第185話 真白にはなれないらしい
■学校 帰路
部活が終わったあと、恒一はグラウンドの片づけを終え、帰る準備をしていた。
巴も更衣を済ませ、少し離れたところから校舎の方を見ていた。
誰かと約束をしているわけではない。
けれど、話したい相手はいた。
北条真白である。
真白は、恒一の部活終わりを待っていることが多い。最近は、そこに千瀬も一緒にいる。
だから、巴が真白に話を聞くなら、この時間が一番自然だった。
昨日から考えていた。
可愛いとは何か。
どうすれば、北条のように柔らかく、可憐に見えるのか。
自分一人で考えても、答えは出なかった。
今日一日、巴は可愛いを研究した。
教室では、可愛いと評判の生徒を調べた。
早咲南の仕草も観察した。
それから陸上部で、実践もしてみた。
結果は散々だった。
困った時に小さく笑ったつもりが、佐藤に獣の目と言われた。
タオルを両手で持って首を傾げたら、威嚇しているのかと警戒された。
目線を意識したら、朝比奈に考え事があるのかと聞かれた。
さらに佐藤は、巴の拳を受けることになってしまった。
巴としては、強く殴ったつもりはない。ただ、佐藤からすれば、あれは殴られたという認識になるのかもしれない。
そこは少しだけ反省している。
少しだけ。
ともかく、可愛いの研究は初日から難航していた。
このままではいけない。
だから、本人に聞くことにした。
可愛いと思った相手に、どうすればそうなれるのかを聞く。
理屈としては、間違っていないはずだった。
「真田」
背後から声をかけられた。
振り向くと、恒一がいた。
「朝比奈」
「帰るのか?」
「うん。ただ、その前に少し、北条に聞きたいことがある」
「北条に?」
「うん」
「そうか」
恒一は、巴の視線の先を見た。
昇降口の方から、真白と千瀬が出てくるのが見える。
真白は、恒一の姿を見つけると少しだけ表情を柔らかくした。
その隣で、千瀬も手を振っている。
やはり、二人とも恒一を待っていたらしい。
恒一は少しだけ考えてから、巴に言った。
「じゃあ、俺は少し離れてる」
「え?」
「北条に聞きたいことがあるんだろ。俺が横にいたら聞きづらいかもしれないし」
「……いいの?」
「ああ。急がないから」
「ありがとう」
恒一はそう言って、校門の方へ少し歩いた。
完全に離れるわけではない。
ただ、こちらの会話が聞こえないくらいの距離に立ってくれた。
巴は、その背中を少しだけ見つめた。
無理に聞かない。
必要な時は距離を取ってくれる。
それでいて、待っていてくれる。
そういうところが、恒一らしいと思った。
そして、そういうところを見るたびに、巴は困る。
可愛いと思われたい。
また、そんなことを考えてしまうからだ。
「巴姉?」
先に気づいたのは千瀬だった。
「どうしたんですか?」
「少し、北条に聞きたいことがあって」
「真白姉に?」
「うん」
真白は、丁寧に頭を下げた。
「私に、ですか?」
「うん」
「私でお答えできることでしたら」
「……少し、変なことを聞くかもしれない」
「はい」
真白は静かに待った。
巴は、少しだけ視線を逸らした。
いざ言おうとすると、急に恥ずかしくなる。
だが、ここで引いたら何も分からない。
「北条」
「はい」
「どうすれば、北条みたいになれる?」
「……私、ですか?」
「うん」
「私のように、とは」
「その……可愛く、というか」
言ってから、巴は顔が熱くなるのを感じた。
「柔らかくて、女の子らしくて、守りたくなるような感じに」
「……」
「やっぱり、変なことを聞いた」
「いえ」
真白は少し驚いた顔をしたあと、ゆっくり首を横に振った。
「変ではありません。ただ、少し意外でした」
「そう」
「ですが、巴さんは、今のままでも十分素敵です」
「素敵」
「はい」
真白はまっすぐに巴を見た。
「巴さんは、とても凛としていて、優しくて、きちんと人を見てくださる方です。私のようになる必要はないと思います」
「……でも」
「はい」
「素敵と、可愛いは違う」
巴は小さく言った。
「私は、可愛いと思われたい」
千瀬が、少しだけ身を乗り出した。
「そうです、真白姉は可愛いですよ!」
真白が小さく目を瞬かせた。
「千瀬さん」
「本当です。真白姉は可愛いですし、丁寧ですし、守ってあげたくなる感じがあります」
千瀬はなぜか、少し誇らしげだった。
巴は静かに千瀬を見た。
「千瀬」
「はい」
「どうして千瀬が威張っているの?」
少しだけ、声が低くなった。
千瀬の背筋がぴんと伸びる。
「あ」
千瀬はすぐに姿勢を正した。
「すみません」
巴は、言ってから少し後悔した。
別に、千瀬を怖がらせたかったわけではない。
ただ、あまりにも当然のように真白を誇らしげに語るので、つい口が出ただけだった。
また圧が出たかもしれない。
