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恋愛台帳、時代ズレにつき修正不能  作者: サザルト
第3章 真白な頁に名前が灯る編

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第204話 朝食の練習をしましょう

■真田家


 真田巴は、真剣に考えていた。


 昨日、朝比奈恒一から聞いた話である。


 北条真白が、たびたび朝比奈家へ行っている。


 しかも、ただ顔を出しているだけではない。料理を作り、朝比奈の父と母にも自然に受け入れられているらしい。


 それを聞いた時、巴の中で一つの結論が出た。


 料理だ。


 一度はあきらめたものの、朝比奈家に自然に入るためには、やはり料理が必要なのだ。


 巴は剣道も、薙刀も、弓道も、陸上も続けてきた。


 これまでも、反復練習によって技術を身につけてきた。


 料理も技術にすぎない。


 練習さえすれば、自分にできないはずがない。


 巴はスマートフォンを手に取った。


 電話をかけた相手は、親友の妹、前田千瀬だった。


『はい。前田です』


「千瀬か。私だ」


『巴姉? どうしたんですか?』


「頼みがある」


『はい』


「明日の昼休み、料理を教えてもらえないか」


 電話の向こうで、千瀬が一瞬黙った。


『料理、ですか?』


「ああ」


『巴姉が?』


「私が」


『……どうして急に』


「朝比奈の家に出す朝食を練習したい」


『ああ』


 千瀬の声に、納得したような響きが混じった。


『なるほど。そういうことですね』


「そういうことだ」


『分かりました。では、朝食のメニューを考えてきてください』


「分かった」


 電話を切ったあと、巴は小さく息を吐いた。


 朝比奈家の朝食。


 朝比奈の父と母に食べてもらう料理。


 巴の目つきが変わった。


 料理をする人間の目ではない。


 これから試合へ臨む人間の目だった。


■調理室


 翌日の昼休み。


 巴と千瀬は、調理室にいた。


 千瀬はエプロンをつけ、髪を邪魔にならないようにまとめている。


 対する巴は、なぜかいつも以上に背筋を伸ばしていた。


 気合が入りすぎている。


「巴姉」


「何だ」


「今日は料理の練習です」


「ああ」


「試合ではありません」


「分かっている」


 千瀬は少し不安になった。


 分かっている人の目ではなかった。


「それで、朝食のメニューは決まりましたか?」


「ああ。まずは味噌汁」


「いいですね」


「卵焼き」


「はい」


「目玉焼き」


「卵が多いですね」


「それから、カップラーメンだ」


 千瀬は、自分の耳を疑った。


「……最後は何ですか?」


「カップラーメンだ」


「朝食ですよね?」


「ああ」


「朝比奈先輩のご両親に出すんですよね?」


「ああ」


「カップラーメンを?」


「嫌いな人は少ないだろう」


 巴は大きな袋から、巨大な容器を取り出した。


「三倍GIGAMAXカップラーメンだ」


「……」


「私が好きなものだ。美味しい」


 巴は誇らしげだった。


 千瀬は、どう答えるべきか迷った。


「巴姉。朝比奈先輩のご両親が、普段どんな朝食を食べているか知っていますか?」


「知らない」


「好きなものや、苦手なものは?」


「知らない」


「でしたら、まず朝比奈先輩に聞いた方がいいと思います」


「朝比奈に?」


「はい。せっかく作っても、苦手なものだったら困りますから。普段の朝食や、ご両親の好みを聞いておけば、献立も考えやすくなります」


 巴は真剣に考え込んだ。


「事前に相手の情報を集めるのか」


「対戦相手ではありません」


「だが、必要なことではあるな」


「必要です」


 巴は大きく頷いた。


「今度、朝比奈に聞く」


「できれば、自然に聞いてくださいね」


「分かった」


 千瀬は少しだけ安心した。


 これで、まともな方向へ進めるかもしれない。


「では、今日は普通の味噌汁から練習しましょう。材料は持ってきましたか?」


「持ってきた」


 巴が大きな袋を調理台へ置く。


 中から出てきたのは、牛肉、豚肉、鶏肉だった。


 どれも包装に立派な名前がついている。


「巴姉」


「何だ」


「味噌汁の材料ですよね?」


「ああ」


「どうして肉が三種類もあるんですか?」


「朝比奈の両親に、日本一豪勢な味噌汁を飲ませたい」


「朝食は豪勢さだけで決めるものではありません」


「そうなのか」


「毎日食べられる安心感も大切です」


「安心感」


「はい。豆腐とわかめとねぎでも、十分に美味しいです」


 巴は、並べられた肉と、千瀬が用意した具材を見比べた。


「地味ではないか?」


「普通です」


 巴はしばらく黙っていた。


 それから突然、千瀬へ深く頭を下げた。


「千瀬。頼む」


「え?」


