↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
恋愛台帳、時代ズレにつき修正不能  作者: サザルト
第3章 真白な頁に名前が灯る編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
212/229

第210話 相談相手は三人いる 

■一ノ瀬家


 朝比奈恒一は、どうにか一ノ瀬家までたどり着いた。


 体調は、朝よりはいくらかましになっている。


 しかし、万全にはほど遠い。


 腹はまだ重かった。


 歩くたびに、朝食の記憶が体の中で揺れるような気がする。


 玄関の前で一度息を整え、チャイムを押した。


 しばらくして、扉が開く。


 一ノ瀬彩音だった。


「恒一」


「ああ」


「本当に来たの?」


「来た」


「無理して来なくてもよかったのに」


「いや」


 恒一は首を横に振った。


「次に真田が来るまでに、何とかしないと困る」


 彩音は一瞬だけ黙った。


「……そこまで?」


「うちの家族は、今、体がすごいことになっている」


「体がすごいことに」


「父さんは会社を休んだ。母さんは台所に近づきたがらない。俺もまだ腹が重い」


「想像以上ね」


「次も同じことになったら、下手をすると全員病院送りだ」


 彩音は少しだけ目を細めた。


「それ、本当に大丈夫なの?」


「だから早く相談しないといけない」


 恒一は真剣だった。


「三人に話を聞いてほしい」


「分かった。とりあえず上がって」


 彩音がそう言ったところで、奥から別の声がした。


「お姉ちゃん、誰?」


 顔を出したのは、彩音より少し幼い少女だった。


 制服姿で、まだ帰ってきたばかりらしい。


 一ノ瀬清音だった。


「あ、朝比奈さん」


 清音はぱっと表情を明るくする。


「お久しぶりです」


「久しぶり、清音」


 恒一は少し驚いたように清音を見た。


「大きくなったな」


「もう中学一年生になりました」


 清音は少し照れたように笑った。


 彩音と似た顔立ちではある。


 けれど、少なくとも外から見える雰囲気はだいぶ違っていた。


 彩音が明るくて少し騒がしいなら、清音はもう少しおとなしく、丁寧に見える。


「その制服、創女か?」


「はい」


「お嬢様学校だよな」


「そんな、大げさですよ」


 清音は笑って首を横に振った。


 恒一は素直に言った。


「やっぱり彩音と違って、慎ましくてお嬢様っぽいな」


 彩音の顔が無表情になった。


「恒一」


「何だ」


「相談、聞かないわよ」


「すまない」


 恒一はすぐに頭を下げた。


「本当のことを言ってしまった」


「そこが余計よ」


 彩音は軽く恒一の腕を叩いた。


 清音は口元に手を添え、二人のやり取りを楽しそうに眺めている。


「お姉ちゃんも、十分素敵だと思いますよ」


「清音はいい子ね」


「俺もそう思う」


「恒一は黙って」


「分かった」


 彩音はため息をつき、玄関の奥を指した。


「とりあえず上がって。二人はもう待ってるから」


「ああ」


 恒一は靴を脱ぎ、一ノ瀬家へ上がった。


 体は重い。


 だが、ここまで来た以上、相談しなければならない。


■彩音の部屋


 彩音の部屋には、すでに三浦基樹と三浦純也がいた。


 基樹はいつものように、少し呆れた顔をしている。


 純也は床に座り、こちらを見て軽く手を上げた。


「よお、恒一」


「純也」


「顔色が悪いな」


「今日の朝からずっとだ」


「彩音から少し聞いたけど、料理で家庭崩壊しかけてるんだって?」


「しかけている」


 恒一は部屋に入り、ゆっくりと腰を下ろした。


 座った瞬間、腹がまた重くなった気がする。


 彩音は扉を閉めると、腕を組んで恒一を見た。


「それじゃ、相談の中身をちゃんと聞こうか」


「ああ」


「真田さんが作った朝ご飯が原因で、家庭崩壊しかけてるのは分かった」


「分かったのか」


「分かるわけないでしょ。言葉だけ聞いたら分かるけど、中身が分からない」


 純也が身を乗り出す。


「真田さんは何を作ったんだ? 普通の朝食か?」


「普通ではない」


 基樹が眉をひそめる。


「まず、何が出たんだ」


 恒一は、朝にあったことを話した。


 真田巴が朝六時に来たこと。


 形が少し崩れ、かなり強く焼かれた卵焼きを作ったこと。


 もやしのおひたしと称して、山盛りの茹でもやしに醤油をかけたものが出たこと。


 味噌汁には鶏肉、牛肉、豚肉が大量に入り、もはや普通の味噌汁とは呼べないものになっていたこと。


 そして、四人それぞれの前に置かれた三倍GIGAMAXカップラーメンへ、ステーキのような肉や揚げ物、ゆで卵、もやし、ポテトチップス、たくあんなど、巴の好きなものが次々にトッピングされたこと。


