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恋愛台帳、時代ズレにつき修正不能  作者: サザルト
第3章 真白な頁に名前が灯る編

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第150話 真白の理由

■二年 A 組


 昼休みの後半


 基樹と話をして教室へ戻ると、空気はまだ少しざわついていた。


 朝の廊下の件が、完全に広まっている。


 真白が、恒一のことを好きだと言われたと話した。


 巴がそれを聞いた。


 放課後に話すことになった。


 それだけで、教室の中は十分すぎるほど落ち着かない。


 席に戻ると、真白がこちらを見た。


 姿勢よく座り、弁当箱を前に置いている。


 ただ、箸はあまり進んでいないようだった。


「恒一様」


「……はい」


「少し、お時間をいただいてもよろしいでしょうか」


 丁寧な声だった。


 いつも通りに聞こえる。


 けれど、少しだけ硬い。


 朝の廊下のことを、真白も気にしているのだろう。


「今ですか」


「はい」


「教室で?」


「できれば、少し場所を変えたいです」


 真白がそう言った瞬間、周囲の何人かがこちらを見た。


 見すぎだ。


 隠す気がなさすぎる。


 恒一は小さく息を吐いた。


「分かりました」


「ありがとうございます」


 真白は静かに立ち上がった。


 その動作だけで、また教室の視線が集まる。


 礼儀正しく、きれいで、目立つ。


 何をしても目立つ。


 恒一は、目立たない人生を送っていたはずだった。


 どこで間違えたのだろう。


 たぶん、神様に願ったあたりだ。


 ■階段踊り場


 二人は、校舎の端にある階段の踊り場まで来た。


 昼休みなので、完全に人がいないわけではない。


 ただ、教室よりはずっとましだった。


 真白は、階段の壁際で立ち止まる。


 それから、恒一に向き直った。


「先ほどは、申し訳ありませんでした」


「先ほど?」


「廊下で、恒一様が私を好きだと仰った話をしてしまいました」


「……」


 そこか。


 そこだった。


「事実ではあります」


「そうですね」


「ですが、言い方がよくありませんでした」


 真白は少しだけ目を伏せた。


「真田巴さんを傷つけたと思います」


「……」


 恒一は、すぐには答えられなかった。


 真白がそこに気づいていることに、少し驚いた。


 いや。


 真白は鈍くない。


 むしろ、人の反応をよく見ている。


 だからこそ、分かっていて言った部分もあるのだろう。


「分かっていて、言ったんですか」


 恒一が聞くと、真白の指先がほんの少し動いた。


「……はい」


 真白は嘘をつかなかった。


「真田巴さんに、離れろと言われました」


「はい」


「嫌がられているなら離れろ、と」


「……はい」


「その時、私は」


 真白はゆっくり息を吸った。


「離れたくありませんでした」


「……」


「恒一様に嫌われていないことを、言いたかったのです」


「それで、好きだと」


「はい」


 真白は静かにうなずいた。


「でも、あの言い方では、恒一様にも、真田巴さんにも、ご迷惑でした」


「迷惑というか」


「はい」


「かなり困りました」


「……申し訳ありません」


 真白は深く頭を下げた。


 その謝罪は、きちんとしていた。


 きちんとしすぎていて、責めにくい。


 こういうところが、本当に困る。


「ただ」


 真白は顔を上げた。


「私が離れたくなかったのは、本当です」


「……」


「そこだけは、嘘ではありません」


 まっすぐな目だった。


 責めるでもなく、泣くでもなく、ただ正直に言っている。


 恒一は、その目から逃げづらかった。


「北条さん」


「はい」


「あなたは、どうしてそこまで俺に向かってくるんですか?」


 やっと聞いた。


 昨日からずっと、分からなかったことだった。


 教室で抱きついてきたこと。


 婚約者だと名乗ったこと。


 陸上部に来たこと。


 家にまで来たこと。


 朝、迎えに来たこと。


 そして今も、こうして恒一の前に立っていること。


 全部が軽い冗談ではない。


 全部が本気に見える。


 だからこそ、分からない。


「神様から、何か聞いているんですか」


 恒一がそう言うと、真白の表情が少しだけ変わった。


 驚いたというより、確認するような顔だった。


「恒一様は、どこまでお聞きですか」


「ほとんど聞いていません」


「そうなのですか」


「北条さんには事情がある、とだけ」


「……神様らしいですね」


 真白は、ほんの少しだけ困ったように微笑んだ。


 その笑みには、昨日のような完璧さはなかった。


 少しだけ、素に近いように見えた。


「私にも、全てを話してくださるわけではありません」


「神様はいつもそうです」


「はい」


