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恋愛台帳、時代ズレにつき修正不能  作者: サザルト
第3章 真白な頁に名前が灯る編

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155/232

第155話 相談も少し難しい

■ニ年 A 組


 昼休み。


 恒一は、なんとか真白から離れることに成功した。


 成功した、と言っていいと思う。


 ここ最近の恒一にとって、真白から自然に離れるだけでも、それなりに難しいことになっている。教室で昼食を取る時も、真白は当然のように近くへ来るし、話しかければ嬉しそうに笑う。


 少し褒めれば、かなり嬉しそうにする。困っていると言えば引いてくれる。


 だが、こちらが何も言わなければ距離は近い。


 かなり近い。


 なので恒一は、昼食を終えたあと、基樹を呼んだ。


「基樹」


「ん?」


「少し話せるか」


 基樹は、恒一の顔を見るなり、すぐに察したようだった。


「……また何かあったのか」


「ありすぎて整理したい」


「重いな」


「重い」


 基樹は小さく息を吐いて、教室の隅へ移動してくれた。


 彩音も、当然のようについてくる。


「彩音」


「聞くよ」


「まだ何も言ってない」


「聞いた方がよさそうな顔してる」


 否定できなかった。


 恒一は、できるだけ順番に話した。


 今朝、起きたら真白が朝比奈家の台所にいたこと。母さんと一緒に朝食を作っていたこと。父さんが料理を食べて半泣きになっていたこと。そして、その料理が普通においしかったこと。