 母が途中で体調を崩して退避したこと。


 父が逃げようとしたところを、恒一が前日の約束を理由に引き止めたこと。


 父と恒一が、涙目になりながら食べられる限界まで食べたこと。


 最後に巴が、


「今度来た時は、もっとすごいものを食べてもらえるようにします」


 と言い、満足そうに帰ったこと。


 話し終えるころには、三人とも黙っていた。


 最初に噴き出したのは彩音だった。


「ちょっと待って」


 彩音は口元を押さえる。


「三倍GIGAMAXを一人一個?」


「ああ」


「四個?」


「ああ」


「朝から?」


「ああ」


「しかも、味噌汁に肉三種類?」


「ああ」


 彩音はついに笑い出した。


 基樹も顔をそらし、肩を震わせる。


 純也は声を出して笑った。


「いや、すごいな。聞いてるだけなら、めちゃくちゃ面白い」


「聞いているだけならな」


 恒一は真剣に言った。


「実際に俺の立場になったら笑えないぞ」


「それはそうだろうけど」


 純也はまだ笑っていた。


「でも、絵面が強すぎる」


「全然面白くない」


「恒一の親父さん、よくそこまで食べたな」


「前の日に、笑顔で全部食べると言ってしまったからな」


「そこで約束を守らせるのもどうなんだよ」


「俺も同じものを食べた」


「そういう問題じゃない」


 基樹がようやく口を開いた。


「それで、恒一はどうしたいんだ」


「真田を傷つけたくない」


「うん」


「だが、同じように一人で作られたら、また朝比奈家が倒れる」


「うん」


「父さんと母さんには、明日以降の朝比奈家を守ってくれという目で送り出された」


「何だ、その期待」


「家庭を守ることを期待されている」


 彩音が笑いながら言った。


「つまり、もう真田さんに来てほしくないのね」


「いや」


 恒一は首を横に振った。


「来ること自体が嫌なわけじゃない」


「違うの?」


「ああ。真田は俺の家のために作ってくれた。それはありがたいと思っている」


「じゃあ、何を止めたいの?」


「一人で、好きなものを好きなだけ入れて作ることだ」


「なるほどね」


 彩音は少しだけ納得したように頷いた。


「訪問禁止にしたいわけじゃなくて、料理の暴走を止めたいのね」


「そうだ」


 純也が腕を組む。


「本当のことをそのまま言うと、傷つけそうなんだな」


「ああ」


「それは相当難しいな」


 彩音も頷く。


「これは難しいね」


「そうだろ」


「めちゃくちゃ面白いけど」


「あまり面白がらないでくれ」


「ごめん。でも面白いのは面白い」


 恒一は腹を押さえた。


「早く解決しないと、俺だけでなく両親も大変なことになる」


「お父さんは、本当に会社を休んだのよね」


「ああ」


「一回の朝食で会社を休むって相当よ」


「相当だったんだ」


 基樹が少し落ち着いてから言った。


「料理を教えたらいいんじゃないか」


「それは、下手だと言っているようなものにならないか」


「実際、下手なんじゃないか?」


「それをそのまま言えないから相談している」


「ああ、そうだった」


 純也が口を開く。


「それより、特訓してきたって言ってたんだよな。誰に教えてもらったんだ?」


「前田千瀬だ」


「千瀬ちゃんね」


「ああ」


 彩音が少し首を傾げた。


「あの子なら、ちゃんと教えそうだけどね」


「俺もそう思う」


「じゃあ、どうしてあんなことになったの?」


「分からない」


 純也が顎に手を当てる。


「そこは確認した方がいいんじゃないか、恒一」


「千瀬ちゃんに何を教えたのか聞くのか」


「ああ。真田さんが、どこから自分流に変えたのか分かるかもしれない」


「たしかに」


 恒一はスマホを取り出した。