「だいたい余計なことをします」


「私も、そう思います」


 真白が小さく笑った。


 それが少し意外で、恒一は一瞬言葉を忘れた。


 同じことを思っている。


 それだけなのに、少しだけ距離が近くなった気がした。


 よくない。


 今、そういう方向へ流されてはいけない。


「話せる範囲で構いません」


 恒一は言った。


「君がここへ来た理由を教えてください」


 真白は少しだけ目を伏せた。


 そして、ゆっくりと言葉を選ぶ。


「私は、九州から参りました」


「九州」


「はい」


「転校してまで?」


「はい」


「俺に会うために?」


「はい」


 迷いのない返事だった。


 予想はしていた。


 神様の口ぶりから、そうなのだろうとは思っていた。


 だが、本人の口から聞くと、重さが違う。


「どうして」


 恒一は聞いた。


「どうして、俺なんですか?」


 真白は、すぐには答えなかった。


 階段の窓から差し込む昼の光が、彼女の黒髪にかかっている。


 人形のように整った横顔。


 けれど、そこにある表情は人形ではなかった。


 不安と、期待と、覚悟が少しずつ混じっている。


「神様から」


 真白は静かに言った。


「恒一様のお名前を聞きました」


「俺の名前を」


「はい」


「それだけで?」


「それだけではありません」


 真白は恒一を見る。


「私は、あなたに会わなければならないと思いました」


「……」


「会わなければ、何も始まらないと思いました」


「それは、恋愛として?」


 聞いてから、恒一は少し後悔した。


 踏み込みすぎたかもしれない。


 だが、真白は逃げなかった。


「最初から、それだけだったとは言い切れません」


「……」


「神様から聞いたことがあります。私自身の事情もあります。だから、恒一様に会いたかった」


 真白は両手を胸の前で重ねる。


「でも、昨日お会いして、思いました」


「何を」


「恒一様は、ちゃんと困る方なのだと」


「……褒めてますか」


「はい」


「それは褒め言葉なんですか」


「私にとっては」


 真白は少しだけ微笑んだ。


「困っても、逃げたくても、相手をすぐに切り捨てない方なのだと思いました」


「それは」


「優しいということです」


「優しいかどうかは分かりません」


「私は、そう感じました」


 そう言われると、返しづらい。


 恒一自身は、ただ判断できずに困っているだけの気もする。


 でも、真白にはそれが違って見えたのだろう。


「北条さん」


「はい」


「君には、俺に言えない事情があるんですね」


「……はい」


「今は、話せない」


「はい」


 真白は静かにうなずいた。


「申し訳ありません」


「謝らなくていいです」


「ですが」


「俺にも言えないことがあります」


 真白が少しだけ目を見開いた。


「恒一様にも」


「あります」


「そうですか」


 真白は小さく息を吐いた。


 その表情が、少しだけ緩む。


 安心したようにも見えた。


「なら、少しだけ同じですね」


「同じかは分かりません」


「それでも、嬉しいです」


「嬉しいんですか」


「はい」


 真白は素直にうなずいた。


「私は、恒一様と話せることが嬉しいです」


 また、そういうことをまっすぐ言う。


 困る。


 しかも、今の言葉には外堀を埋める感じがなかった。


 ただ、本当に嬉しそうだった。


 それが余計に困る。


「ただ」


 恒一は少しだけ声を低くした。


「俺は、はいとは言えません」


 真白は黙った。


「あなたが俺に会いに来たことは分かりました」


「はい」


「何か事情があることも分かりました」


「はい」


「俺に対して、本気で向かってきていることも」


「はい」


「でも、俺はまだ君を知らない」


 真白の瞳が静かに揺れた。


 泣きそうではない。


 ただ、少し寂しそうだった。


「それに、俺には向き合わなければならない人がいます」


「真田巴さんですね」


「……ああ」


「存じております」


 その言い方に、恒一は少しだけ引っかかった。


 知っている。


 どこまで。


 何を。


 そう聞きたくなったが、今はやめた。


 聞いても、たぶん話せないことが増えるだけだ。


「俺は、真田さんを雑に扱いたくない」


「はい」


「北条さんも、雑に扱いたくない」


「……はい」


「だから、簡単に答えは出せません」


 真白は、しばらく黙っていた。


 やがて、ゆっくりと頭を下げる。


「分かりました」


「……」


「いえ」


 真白は顔を上げた。


「分かろうと思います」


 その言い直しは、少し正直だった。


 完全に納得しているわけではない。


 それでも、飲み込もうとしている。


 そういう言い方だった。


「ですが、恒一様」


「はい」


「私は、諦めません」


「……」


