第163話 距離の詰め方が違う
■二年A組
放課後。
巴は、二年A組の教室前に立っていた。
千夜に言われたのだ。
恒一の友人たちと、もう少し親しくなればいい。
基樹と彩音は恒一のことをよく知っている。真白と同じ方向から距離を詰める必要はない、と。
言っていることは分かる。
問題は、どうやって親しくなればいいのか分からないことだった。
走るなら、何を直せばいいか分かる。
武道なら、相手と向き合えばいい。
だが、人と普通に仲良くなる方法には、基準タイムも型もない。
「……行くか」
ここで立っていても仕方ない。
巴が教室を覗くと、ちょうど基樹と彩音が残っていた。
恒一はいない。
おそらく、先にグラウンドへ向かったのだろう。
巴は意を決して声をかけた。
「三浦」
基樹が振り向く。
「……真田さん?」
彩音もこちらを見た。
「あれ、巴。どうしたの?」
巴は二人の前まで歩いていった。
「少し、話がある」
基樹と彩音が顔を見合わせる。
「話?」
「ああ」
「恒一のこと?」
「……そうとも言える」
言った瞬間、少し違う気がした。
彩音が巴をじっと見る。
「何かあった?」
「いや」
「じゃあ?」
巴は一度息を吸った。
「……親しくなろうと思って」
沈黙。
基樹がゆっくり瞬きをした。
「誰と?」
「あなたたちと」
「俺たちと?」
「ああ」
「……なんで?」
当然の質問だった。
そして、一番答えにくい質問でもあった。
千夜に言われたから。
真白が外堀を埋めているから、自分は別の方向から恒一に近づきたいから。
そのまま言うのは、さすがに変だ。
巴は少し考えて答えた。
「必要だと思ったから」
さらに空気が止まった。
「必要?」
彩音が聞き返す。
「うん」
「私たちと親しくなることが?」
「そう」
「どうして?」
「……」
やはり難しい。
巴は慎重に言葉を選んだ。
「三浦と彩音は、朝比奈のことをよく知っている」
「うん」
「だから……情報共有をしたい」
言った瞬間、自分でも違うと思った。
基樹も少し身を引いた。
「情報共有?」
「違う」
「違うの?」
「今のは言い方を間違えた」
彩音が少し笑いをこらえている。
「じゃあ何?」
「朝比奈について、話したい」
「それ、かなり情報共有に近くない?」
「……近い」
「近いんだ」
基樹が困った顔をした。
まずい。
親しくなるつもりで来たのに、明らかに警戒されている。
「真田さん」
基樹が少し真面目な顔になる。
「恒一のことで、本当に何もないのか?」
「ない」
「北条さん関係?」
巴の肩が、ほんの少し動いた。
基樹も彩音も、それを見逃さなかった。
「……真白さん関係なんだ」
彩音が言う。
「違う」
「今、反応したよ」
「してない」
「した」
「うん。したな」
基樹まで加わった。
巴は黙った。
二対一。
しかも相手は恒一をよく知る二人。
かなり不利だった。
「巴」
彩音が、少しだけ柔らかい声で言った。
「もしかして、恒一のことをもっと知りたくて、私たちと仲良くなろうとしてる?」
「……」
答えなかった。
だが、それだけで十分だったらしい。
基樹が頭をかく。
「別に、それ自体は悪くないと思うけど」
「うん」
彩音も続ける。
「でも、いきなり『親しくなろう』って正面から来られると、ちょっと怖いかな」
「怖い?」
巴は思わず聞き返した。
基樹が慌てて手を振る。
「怖いっていうか、圧があるというか」
「私に圧がある?」
基樹と彩音が同時に黙った。
それが答えだった。
「……圧をなくすにはどうすればいい」
巴が真剣に聞くと、基樹はさらに困った。
「それを俺に聞くのか」
「うん」
「彩音」
「基樹に振らないで」
彩音は少し考える。
「まず、友達になる時に『目的』を前に出しすぎない方がいいかも」
「目的を?」
「うん。仲良くなるのに理由を説明されると、相手も構えるから」
「……そうなの?」
「そうだよ」
巴には少し意外だった。
「では、どうすればいい」
「普通に話す」
「何を?」
「そこからなんだ」
彩音が笑った。
悪意のある笑いではなかった。
「普通が難しい」
「まあ、巴はそうかもね」
「どういう意味」
「そのままの意味」
基樹が少し気を遣うように言った。
「真田さん。別に俺らと話すのは全然いいよ。ただ、急に改まって来られると、何かあるのかと思う」
「……そうか」
「うん」
「すまない」
巴が頭を下げると、基樹は慌てた。
「謝るほどじゃないって」
「距離を縮めようとして、逆に距離を取らせた」
「自覚できたんだ」
「今できた」
彩音が今度ははっきり笑った。
「巴、面白いね」
「面白くはない」
「面白いよ」
「不本意だ」
巴は少しむっとした。
だが、さっきより二人の警戒は薄れている。
「じゃあ」
巴は少し考えた。
「今日は帰る」
「え?」
「一度出直す。次は普通に話す」
基樹が目を丸くした。
「出直すんだ」
「次までに考えてくる」
「普通の会話を?」
「そう」
彩音が肩を揺らす。
「巴。普通の会話って、考えすぎると普通じゃなくなるよ」
「……難しいな」
「うん。たぶんね」
巴は深く息を吐いた。
人と親しくなるのは、思っていた以上に難しい。
それでも、基樹が言った。
「真田さん」
「何?」
「恒一なら、もうグラウンド行ってると思う」
巴は一瞬黙った。
「……行く」
「練習見るんだろ?」
「ああ」
「なら、急いだ方がいいかも」
「ありがとう」
巴はそう言って教室を出た。
廊下に出ると、ようやく息を吐く。
かなりぎこちなかった。
親しくなろうとして、最初は不審がられた。
圧があるとも言われた。
だが、最後には基樹が恒一の居場所を教えてくれた。
完全な失敗ではない。
たぶん。
教室の中では、基樹と彩音が巴の背中を見送っていた。
「……どう思う?」
基樹が聞く。
彩音は少し笑った。
「不器用だね」
「だな」
「でも、悪い感じじゃないよ」
「まあな」
「次、本当に普通の会話を考えてきそう」
「やりそう」
「紙に書いてきたりして」
「真田さんならあり得る」
二人は少し笑った。
基樹が窓の外を見る。
「でも、真田さん焦ってるよな」
「うん。真白さんが来てから、かなり」
「大丈夫なのか?」
「分からない。でも、前より動こうとしてるのはいいんじゃない?」
「変な方向に行きかけてるけど」
「それはそう」
彩音はくすっと笑った。
「恒一、気づくかな」
「気づかないだろ」
「だよね」
二人の答えは、きれいに重なった。
その頃、巴はグラウンドへ向かいながら考えていた。
普通の会話。
天気。
授業。
部活。
趣味。
好きな食べ物。
並べてみると、どれも面接の質問のような気がしてくる。
「……難しい」
真白は自然に朝比奈家の台所へ入っていく。
自分は、恒一の友人と普通に話すだけでこうなる。
距離の詰め方が、あまりにも違う。
それでも、やるしかない。
第一歩はかなりぎこちなかった。
そしてたぶん、次もぎこちない。
巴はそう思いながら、グラウンドへ向かった。