 千瀬へ直接かけるか迷ったが、まず千夜へ電話することにした。


 呼び出し音のあと、前田千夜の声が聞こえる。


『はい』


「前田さんか。朝比奈だ」


『朝比奈くん? どうしたの?』


「千瀬ちゃんに少し聞きたいことがある。料理の件で」


 電話の向こうで、わずかな沈黙があった。


『……ああ』


 千夜の声が、すべてを察したような響きになる。


『ちょっと待って。千瀬に代わるね』


 少しして、千瀬の声が聞こえた。


『はい。前田千瀬です』


「朝比奈だ」


『朝比奈先輩』


 千瀬の声は、明らかに緊張していた。


「今日の朝、真田が料理を作りに来てくれた」


『はい』


「そのことで、少し確認したい」


『……はい』


「千瀬ちゃんは、真田に何を教えたんだ?」


 電話の向こうで、千瀬が小さく息を飲んだ。


『すみません』


 いきなり謝られた。


 恒一は少し驚いた。


「いや、責めているわけじゃない」


『でも、すみません。止めようとはしたんです』


「何を教えたんだ?」


『卵料理は一つだけにして、卵焼きにしました』


「ああ。そこは守っていた」


『味噌汁は、豪華にするより、普通で安心できるものの方がいいと話しました』


「肉が三種類入っていた」


『……はい』


 千瀬の声が小さくなる。


『三倍GIGAMAXも、一人一個ではなく、皆さんで分けた方がいいと言いました』


「一人一個だった」


『やっぱり……』


「四個あった」


『四個』


「ああ」


 電話の向こうで、千瀬が言葉を失った。


「もやしのおひたしについては?」


『巴姉が、もやしでは駄目かと言ったので、さっと茹でて、水気をよく切って、醤油と出汁で薄めに味付けするように説明しました』


「茹でたもやしに、醤油がかかっていた」


『出汁は……』


「たぶん、入っていない」


『すみません』


「両親の好きなものも、聞くように言ったのか?」


『はい。好き嫌いを事前に確認した方がいいと言いました』


「聞かれていない」


『……はい』


「それと、食べている人の様子がおかしければ、料理を出すのをやめるようにも言ったのか?」


『はい。油汗を流したり、反応がおかしかったりしたら、無理に食べさせない方がいいと』


「父さんは油汗を流していた」


『それなのに、全部出したんですね』


「ああ。美味しくて汗をかいていると思ったらしい」


 千瀬はしばらく何も言わなかった。


『昨日の私の努力は、何だったのでしょう』


「卵焼きにはなっていた」


『守られたのは、そこだけです』


「そうらしいな」


『本当にすみません。私なりに止めようとはしたんです。でも、巴姉は、自分が美味しいと思うものなら、朝比奈先輩のご両親もきっと好きだと言って……』


「そうか」


『私の言ったことも、聞いてはくれたんです。でも、最後にはほとんど自分の好きなものに変えてしまいました』


 千瀬の声は、本気で申し訳なさそうだった。


『朝比奈先輩、すみません』


「いや、分かった」


『本当にすみません』


「千瀬ちゃんは、ちゃんと教えようとしてくれたんだろ」


『はい』


「なら、ありがとう」


『……はい』


「また何かあったら聞くかもしれない」


『分かりました』


 短く話し、電話を切った。


 恒一はスマホを置く。


 三人がこちらを見ていた。


「やっぱり、千瀬ちゃんはちゃんと教えていたらしい」


 恒一は言った。


「ただ、真田は卵焼き以外、ほとんど自分のやりたいように変えてしまった」


「だろうな」


 基樹が頷いた。


「じゃあ、教えるだけでは同じことになるかもしれないな」


「ああ」


「好きなものを途中で追加する可能性があるわね」


 彩音が言う。


「その可能性は高い」


「難しいな」