 さらに、恒一が褒めたら真白が料理部に入ると言い出したこと。父さんに背中を叩かれたこと。かなり痛かったこと。


 そこまで聞いて、基樹は額を押さえた。


「情報が多い」


「俺もそう思う」


 彩音は少し笑っていた。


「朝からすごいね」


「すごいで済ませていいのか分からない」


「でも真白さん、料理できるんだ」


「ああ。かなりうまかった」


「へえ」


 彩音の目が、少し興味深そうに細くなる。


「しかも朝比奈家に入り込む速度が速い」


「入り込むって言い方」


「外堀を埋める速度、と言い換えてもいいよ」


「どっちも怖い」


 基樹が横から言った。


「で、道場の話は?」


「ああ」


 恒一は続けた。


 昨日、真田道場へ行ったこと。真白がついてきたこと。師匠が軽い気持ちで才能があると言ったこと。そして、実際に構えさせたら本当に才能があったこと。


 さらに師匠が入門させようとしたこと。その瞬間、巴がかなり怖い顔になったこと。最終的に師匠が諦めたこと。


 そこまで聞いて、基樹は少しだけ口元を引きつらせた。


「真田さん、怒ったのか」


「怒ったというか」


「というか?」


「鬼のようだった」


「お前が言うなら、本当に怖かったんだな」


「かなり」


 彩音は楽しそうにうなずく。


「巴らしいね。道場は譲れなかったんだ」


「たぶん」


 巴は、真白が道場に入ることを拒んだ。


 理由は、恒一が集中できなくなるから。


 それは、単なる嫉妬だけではなかったと思う。


 あの場所は、恒一が強くなるために通っている場所だ。巴は、それを守ろうとしてくれた。


「真田さんは、ちゃんと見てくれてる」


 恒一がそう言うと、彩音が少しだけ笑った。


「うん。そうだと思う」


 基樹もうなずいた。


「それはいいことじゃん」


「ああ」


「でも、北条さんもさ」


 基樹が、少し考えながら言った。


「普通にいい子じゃないか?」


「……」


「いや、困るのは分かるよ。距離近いし、婚約者とか言うし、いきなり家に来るし」


「分かってるなら」


「でも、礼儀正しいし、真っ直ぐだし、ちゃんと謝れるし、相手のことも考えられる」


 それは否定できなかった。


 真白は、陸上部には入らないと言った。恒一と巴に迷惑をかけたくないからだと。


 真田道場でも、巴に止められれば引いた。朝の件も、恒一の家族を巻き込んだことは謝ってくれた。


 確かに、いい子だ。


 困るくらいに。


「それにさ」


 基樹は、少しだけ言いにくそうに続けた。


「真っ直ぐで、礼儀正しくて、妙なところで頑固で」


「うん」


「結構、恒一に似てるよな」


「……俺に?」


「うん」


 彩音が横で、すぐにうなずいた。


「分かる。方向は違うけど、二人ともかなり真っ直ぐ」


「……」


「しかも、真白さんはちゃんと綺麗で礼儀正しくて、恒一に好意全開でしょ?」


 基樹が少し肩をすくめる。


「お似合いかもな、とは思う」


「基樹」


 恒一の声が、少し低くなった。


 基樹はすぐに手を上げる。


「悪い。言い方間違えた」


「……いや」


 恒一も息を吐いた。


「北条さんが悪い子じゃないのは分かってる」


「うん」


「礼儀正しいし、誠実だし、真っ直ぐだし」


「うん」


「すごい可愛い」


 そこまで言った瞬間。


 背後から、椅子が鳴る音がした。


「……」


 恒一は、ゆっくり振り返った。


 真白が立っていた。


 いつからいたのかは分からない。ただ、黒曜石のような瞳が、こちらをまっすぐ見ている。


 そして、その顔がものすごく嬉しそうだった。


「恒一様」


「……北条さん」


「ありがとうございます」


「何がですか」


「礼儀正しく、誠実で、真っ直ぐで、すごい可愛いと」


「聞いてましたか」


「はい」


 真白は、胸に手を当てて微笑んだ。


「とても嬉しいです」


「待ってください。今のは」


「はい」


「話の流れで」


「はい」


「いや、嘘ではないですけど」


「嘘ではないのですね」


 しまった。


 自分で逃げ道を塞いだ。


 基樹が頭を抱える。


 彩音は口元を押さえていた。


 笑っている。


 完全に笑っている。


「恒一様」


 真白が一歩近づく。


「そのように思ってくださっていたのですね」


「いや、だから」


「嬉しいです」


 次の瞬間、真白が飛びついてきた。


「……っ」


 まただった。


 昼休みの教室。


 基樹と彩音の前。


 クラスメートも普通にいる。


 その中で、真白は恒一に抱きついてきた。


 柔らかい。


 いい匂いがする。


 そして周囲がざわつく。


 この流れを、恒一は最近何度経験しているのだろう。


「北条さん」


「はい」


「教室です」


「承知しております」


「では離れてください」


「少しだけ」


「少しも長いです」


 真白は、名残惜しそうに離れた。


 だが、笑顔だった。


 かなりの笑顔だった。


「恒一様に褒めていただけたので、本日はとても良い日です」


「……そうですか」


「はい」


 基樹が、低く呟いた。


「相談も難しいな」


「ああ」


 恒一は心から同意した。


 真白から少し離れて相談したはずだった。


 なのに、結局聞かれていた。


 そして抱きつかれた。


 彩音は、まだ少し笑っている。


「恒一」


「なんだ」


「褒める時は場所を選ぼうね」


「覚えておく」


「あと、声量」


「覚えておく」


 真白は、そんな二人のやり取りを見ながら嬉しそうにしている。


 悪意はない。


