだよね?」
「俺は思ってないです」
「私も」
「巴が朝比奈君にとって特別なのは間違いない。でも、恋愛として好きなのかはまだ分からない」
「そういうことです」
「私もそこは同じ」
千夜はしばらく考えたあと、頷いた。
「分かった」
「どうするの?」
「今まで通り朝比奈君とは仲良くしてもらう。巴の方から少し歩み寄るのも止めない」
そこで一度言葉を切った。
「でも、告白だけはもう少し待ってもらう」
「それがいいと思う」
彩音が答えた。
「俺も、それならいいと思います」
「じゃあ、そうする」
千夜は小さく息を吐いた。
「でも、どこまで止められるか分からないよ」
「そんなにですか?」
「今、本当にずっと機嫌がいいから」
「両思いだと思ってるからね」
「たぶんね」
千夜は二人に礼を言うと、そのまま教室を出ていった。




