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恋愛台帳、時代ズレにつき修正不能  作者: サザルト
第3章 真白な頁に名前が灯る編

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第201話 大切な話の中身

■二年A組


 午前最後の授業が終わった。


 チャイムが鳴り、教室が昼休みの空気に変わる。


 恒一はスマートフォンを取り出し、佐藤へ短くメッセージを送った。


『昼休みの終わり頃、部室裏に来てくれ』


 すぐに返事が来る。


『分かった』


 恒一はスマートフォンをしまった。


 これで準備はできた。


 佐藤から預かった新しい練習メニュー表を真田に見てもらい、そのあとで必要な修正点を佐藤へ伝える。


 恒一の中では、それだけの話だった。


 基樹が恒一の席へやってくる。


「恒一、昼はどうするんだ?」


「すまない。俺は行くところがある」


「知ってる」


「そうか」


 恒一はあっさり頷いた。


 その近くで、彩音が口元を押さえる。


「そこ、驚かないんだ?」


「昨日、話したからな」


「そういう意味じゃないんだけど?」


「何がだ?」


「何でもない」


 恒一は鞄から、折りたたまれた紙を取り出した。


 佐藤から預かった新しい練習メニュー表だ。


「行ってくる」


「ああ」


「行ってらっしゃい」


 彩音の声は、明らかに楽しそうだった。


 恒一は軽く頷き、教室を出ていく。


 その背中は一度も振り返らなかった。


 誰かが自分のあとを追うなど、少しも考えていない歩き方だった。


「彩音」


 基樹が低い声で言った。


「何?」


「面白がってるだろ」


「そんなことないわよ」


「顔に出てる」


「出てない」


「出てる」


 彩音は視線を逸らした。


 基樹はため息をつく。


「これは駄目だな」


「何が?」


「色々まずいな。俺がついていく」


「恒一のことが心配だから?」


「あいつがあまりにも疑わなすぎるからな」


「なるほどね」


「あと、お前一人で行かせる方が心配だ」


「どういう意味よ」


「そのままの意味だ」


 基樹は少し離れた席にいる真白を見た。


「北条さんは、どうする?」


 真白は一瞬だけ迷った。


 白い頬に、かすかに赤みが差す。


 けれど、すぐに静かに首を横に振った。


「私は行きません」


「いいのか?」


「はい」


 真白は胸の前で、指先をそっと重ねた。


「恒一様の嫌がることは、したくありませんので」


 基樹は少し目を丸くした。


 彩音も、笑いかけていた顔を戻す。


「……北条さん、偉いわね」


「いえ」


「私たちが悪いことをしてるみたいじゃない」


「実際、かなり怪しいことをしようとしてるぞ」


 基樹が言うと、彩音は小さく唇を尖らせた。


「私は心配してるの」


「笑いながら?」


「心配してるの」


 真白は困ったように二人を見た。


 黒い瞳は少し心配そうだったが、それでも席を立とうとはしなかった。


「心配ではあるんだろ?」


 基樹が尋ねる。


 真白は小さく頷いた。


「はい。ですが、恒一様が二人だけで話すと決めたのなら、私は邪魔をしたくありません」


「……本当によくできてるな」


 基樹が思わずつぶやく。


 彩音が横からじっと見た。


「何よ」


「北条さんはちゃんとしてるなと思って」


「私がちゃんとしてないみたいに言わないで」


「最近の彩音は、面白そうなことを見つけた時だけ動きが早い」


「そんなことない」


「ある」


「ない」


 基樹は諦めたように息を吐いた。


「とにかく、恒一に見つからないようにするぞ」


「分かってる」


 彩音はそう言いながら、すでに立ち上がっていた。


「恒一様たちの邪魔にならないようにしてください」


 真白が静かに言う。


「……それを言われると、本当に悪いことをしてる気分になるな」


「今さらでしょ」


 基樹と彩音は、恒一に気づかれないように教室を出た。


■部室棟へ向かう廊下


 恒一は、まっすぐ部室棟へ向かっていた。


 その後ろを、少し距離を空けて基樹と彩音が歩く。


 恒一は一度も振り返らない。


「本当に気づいてないわね」


 彩音が小声で言った。


「俺たちを疑ってないんだろ」


「信頼されてるのね」