「もっと真面目に考えてくれ」


 千瀬は大いに困った。


 自分としては、最初から真面目に考えている。


 朝食として無理のない献立を考え、失敗しにくい材料を選び、朝比奈家の父母が安心して食べられるものを勧めている。


 これ以上、どう真面目になればいいのか分からなかった。


「私も真面目に考えています」


「だが、豆腐とわかめでは地味すぎる」


「地味でも美味しければいいんです」


「朝比奈の両親に出すものだぞ」


「だからこそです」


 千瀬は何とか言葉を続ける。


「最初から豪華すぎるものを出すより、普通に美味しく食べられるものの方が安心すると思います」


「普通に美味しいもの」


「はい」


 巴は頭を上げ、真剣な顔で考え込んだ。


「朝比奈の家に必要なのは、普通なのか」


「少なくとも、最初は普通の方がいいと思います」


「分かった」


 巴は不満そうではあったが、肉を袋へ戻した。


「では、出汁を取りましょう」


「ああ」


 巴はすぐに袋の中を探り、一袋の出汁の素を千瀬へ渡した。


「取った」


「これは、袋から取り出しただけです」


「違うのか?」


「違います」


 千瀬は出汁の素を受け取った。


「家庭で毎朝作るなら、出汁の素を使うのも普通です。ただ、出汁を取るというのは、袋から出すことではありません」


「覚えておく」


 千瀬は鍋に水を入れ、火にかけた。


「味噌汁の具材は、何を考えてきましたか?」


「ネットで調べた。好きなものを入れるのが一番いいらしい」


「家庭料理なので、好みで変えても大丈夫ですね」


「だから、松阪牛とポテトチップスとたくあんを入れる」


「待ってください」


 千瀬の声が、調理室に響いた。


「なぜ止める?」


「何を入れてもいいという意味ではありません」


「私は全部好きだ」


「巴姉が好きなのは分かります。でも、朝比奈先輩のご両親が好きかは分かりません」


「だから、先に好みを聞くのか」


「そうです」


 巴は納得したように頷いた。


「では今日は、少量だけ試す」


「試すんですか?」


「味を知らずに否定するのはよくない」


 巴の目は真剣だった。


 千瀬はしばらく迷った末、鍋を二つに分けた。


 一つは、豆腐とわかめの普通の味噌汁。


 もう一つは、巴が考えた試作品。


 松阪牛は少量。


 たくあんも少量。


 ポテトチップスは、最後に一枚だけ浮かべた。


 千瀬は、完成した鍋を見つめる。


「こちらは試作品です。朝比奈家へ持っていくものではありません」


「分かっている」


「本当に分かっていますか?」


「ああ」


 巴の視線は、試作品の方へ向いていた。


 千瀬は不安だった。


「次は卵料理です」


「卵焼きと目玉焼きだな」


「どちらか一つでいいと思います」


「両方とも朝食らしい」


「卵ばかりになります」


「栄養がある」


「それはそうですが」


「目玉焼きなら作ったことがある。この前も両親に食べさせた」


「ご両親に?」


「ああ。油汗を流しながら、美味しそうに食べてくれた」


 千瀬は、そっと目を伏せた。


「……今回は、卵焼きを練習しましょう」


「目玉焼きは?」


「朝比奈先輩のご両親の好みを聞いてからにしましょう」


「分かった」


 好みを聞くという言葉は、思った以上に有効だった。


 千瀬は少しだけ安心した。


「あと、カップラーメンも好みを聞いてからです」


「三倍GIGAMAXは美味しい」


「巴姉が好きなのは分かっています」


「一つのものを三人で分ければいい」


「分けるんですか?」


「ああ。一つのものを家族で分け合う。家族らしいだろう」


「……言い方だけなら、そうですね」


 千瀬は、それ以上否定できなかった。


 結局、その日の練習では、普通の味噌汁と卵焼きを作った。


 巴の試作味噌汁と、三倍GIGAMAXカップラーメンは、候補として残ったままだった。


「千瀬」


「はい」


「助かった」


「いえ。次までに、朝比奈先輩のご両親の好みを聞いてきてください」


「ああ」


「苦手なものや、普段の朝食もです」


「分かった」


「カップラーメンを出していいかも聞いてください」


「それも聞くのか?」


「必ず聞いてください」


 巴は少し考えたあと、頷いた。


「分かった」


 荷物をまとめ、巴は調理室を出ていく。


 背筋はまっすぐで、足取りも力強い。


 料理の練習を終えたというより、稽古を終えた人間の背中だった。


 扉が閉まり、調理室に静けさが戻る。


 千瀬はそっと両手を合わせた。


 朝比奈先輩のご両親。


 どうか、好みを正直に答えてください。


 特に、三倍GIGAMAXについては。


 もし巴姉が本当に持っていってしまったら、すみません。

 

 止めようとはしました。


 千瀬は心の中で、先に謝っておいた。


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