「今すぐ答えをいただけないことは、分かりました。けれど、私を知っていただくことは、諦めません」


 真白の声には、静かな強さがあった。


 丁寧で、穏やかで。


 それでも、退かない。


 昨日からずっとそうだ。


 真白は謝る。


 礼儀正しくする。


 でも、退かない。


「そのために」


「そのために?」


「私も、陸上部に入りたいと思います」


 恒一は止まった。


「……はい?」


「陸上部に入部いたします」


「待ってください」


「はい」


「なぜそうなるんですか」


「恒一様を知るためです」


「知る方法は他にもあります」


「あります。ですが、恒一様が今、大切にしている場所の一つが陸上部であると判断しました」


「……」


「ならば、そこに身を置くのが誠実だと思います」


 言っていることは、分からなくもない。


 分からなくもないが、困る。


 ものすごく困る。


 巴がいる。


 ひよりがいる。


 佐藤がいる。


 ただでさえ昨日の騒ぎで部内が揺れている。


 そこへ真白が入る。


 婚約者を名乗る、真白が。


「北条さん」


「はい」


「陸上経験は」


「ありません」


「ないんですか」


「はい」


「それで入るんですか」


「はい」


「薙刀は得意なんですよね」


「はい」


「なら、薙刀部の方が」


「恒一様は陸上部です」


「……」


 まっすぐだった。


 あまりにもまっすぐだった。


 恒一は頭を抱えた。


 まただ。


 今日、まだ昼休みなのに。


 もう頭を抱えている。


「恒一様」


「なんですか」


「ご迷惑でしょうか」


 真白の声が少しだけ不安になる。


 恒一はすぐに顔を上げた。


 また泣かせるわけにはいかない。


「迷惑というか」


「はい」


「部活動なので、俺だけで決められる話ではありません」


「承知しております。正式な手順を踏みます」


「手順」


「顧問の先生に相談し、体験入部から始めます」


「……ちゃんとしてる」


「当然です」


 礼儀正しい。


 手順も分かっている。


 勢いだけではない。


 だから、なおさら止めにくい。


「でも」


 恒一は言った。


「真田さんもいる」


「はい」


「白石もいる」


「はい」


「佐藤も胃が痛くなる」


「佐藤様には、申し訳ないと思っております」


「もう思ってるんですか」


「はい」


「早いですね」


「昨日、胃を押さえていらっしゃいましたので」


「見てたんですね」


「はい」


 見ている。


 本当によく見ている。


 真白は自分の目的に一直線に見えて、周囲を見ていないわけではない。


 むしろ、かなり見ている。


 その上で進んでくる。


 だから怖い。


 悪意はない。


 けれど、止まらない。


「恒一様」


「はい」


「私は、急ぎすぎているのかもしれません」


「……」


「神様にも、少し控えるようにと言われました」


「神様」


 やはり、あの白ひげは余計なことをしている。


 いや。


 今回は少しまともなことを言ったのかもしれない。


「ですから、正式な手順を踏みます」


「それは、控えているんですか」


「はい」


「本当に?」


「はい」


 真白は真剣だった。


 真剣に、これが控えている状態だと思っている。


 恒一は、もう一度頭を抱えそうになった。


「分かりました」


 恒一は言った。


「入部したいなら、顧問に相談してください」


「はい」


「ただし、俺は部長として普通に対応します」


「もちろんです」


「特別扱いはしません」


「はい」


「あと、部内で俺に近づきすぎないでください」


「努力いたします」


「努力ではなく」


「気をつけます」


「お願いします」


 真白は丁寧に頭を下げた。


「ありがとうございます、恒一様」


「お礼を言われることでは」


「私を、完全には拒まないでくださったので」


「……」


 その言葉に、恒一は何も返せなかった。


 完全には拒めない。


 それは確かだった。


 拒む理由もある。


 でも、拒みきれない理由もある。


 真白は悪い子ではない。


 むしろ、かなり良い子なのかもしれない。


 ただし。


 良い子であることと、話が簡単になることは。


 まったく別だった。


 予鈴が鳴る。


 昼休みが終わる。


 二人は教室へ戻るために歩き出した。


 真白は、昨日より半歩だけ離れて歩いている。


 たぶん、彼女なりに控えている。


 その半歩が、今の彼女の精一杯なのだろう。


 でも、放課後には巴が待っている。


 そして、真白は陸上部に入ろうとしている。


 恒一は階段を下りながら思った。


 真白の理由は、少しだけ分かった。


 けれど、分かったからといって状況が楽になるわけではなかった。


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