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恋愛台帳、時代ズレにつき修正不能  作者: サザルト
第3章 真白な頁に名前が灯る編

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162/232

第162話 薙刀部にも観衆は増える

■グラウンド


 放課後。


 佐藤は、グラウンドの隅で深く息を吐いていた。


 まだ練習は始まっていない。


 部員たちは靴紐を結んだり、軽く体を動かしたりしている。


 いつも通りの陸上部。


 平和だ。


 そう思った直後だった。


「佐藤さん」


 丁寧な声に振り向くと、真白が立っていた。


 佐藤の胃が、静かに身構える。


「北条さん」


「少し、お時間をいただいてもよろしいでしょうか」


「はい。何でしょう」


 真白は、まっすぐ佐藤を見た。


「私は、陸上部には入部いたしません」


「……」


「恒一様を知りたいという私情で関わろうとしたことを、反省しております」


 真白は丁寧に頭を下げた。


「陸上部は、恒一様が部長として皆様と向き合い、ご自身のためにも努力されている場所です。巴さんにとっても大切な場所だと理解いたしました」


「分かりました」


 佐藤は、できるだけ平静を装ってうなずいた。


「わざわざ伝えてくれて、ありがとうございます」


 本音では、もっと強く礼を言いたかった。


 あなたの判断で、胃が救われました、と。


 さすがに口には出さなかった。


 そこへ巴が歩いてくる。


「北条」


「巴さん。お疲れ様です」


「……お疲れ」


 巴は真白を見る。


 佐藤は、また胃のあたりにわずかな緊張を感じた。


「北条さんは、陸上部には入らないそうです」


 佐藤が先に伝えると、巴の表情がほんの少しだけ緩んだ。


「……そう」


「はい。巴さんにも、改めてお伝えしようと思っておりました」


「理由は?」


「ご迷惑をおかけしたくないからです。陸上部は、巴さんと恒一様にとって大切な場所ですので」


 巴は少し黙ったあと、短く答えた。


「……分かった。それなら、いい」


「ありがとうございます」


 真白が頭を下げる。


 これで陸上部は守られた。


 少なくとも佐藤はそう思った。


「薙刀部には入るんでしょ」


 巴が言う。


「はい」


「……そう」


「以前より、たしなんでおりますので」


「知ってる」


「また、よろしくお願いいたします」


「……こちらこそ」


 佐藤は二人を見ながら思った。


 陸上部に入らなくても、何かは起きる。


 だが、それはできれば陸上部の外でお願いしたい。


 心からそう思った。


 その日の薙刀部では、真白が部員たちの視線を集めていた。


 入部してまだ数日。


 それでも、すでに期待されている。


「北条さん、もう少し見せてもらっていい?」


 部長に頼まれ、真白は静かにうなずいた。


「はい。よろしくお願いいたします」


 薙刀を手にすると、空気が変わる。


 小柄な体が、不思議と小さく見えなくなる。


 踏み込みは静かで、薙刀の軌道には迷いがない。


 鋭い音が武道場に響いた。


「……やっぱりすごいね」


 部長は、隠す気もないほど嬉しそうだった。


「巴がたまに来て、北条さんが毎日来てくれるなら、本当に全国も狙えるかも」


 部員たちもざわつく。


「巴さんと北条さんがいるって強すぎない?」


「本当に?」


 壁際にいた巴が、少しだけ眉を寄せた。


「私は陸上部」


「分かってるって。でも薙刀にも、たまには来てよ」


「本業がある」


「本業が多いんだよ、巴は」


 部長が笑う。


 真白も、そんなやり取りを静かに見ていた。


 だが、ふと視線が遠くなる。


 近くにいた一年生が気づいた。


「北条先輩、大丈夫ですか?」


「はい」


「今、少しぼーっとしてたので」


「少し考えごとをしておりました」


「何か不安なこと?」


 真白は少しだけ考えてから答えた。


「恒一様は、今ごろ何をしておられるのかと」


 その場が一瞬止まった。


 巴は壁際で額に手を当てる。


「……北条」


「はい、巴さん」


「今は薙刀部」


「承知しております」


「なら、集中して」


「はい」


 真白は素直にうなずいた。


 部員たちの間から、小さな囁きが聞こえる。


「恒一様って、例の朝比奈くん?」


「本当に好きなんだ」


「今のちょっと可愛かった」


 部長は苦笑しながら手を叩いた。


「はいはい、練習戻るよ」


 真白は再び薙刀を構えた。


 動きはやはり綺麗だった。


 実力は本物。


 ただし、恒一のことになると少しだけずれる。


 薙刀部の部員たちは、すぐにそのことも理解した。


 数日後。


 薙刀部の練習場には、見学者が増えていた。


 転校してきた美少女が、薙刀まで強い。


 それだけで十分に噂になる。


「あれが北条さん?」


「すごい綺麗」


「本当に強いんだ」


 武道場の入口や廊下から、真白の練習を覗く生徒が少しずつ増えていく。


 その光景は、巴が走る時にグラウンドへ人が集まるのと、どこか似ていた。


 真白自身は、あまり気にしていない。


 見られていても動きは乱れず、声をかけられれば丁寧に挨拶する。


 ただ、たまに遠くを見る。


「北条さん、また考えごと?」


「はい」


「朝比奈くん?」


「はい」


「即答なんだ」


 部員たちは、もう驚かなくなっていた。


 むしろ、完璧に見える真白が恒一のことになると少し崩れるのを、親しみやすく感じ始めていた。


 部長も苦笑する。


「北条さん効果で見学者増えたね」


「ご迷惑でしょうか」


「全然。部員も増えるかもしれないし。ただ、練習中に朝比奈くんのこと考えすぎないようにね」


「努力します」


「努力なんだ」


 そして練習が終わると、真白は丁寧に片づけをして部員たちへ挨拶した。


「本日もありがとうございました」


「お疲れ様、北条さん」


「また明日ね」


「はい」


 そこまでは完璧だった。


 挨拶を終えると、真白は鞄を持ち、迷わず武道場を出る。


 向かう先はグラウンドだった。


 陸上部の練習が終わる頃を見計らって、恒一を迎えに行くためだ。


 最初は部員たちも驚いていた。


 だが、数日もすると日課として受け入れられた。


「北条さん、今日も朝比奈くん迎えに行くの?」


「はい」


「本当に毎日なんだ」


「恒一様が、今日どのように過ごされたのか伺いたいので」


「本当に好きなんだね」


「はい」


 迷いのない返事だった。


 夕方。


 グラウンドの端にいた佐藤は、遠くから歩いてくる真白の姿を見つけた。


「……来た」


 隣にいた恒一が振り向く。


「何が?」


「北条さん」


「ああ」


「今日も迎えに来たぞ」


「そうだな」


「そうだな、じゃないんだが」


 佐藤は胃を押さえた。


 真白は陸上部には入らない。


 それは本当にありがたい。


 だが、薙刀部の練習が終わるたびに迎えには来る。


 陸上部の平和は、一応守られた。


 ただし、グラウンドの外からやって来るものまでは防げないらしい。


 平和にも、いろいろ種類があるようだった。


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