 純也が腕を組む。


 三人とも、しばらく考え込んだ。


 恒一も黙っていた。


 巴を傷つけずに、料理の暴走を止める方法。


 簡単には思いつかない。


 やがて、彩音がぽつりと言った。


「でも、とりあえず来る回数を決めることはできるんじゃない?」


「来る回数?」


「真田さんって、真白ちゃんに対抗して来てるんでしょ」


「たぶん、そうだと思う」


「だったら、毎日来る必要はないって説明すればいいのよ」


「なるほど」


 基樹が首を傾げる。


「でも、それだけだと、来た日の被害は変わらないぞ」


「被害って言わないの」


「親父さんが会社を休んでるんだから、被害だろ」


「それはそうだけど」


 純也も考える。


「朝比奈家の朝食には決まりがある、ということにしたらどうだ?」


「決まり?」


「材料も量も、作るものも、朝比奈家の方で決めるんだ。それ以外のものは入れない」


「それはいいな」


 恒一は少し前のめりになった。


「それなら、同じことにはならないかもしれない」


「でも、材料を渡すだけだと、真田さんが自分で何か追加するかもしれない」


 基樹が言った。


「そうだな」


「なら、一緒に作ればいいんじゃない?」


 彩音が言った。


「俺が?」


「そう。真田さんに全部任せるんじゃなくて、恒一が横について一緒に料理するの」


 純也が頷く。


「それが一番だろ。作ってるところに一緒にいれば、何か入れそうになっても止められる」


「止めるというより、最初から作るものを決めておけばいい」


 基樹も続ける。


「今日はこれを一緒に作ろうと言えばいいんだ」


「なるほど」


 恒一はゆっくり頷いた。


「それが一番かもしれない」


「真田さんも傷つきにくいしね」


 彩音が言う。


「来ないでと言うんじゃなくて、一緒に作ろうと言う。材料も朝比奈家で用意する。朝比奈家の朝食の量も教える」


「真田も、俺と一緒なら嫌がらないかもしれない」


「むしろ喜ぶんじゃない?」


「そうかもしれない」


 純也が笑った。


「じゃあ決まりだな。真田さんの料理を禁止するんじゃなくて、恒一と共同作業にする」


「共同作業」


 恒一は、その言葉を少し考えた。


 悪くない。


 巴を否定しない。


 朝比奈家の胃袋も守れる。


 そして、巴が料理を作ろうとしてくれた気持ちも、無駄にはしないで済む。


「分かった。家に帰って、父さんと母さんにも相談してみる」


「それがいいわ」


 彩音は頷いた。


「次に真田さんが来る前に決めた方がいいよ」


「ああ」


「じゃないと、第二の三倍GIGAMAXが来る」


 恒一の腹が、わずかに痛んだ。


「それは避けたい」


「全員、避けたいと思う」


 基樹が言った。


 純也も笑う。


「まあ、相談した意味はあったんじゃないか」


「ああ」


 恒一はゆっくり立ち上がった。


 まだ体調は完全ではない。


 だが、ここへ来た時よりも気分は軽くなっていた。


「ありがとう。三人とも」


「どういたしまして」


 彩音が笑う。


「久しぶりに面白い相談だったわ」


「面白くはない」


「恒一にとってはね」


 基樹が肩をすくめる。


「帰りも気をつけろよ」


「ああ」


 純也も手を振る。


「親父さんとお袋さんによろしくな」


「分かった」


 恒一は一ノ瀬家を出た。


 外の空気は、少しだけ冷たかった。


 腹はまだ重い。


 けれど、解決の道は見えてきた。


 朝比奈家の朝食を守りながら、巴の気持ちも否定しない。


 そのために、今度は自分も一緒に作る。


 そう考えると、帰りの足取りは、来た時より少しだけ軽くなっていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。