「その信頼を裏切ってる最中だけどな」


「それは言わない約束でしょ」


「そんな約束はしてない」


 その途中で、二人の女子と合流した。


 前田千夜と前田千瀬だった。


「あ、いた」


 千夜が小声で言う。


「やっぱり来たのか」


 基樹は少し意外そうに千夜を見る。


「前田さんは、こういうのを見に来るタイプじゃないと思ってた」


「私は巴が心配だから。確認するだけ」


「確認?」


「本当にそういう話なら、邪魔する気はない。でも、もし違う話なら……」


「違う話なら?」


「巴が大変なことになる前に、少しは事情を把握しておきたい」


「なるほど」


 基樹は納得したように頷いた。


 その横で、千瀬が目を輝かせている。


「千瀬ちゃんは?」


 彩音が尋ねる。


「私は楽しみです」


 千瀬は即答した。


「正直」


「はい。心配もしています」


「どっちが大きいの?」


「楽しみです」


 千夜が妹を横目で見る。


「千瀬!」


「はい」


「少しは隠して」


「すみません」


 謝ってはいるが、千瀬の顔は完全に楽しんでいた。


「彩音さんも楽しそうです」


「私は心配してるの」


「さっきから、皆さん同じことを言っています」


 こうして、四人は恒一の後を追った。


 恒一はやはり振り返らない。


 まるで、自分の後ろで人が増えていることなど、少しも想像していないようだった。


■部室棟裏


 恒一は部室棟の裏へ到着した。


 校舎から少し離れていて、昼休みでも人通りは少ない。


 恒一は部室棟の壁際に立ち、真田を待った。


 片手には、折りたたまれた紙がある。


 佐藤から預かった、新しい練習メニュー表だ。


 少し離れた建物の影に、基樹たちは身を隠した。


「本当に待ってる」


 彩音が小声で言った。


「そりゃ待つだろ」


「申し出た方が先に行くのが当たり前らしいから」


「律儀ね」


「律儀すぎる」


 千夜は、じっと恒一を見ていた。


 千瀬は、すでに目を輝かせている。


「千瀬、声を出さないで」


「はい」


 その時、部室棟の外階段から足音が聞こえた。


 カン、カン、と金属の階段を下りる音が近づいてくる。


 四人が一斉に身を縮めた。


 階段から降りてきたのは、白石ひよりだった。


 ひよりは建物の影に隠れている四人を見て、目を丸くする。


「皆さん、何をしているんですか?」


 小声ではあったが、十分に驚いている声だった。


 彩音が慌てて手招きする。


「ひよりちゃん、こっち」


「え?」


「静かに」


「静かにって……」


 ひよりは困惑しながら近づいた。


 そして、少し離れた場所に立つ恒一の姿を見つける。


「あ、朝比奈部――」


「だめ!」


 彩音が慌てて、ひよりの口を塞いだ。


 ひよりの目がさらに大きくなる。


「んっ」


「今は呼んじゃだめ」


「ぷはっ。何なんですか」


 ひよりは彩音の手から逃れ、小声で抗議した。


「皆さん、昼ご飯も食べずに、こんなところで何をしているんですか?」


「今、すごい場面が見られるかもしれないの」


 彩音が真剣な顔で言った。


「すごい場面?」


「朝比奈部長が、真田副部長と二人だけで大切な話をするんだ」


 基樹が簡単に説明した。


 ひよりは少し黙った。


「……どうして皆さんが隠れているんですか?」


「それはあとで説明する」


「説明できるんですか?」


「たぶん」


「たぶん?」


「俺たちも、話の中身までは知らない」


「余計に不安なんですけど」


 ひよりは不満そうだったが、周囲の空気があまりにも普通ではない。


 結局、その場に加わることになった。


 しばらくすると、部室棟へ向かう道の向こうから真田巴が歩いてきた。


 その瞬間、隠れていた全員の空気が変わる。


 巴は、昨日から続いている柔らかな表情のまま、恒一のもとへ向かっていた。


 いつものまっすぐな姿勢は変わらない。


 けれど、足取りはどこか軽く、口元には隠しきれない笑みが浮かんでいる。


「あれ、真田副部長……」


 ひよりが小さくつぶやいた。


「すごく機嫌がよさそうですね」


「昨日からあんな感じ」


 千夜が小声で答える。


「巴姉、すごく嬉しそうです」


 千瀬も目を輝かせていた。


 巴は恒一へ近づいていく。


 恒一も巴に気づき、壁から背を離した。


「真田」


「朝比奈」