 むしろ、あまりにも素直に喜んでいる。


 だからこそ、困る。


 恒一は真白を傷つけたいわけではない。


 でも、真白に流され続けるわけにもいかない。


 その日の放課後、真白は予定どおり薙刀部へ向かった。


 恒一がついて行く必要はないはずだった。


 ないはずだったが、真白がこちらを見て、静かに言った。


「恒一様」


「はい」


「よろしければ、入部のご挨拶だけ見届けていただけませんか」


「なぜ俺が」


「安心するからです」


「……」


 そう言われると弱い。


 基樹が遠くで、また額を押さえていた。


 彩音は小さく手を振っている。


 行ってらっしゃい、という顔だった。


 結局、恒一は薙刀部の活動場所までついて行くことになった。


 体育館の一角では、薙刀部の部員たちが準備運動をしている。


 真白が入口で丁寧に頭を下げた。


「失礼いたします」


 その声に、部員たちが一斉に振り向いた。


 部長らしい三年生の女子が、真白を見て目を丸くする。


「……北条真白さん?」


「はい。本日より、入部を希望しております」


「え、本当に?」


 部長の顔が、一気に明るくなった。


「大会で見たことある。あなた、かなり強かったよね?」


「多少、たしなんでおります」


「いや、多少じゃないでしょ」


 部長はすぐに顧問へ視線を向けた。


 顧問も、真白の名前を知っているらしい。少し驚いた顔をしていた。


「入部希望はありがたいけれど、うちは見ての通り人数が多い部ではないわ。大丈夫?」


「はい」


 真白は姿勢よく答えた。


「毎日参加できます。学業や他の予定に支障が出ない範囲で、きちんと稽古いたします」


 その一言で、部長の目がさらに輝いた。


「毎日?」


「はい」


「毎日来てくれるの?」


「可能な限り」


「助かる……!」


 部長は、かなり本気で喜んでいた。


「巴はすごく強いんだけど、剣道が本業だし、陸上部もあるし、弓道もあるし、こっちには毎日は来られないのよ」


「ああ……」


 恒一は思わず納得した。


 巴は何でもできる。


 でも、何でもできるからこそ、全部に毎日いるわけではない。


 部長は、真白を見る目を輝かせたまま続ける。


「北条さんが毎日来てくれるなら、かなり大きいよ。巴に匹敵する実力がある子が入るなら、来年、本当に全国も狙えるかも」


「過分なお言葉です」


「いや、本気で言ってる」


 部長は完全に浮かれていた。


 いや、浮かれるのも分かる。


 薙刀部にとって、真白は即戦力なのだろう。しかも礼儀正しく、毎日来ると言っている。


 それは喜ぶ。


 かなり喜ぶ。


「じゃあ、少しだけ動きを見せてもらってもいい?」


「はい」


 真白は静かにうなずき、用意された薙刀を受け取った。


 その瞬間、昼休みや教室で見せていた雰囲気が少し消えた。


 黒髪の小柄な少女が静かに構えると、すっと姿勢が整い、周囲の空気まで締まったように感じられた。


 薙刀が動く。


 音が鋭い。


 速い。


 だが、派手ではない。


 滑るように足を運び、切っ先が迷わず通る。部員たちが息を呑む気配がした。


 部長は、もう完全に笑っていた。


「すごい……!」


 恒一も何も言えなかった。


 真白が武道をたしなんでいることは知っていたし、真田道場でもその姿は見ている。


 でも、薙刀を持った真白は、また違った。


 ここが自分の場所だと言われれば、納得できる。


 そんな動きだった。


「お願いします」


 動きを終えると、真白は丁寧に頭を下げた。


「こちらこそお願いしたい!」


 部長は即答した。


「本当に助かる。北条さんが入ってくれるなら、部の雰囲気も締まると思う」


「未熟者ですが、精一杯努めます」


「未熟者じゃないよ。絶対」


 部長は嬉しそうに笑った。


 恒一は、少しだけほっとした。


 真白が、恒一を追いかけるためだけではない場所に立っている。


 それは、たぶん良いことだ。


 少なくとも、陸上部に入るよりはずっと自然だった。


 ただ、薙刀部の部長があまりに嬉しそうだったので、真白はここでもあっという間に受け入れられそうだった。


 それはそれで、少しすごかった。


 薙刀部への挨拶を終えると、その足で真白は料理部にも顔を出した。


 正直、行動が早すぎる。


 思い立ったらすぐ動くというより、思い立った時にはもう半分動いている。


 料理部は家庭科室で活動していた。


 中から甘い匂いが漂ってくる。どうやらプリンを作っているらしい。


 真白は入口で、また丁寧に頭を下げた。


「失礼いたします。北条真白と申します。料理部への入部を希望しております」


 料理部の部長らしい女子が、ぱっと顔を明るくした。


「入部希望? 助かる!」


 部員の数は、思っていたより少なかった。


 テーブルもいくつか空いている。


「最近、部員が少なくてね。手が足りない日もあるから、来てくれるなら本当に助かるよ」


「ありがとうございます」


 真白は丁寧に答えた。


「まだ未熟ですが、学ばせていただければと思います」


「未熟とか言える子、だいたいちゃんとしてるんだよね」


 部長は笑った。


 その横から、明るい声が飛んできた。


「あっ、転校生の真白さんだ!」


 千瀬だった。


 千夜の妹。


 一年生。


 料理部。


 千瀬は、ぱっと花が咲いたような笑顔で、真白の前に駆け寄ってくる。


「やっぱり真白さんだ! わー、近くで見るとほんとに綺麗! お人形さんみたい!」


「え、あの」


 真白が、少しだけ押されたように瞬きをする。


 千瀬はまったく気にしていない。


