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恋愛台帳、時代ズレにつき修正不能  作者: サザルト
第3章 真白な頁に名前が灯る編

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第164話 普通の会話が難しい

■二年D組教室


 昼休み。


 彩音は、二年D組の教室前に立っていた。


「前田さん、いる?」


 近くの女子に声をかけると、すぐに千夜が教室の奥から出てきた。


「一ノ瀬さん」


「ちょっといい?」


「うん」


 二人は、少し人通りの少ない廊下の窓際へ移動した。


 千夜はいつものように急かさず、彩音が話し始めるのを待っている。


「最近、巴が急に話しかけてくるんだけど」


「うん」


 返事が早い。


 彩音は目を細めた。


「前田さん、何か知ってる?」


「少し」


「やっぱり」


 千夜は隠す気もないらしい。


「最初に基樹と私のところへ来た時、『親しくなろうと思って』って真正面から言われたんだよ」


「うん」


「普通、そんな言い方しないでしょ」


「巴だから」


「それで済む?」


「たぶん」


 彩音は苦笑した。


 巴に悪意がないことは分かっている。


 むしろ、本人なりにかなり頑張っている。


 問題は、その頑張り方だった。


「その次は、『普通の会話を考えてきた』って言われた」


「うん」


「天気の話をして、授業の話をして、そのあと基樹に『趣味は何?』って」


 千夜が少しだけ目を伏せた。


「基樹さん、何て?」


「漫画とかって答えたら、巴が真剣に『分かった。漫画』って」


「……うん」


「何を分かったのか、私たちには分からなかった」


 千夜の口元が、ほんの少し動いた。


「今、笑った?」


「少し」


「だよね」


 彩音も笑いそうになった。


 さらに昨日は、彩音自身も「好きな食べ物は何?」と聞かれた。


「甘いものかなって答えたら、『具体的には?』って聞かれてさ」


「うん」


「プリンって言ったら、『分かった。プリン』って」


 今度は千夜も、はっきり笑った。


「前田さん」


「ごめん」


「いや、分かるけど」


 巴は真剣なのだ。


 あまりにも真剣なので、天気、授業、趣味、好きな食べ物と、完全に質問項目を順番に消化している。


「普通の会話っていうより、面接なんだよね」


「うん」


「基樹も、恒一のことで何かあるんじゃないかって警戒してる」


 千夜は少し黙った。


「前田さんが何か言った?」


「言った」


「何て?」


「朝比奈君の友人と、もっと親しくなればって」


「やっぱり」


 彩音は額に手を当てた。


「間違ってはいないけど、巴にそのまま渡すとこうなるんだ」


「少し反省してる」


「前田さんでも反省するんだ」


「する」


 千夜は、本当に少しだけ反省しているようだった。


 ただ、静かに続ける。


「でも、巴は動いた」


「うん」


「それは悪くないと思う」


 彩音も、その点は分かっていた。


 以前の巴なら、恒一を見て、苛立って、それでも言葉にできないまま終わることが多かった。


 今は違う。


 恒一の家へ行き、真白に対抗して料理まで試し、今度は友人たちと話そうとしている。


 方向は少しおかしい。


 だが、確かに動いている。


「だから困ってるんだよ」


 彩音は小さく息を吐いた。


「頑張ってるのが分かるから、雑に拒否できない。でも、このままだと基樹が毎回変な汗かく」


「そんなに?」


「昨日なんて、『恒一の良いところを三つ挙げて』って言われて固まってた」


「それは困るね」


「でしょ?」


「何て答えたの?」


「真面目、努力家、約束を守る」


「うん」


「そしたら巴、ものすごく真剣に頷いてた」


「想像できる」


 二人は少しだけ笑った。


「前田さん。巴に、もう少し自然にって言ってくれる?」


「言える」


「基樹が嫌ってるわけじゃないことも」


「うん」


「私も嫌なわけじゃない。ただ、びっくりしてるだけ」


「伝える」


 彩音は少し安心した。


 すると千夜が、静かに言った。


「彩音さん」


「何?」


「巴は、普通が分からない」


「それは見れば分かる」


「でも、普通になろうとはしてる」


「うん」


「だから、少し待ってあげて」


 彩音は小さく息を吐いた。


「分かってるよ。ただ、こっちにも準備はいるかな」


「準備?」


「巴が来た時、私が少し茶化す。基樹は真面目に受け止めすぎるから」


「うん」


「前田さんは、巴に『普通の会話は尋問じゃない』って伝えて」


「分かった」


 その言い方もどうかと思ったが、巴にはむしろそのくらい直接言った方が伝わるかもしれない。


 そう思った時だった。


「千夜」


 二人が振り向く。


 廊下の少し先に、巴が立っていた。


 表情は硬い。


 彩音は心の中で「あ」と思った。


 どうやら、最後の方は聞かれていたらしい。


 巴は二人の前まで来ると、まっすぐ彩音を見た。


「一ノ瀬」


「うん」


「私は、尋問していたのか」


 完全に聞かれていた。


 彩音は一瞬迷ったが、ごまかすのはやめた。


「ちょっとだけ」


 巴が目を伏せる。


「……そうか」


「でも、嫌だったわけじゃないよ。急だったから驚いただけ」


「三浦も?」


「うん。基樹もびっくりしてるだけ。嫌ってない」


 巴は、少しだけ安心したように息を吐いた。


 圧があるように見えても、ちゃんと嫌われていないか気にしている。


「巴」


 千夜が言った。


「普通の会話は、答えを集めることじゃない」


「……」


「少しずつでいい」


「少しずつ」


「うん」


 巴は、また何かを覚えるように真剣にうなずいた。


 彩音は少し考えてから提案する。


「じゃあ、次から質問は三つまでにしよう」


「三つ」


「一日三つ」


 巴が固まった。


「少なくない?」


「多いよ」


「そうなの?」


「そう」


 巴はしばらく考えた。


「……分かった。一日三つ」


「うん」


「では、今日の分はもう使った?」


「たぶん」


「そうか」


 少し残念そうだった。


 彩音は笑いそうになったが、我慢した。


「今日は、もう聞かない」


「うん」


「明日、また話しかける」


「予告制なんだ」


「急だと驚くだろう」


「それは助かる」


 巴はうなずいた。


「迷惑をかけた」


「迷惑ってほどじゃないよ」


「でも、困らせた」


「少しね」


「……すまない」


 素直に頭を下げる巴を見て、彩音は少し目を丸くした。


「大丈夫。基樹にも同じように言えば分かると思うよ」


「分かった」


 その横で千夜がぽつりと言った。


「今のも質問に数える?」


 巴が固まった。


 彩音は、今度こそ笑った。


「それは数えなくていいよ」


「……そうか」


 巴は本気でほっとしていた。


 真白は、距離の詰め方が強すぎる。


 巴は、距離の詰め方を知らなすぎる。


 恒一は、たぶんそのどちらにも気づかない。


 やっぱり、この周りは少し大変だ。


 それでも、巴はちゃんと近づこうとしている。


 ただ、不器用すぎるだけだった。


 そして翌日。


 巴は基樹の前に立ち、真剣な顔で言った。


「三浦。今日の質問は、先に数を宣言した方がいいか」


 基樹は、また少しだけ距離を取った。



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