 巴の声は、いつもより少し柔らかかった。


 隠れていた面々が息をひそめる。


 巴は恒一の前で立ち止まった。


「わざわざ、すまなかったな」


「ううん」


 巴は首を横に振る。


「それで、私に用事って?」


 落ち着いた声だった。


 けれど、その口元は完全に緩んでいる。


 恒一は真剣な顔で頷いた。


「ああ」


 そして、持っていた折りたたまれた紙を差し出した。


「自分で説明するのは少し難しい。まず、これを受け取ってほしい」


 巴の目がわずかに揺れた。


「これを?」


「ああ」


 恒一は紙を巴へ渡した。


 手紙のように、きちんと折られた紙だった。


「読んでくれ」


「……分かった」


「落ち着いて見た方がいいと思う。俺はいったん戻る」


「え?」


 巴が顔を上げた時には、恒一はすでに歩き出していた。


 呼び止める間もなく、本当にその場から離れていく。


 巴は、受け取った紙を両手で持ったまま固まった。


 朝比奈は冗談を言わない。


 大切な話だと言った。


 二人だけで話したいと言った。


 真田じゃないと駄目だと言った。


 そして今、折りたたまれた紙を渡し、何も説明せずに去っていった。


 前に、似たような形で言葉をもらった時のことが頭をよぎる。


 これは、もしかして。


 手紙。


 ラブレター。


 そう考えた瞬間、巴の頬が一気に熱くなった。


 隠れていた千瀬が、声を出さないように両手で口を押さえる。


 彩音も、基樹も、千夜も、ひよりも、息をひそめていた。


 巴は震えそうになる指で、紙を開く。


 そこには、細かな文字が並んでいた。


 紙の一番上には、はっきりと書かれている。


 新しい練習メニュー案。


 短距離。


 中距離。


 基礎体力。


 補強。


 一年のフォーム修正。


 巴は完全に動きを止めた。


「……練習メニュー?」


 巴の声が、思わず大きくなった。


 隠れていた面々も、その一言で動きを止める。


「……え?」


 彩音が小さく言った。


「本当に別の話だったのか?」


 基樹が目を細める。


 千夜の顔が引きつった。


「やっぱり……」


 千瀬は呆然と巴を見ている。


「練習メニューだったんですか?」


 ひよりも首を傾げた。


 その時、部室棟の角から佐藤が歩いてきた。


 恒一からのメッセージを受けて来たのだ。


「あれ、朝比奈は?」


 佐藤は周囲を見回した。


 だが、そこに恒一の姿はない。


「……まあいいか」


 佐藤は特に深く考えず、巴の方を見る。


「ちょうどいい。どうだ、真田。見てくれたか? なかなか上手く組めていると思うんだが」


 巴は鋭い目を佐藤に向けた。


「佐藤! 大切な話だと言うように頼んだのは、お前だな?」


「ああ」


「二人だけで話すように言ったのも?」


「そうだ」


「周りに人がいない場所で、私と話すように言ったのも?」


「確かに言ったが……」


 佐藤はそこで、ようやく巴の様子がおかしいことに気づいた。


 メニュー表を握る手には力が入り、さっきまで機嫌のよかった顔は完全に消えている。


「真田?」


 佐藤は不思議そうに首を傾げた。


「どうした。顔が怖いぞ」


 心配した佐藤が、巴へ一歩近づく。


 次の瞬間。


 巴の拳が、佐藤の腹へ深く入った。


「ぐっ……!」


 佐藤の体が、くの字に折れる。


 腹を押さえながら、その場に膝をついた。


「な、何で……」


「そうか。お前か」


 巴は不機嫌そうに言い残し、メニュー表を持って歩き去っていく。


「待て、真田……。メニューの感想は……」


 巴は振り返らなかった。


 その姿が見えなくなった直後、建物の影から笑い声が漏れた。


 彩音が腹を抱えてしゃがみ込む。


 基樹も口元を押さえ、千夜は肩を震わせていた。


 千瀬は倒れている佐藤を見つめたあと、隣の千夜を見上げる。


「恋愛って、結構痛いものなんですね。お姉ちゃん」


「そこ?」


 千夜が思わず聞き返す。


「はい。佐藤先輩、すごく痛そうです」


「見れば分かるでしょ」


「分からない……」


 佐藤は腹を押さえたまま、苦しそうに声を絞り出した。


「朝比奈に、ちょっと頼んだだけなのに……」


 その言葉で、彩音たちはさらに笑った。

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