そう思ったところで、真白が小さく微笑んだ。
声を出して笑うほどではない。
けれど、白い頬のあたりが少しだけ柔らかくなるような、控えめな笑みだった。
「千瀬さん、ありがとうございます」
「はい。真白姉は可愛いです」
「千瀬」
「すみません」
巴はすぐに後悔した。
何を言っているのだろう。
北条と千瀬の前で、こんなことを言ってどうするのか。
けれど、真白は笑わなかった。
ただ、少しだけ優しい顔になった。
「そうなのですね」
「……うん」
「それは、とても大切なお気持ちだと思います」
「大切?」
「はい。誰かにどう見られたいか、どう思われたいか。それを願うことは、悪いことではありません」
「……」
「でも、巴さんが巴さんでなくなってしまう必要はないと思います」
「私のまま」
「はい」
真白は微笑んだ。
「巴さんが真剣に悩まれているところも、私は可愛らしいと思います」
「……北条」
「はい」
「それは、少し困る」
「困りますか?」
「うん」
「では、失礼しました」
真白は丁寧に頭を下げた。
千瀬は、横で口を必死に押さえていた。
「千瀬」
「はい」
「もしかして、笑っている?」
「笑っていません」
「本当に?」
「少しだけ、巴姉が可愛いなと思っています」
「それは笑っているのと近い」
「すみません」
「謝らなくていい」
「はい」
巴は、小さく息を吐いた。
北条は笑わなかった。
千瀬も、からかうようには笑わなかった。
それはありがたかった。
けれど、答えが出たわけではない。
巴は、自分のままでいいと言われた。
真白のようになる必要はないと言われた。
それでも、巴の中にある願いは消えなかった。
恒一に可愛いと思われたい。
できれば、いつか可愛いと言われたい。
「巴姉」
千瀬が言った。
「お姉ちゃんにも聞いてみますか?」
「千夜に?」
「はい。お姉ちゃんなら、話は聞いてくれると思います」
「……笑われる気がする」
「少しだけ、そうかもしれません」
「千瀬」
「すみません」
「謝らなくていい」
「はい」
真白は少しだけ口元を柔らかくした。
「千夜さんなら、巴さんのお気持ちもきちんと聞いてくださると思います」
「……そうだね」
「はい」
巴は校門の方を見た。
恒一が、少し離れたところで待っている。
こちらの会話までは聞こえない距離だった。
けれど、巴たちの様子は見えているはずだ。
あまり待たせるのは悪い。
それに、こんな夕方の校門近くで長々と話す内容でもない。
巴はそう判断した。
「北条、ありがとう」
「いえ」
「千瀬も」
「はい」
「千夜には、あとで話してみる」
「はい。お姉ちゃん、家にいると思います」
「分かった」
巴は二人に軽く頭を下げてから、校門へ向かった。
真白と千瀬も、そのままついてくる。
恒一は、三人に気づくと軽く手を上げた。
「話は終わったか?」
「うん。待たせてごめん」
「大丈夫だ」
恒一はそう言ってから、真白を見る。
「北条も、待たせて悪かった」
「いえ」
真白は小さく首を横に振った。
「私は、恒一様をお待ちしていただけですので」
「それも待たせてるだろ」
「嫌ではありません」
真白は静かに答えた。
その横で、千瀬がにこにこしている。
「私は真白姉についてきただけです」
「それはそれで自由だな」
「はい」
千瀬は元気よくうなずいた。
巴は少し考えた。
巴の家と千瀬の家は近い。
朝比奈の家と北条の家も、方向としては近い。
ここで二人ずつに分かれる理由は、あまりなかった。
「じゃあ、途中まで四人で帰る?」
巴が言うと、千瀬がぱっと顔を上げた。
「いいんですか?」
「うん」
「やった。巴姉と真白姉と一緒です」
「朝比奈もいる」
「あ、はい。朝比奈先輩もいます」
「ついでみたいに言うな」
恒一が苦笑する。
真白はそのやり取りを見て、少しだけ口元を柔らかくした。
「私も、ご一緒してよろしいでしょうか?」
「もちろん」
巴はうなずいた。
「帰ろう」
「うん」
四人で校門を出る。
夕方の空気は、少しだけ涼しかった。
千瀬は真白の隣で楽しそうに歩いている。
真白はいつものように静かだが、どこか穏やかな顔をしていた。
恒一は余計なことを聞かず、ただ隣を歩いている。
巴は、その横顔を少しだけ見た。
無理に聞かない。
必要な時は距離を取ってくれる。
それでいて、待っていてくれる。
そういうところが、恒一らしいと思った。
そして、そういうところを見るたびに、巴は困る。
可愛いと思われたい。
また、そんなことを考えてしまうからだ。
真白のようになる必要はない。
それは、少し分かった。
けれど、自分のままで可愛いと思われる方法は、まだ分からない。
巴は、千瀬と真白の会話を聞きながら、小さく息を吐いた。
可愛いの研究は、やはり簡単ではないらしい。