「私、前田千瀬です。千夜の妹です!」


「前田千瀬さん」


 真白が、少しだけ目を瞬かせる。


「前田千夜さんの妹さんですか」


「そうそう。お姉ちゃん知ってる?」


「はい。巴さんと親しくされている方ですよね」


「うん! 巴姉と仲いいよ!」


 千瀬は、まったく遠慮のない調子でうなずいた。


 真白はその呼び方に、ほんの少しだけ反応したようだった。


「巴姉、ですか」


「そう。巴姉! 強いし綺麗だし、たまにちょっと怖いけど、そこも巴姉って感じ!」


「……親しいのですね」


「親しいっていうか、巴姉は巴姉だから!」


 説明になっていない。


 だが、千瀬はそれで十分だと思っているようだった。


 真白は少しだけ考え、それから柔らかく微笑んだ。


「素敵な関係ですね」


「でしょ!」


 千瀬は、にっと笑う。


「それでそれで、真白さんって料理できるんですか?」


「少しだけ」


「あ、それ絶対できる人の言い方だ!」


「そうでしょうか?」


「そうそう。料理できない人は『少しだけ』って言わないから。『全然できないですう』って言うから」


「なるほど」


「で、できる人はだいたい静かに『少しだけ』って言う。私の中の料理部あるある!」


「勉強になります」


「真白さん、素直!」


 千瀬はすでに楽しそうだった。


 真白は少し押され気味だったが、嫌そうではない。


 むしろ、少し戸惑いながらも目元が柔らかくなっている。


「じゃあ、真白さん。プリン混ぜます?」


「よろしいのですか」


「もちろん! 料理部は手を動かした人から仲間です!」


「素敵な考え方ですね」


「でしょ! はい、泡立て器どうぞ!」


 千瀬は遠慮がなかった。


 でも、嫌な遠慮のなさではない。


 人の懐に、するっと入っていくような明るさだった。


 真白も少し戸惑いながら、泡立て器を受け取る。


 料理部の部長も、ほっとしたようにうなずいた。


「千瀬ちゃんがいるなら、すぐ馴染めそうだね」


「はい! 私、仲良くなるの得意です!」


「自分で言うんだ」


「得意なので!」


 千瀬は堂々と言った。


 真白は千瀬に案内されて、ボウルの前へ立つ。


 白い指が泡立て器を持つ。


 姿勢がいい。


 料理部の空気の中でも、やはりどこか目立つ。


 けれど、薙刀を持った時とは違う。


 今の真白は、少しだけ肩の力が抜けていた。


「真白さん、混ぜる時は力を入れすぎないでね」


「はい」


「優しく。でもちゃんと混ぜる。人間関係みたいな感じ」


「人間関係、ですか」


「うん。強く混ぜすぎると空気入りすぎるし、弱すぎると混ざらないからね」


「……深いですね」


「でしょ!」


 千瀬は胸を張った。


「でも、私はたまに混ぜすぎてお姉ちゃんに止められます!」


「止められるのですか」


「うん。『千瀬、そこまで』って言われる」


「……想像できます」


「あ、真白さん笑った!」


「え」


「今ちょっと笑いましたよね? やった、笑顔いただきました!」


「いただきました?」


「料理部では笑顔も材料です!」


「そうなのですか」


「今決めました!」


 勢いがすごい。


 恒一は少し離れた場所で、その様子を見ながら思った。


 千瀬は強い。


 真白とは別の方向で強い。


 真白が丁寧に距離を詰めるのだとしたら、千瀬は明るさで一気に踏み込む。


 しかも悪意がない。


 真白は完全に押されている。


 でも、なぜか楽しそうだった。


「真白さん、明日も来ますよね?」


「はい。そのつもりです」


「やった! じゃあ明日も一緒に作ろう!」


「はい。よろしくお願いいたします」


「あとさあとさ」


 千瀬が、ふと思いついたように顔を近づけた。


「真白さんって、真白姉って呼んでもいい?」


「……真白姉、ですか」


 真白の動きが、ほんの少しだけ止まった。


 一瞬だけ、表情が揺れる。


 嬉しいような。


 戸惑っているような。


 怖がっているような。


 そんな小さな揺れだった。


 けれど千瀬は、悪びれずに笑っている。


「うん! なんか真白さんって、綺麗なお姉さんって感じするし! だめ?」


「……」


 真白は少しだけ目を伏せた。


 それから、静かに微笑む。


「だめでは、ありません」


「じゃあ、真白姉!」


 早い。


 呼び始めるのが早すぎる。


 真白は少し驚いた顔をした。


 だが、すぐに小さく笑った。


「はい、千瀬さん」


「千瀬でいいよ!」


「……千瀬さん」


「まあ、今日はそれでいっか。明日には千瀬になってるかもだし!」


「努力します」


「やった!」


 千瀬は本当に嬉しそうだった。


 真白は少し困ったように笑っている。


 けれど、その笑みは、教室で恒一に向けるものとは少し違っていた。


 押されている。


 戸惑っている。


 でも、嬉しい。


 そんな顔だった。


 恒一は、そのやり取りを見ていた。


 真白は、少しだけ楽しそうだった。


 でも、その嬉しさの奥に、ほんのわずかな不安があるようにも見えた。


 近づかれること。


 懐かれること。


 それを本当は嬉しいと思っているのに、同時に怖がっているような。


 そんな顔だった。


 昼休みに、基樹が言った。


 北条さん、普通にいい子じゃないか。


 その言葉を、恒一は否定できなかった。


 否定できないまま。


 真白が千瀬に「真白姉」と呼ばれて、少しだけ困ったように笑う姿を、ただ見ていた。



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