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恋愛台帳、時代ズレにつき修正不能  作者: サザルト
第3章 真白な頁に名前が灯る編

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第145話 親への挨拶が早すぎる

■朝比奈家・玄関


 玄関に、真白が立っていた。


 黒髪の、小柄な少女。


 今日、二年A組に転校してきたばかりの女生徒。


 朝、教室で恒一に抱きつき、自分を婚約者だと名乗り、放課後には陸上部までついてきた。


 その結果、巴が不機嫌になり、佐藤が胃を押さえ、基樹が頭を抱え、彩音が観察を始めた。


 それだけでも十分だった。


 十分すぎた。


 なのに、なぜか今。


 真白は恒一の家の玄関に立っている。


「恒一様」


 真白は丁寧に頭を下げた。


「お邪魔いたします」


「……北条さん」


「はい」


「用件を聞いてもいいですか」


「もちろんです」


 真白は、にこりと微笑んだ。


 相変わらず綺麗な笑顔だった。


 綺麗なのに、恒一の胃が重くなる。


 最近、佐藤の気持ちが少し分かってきた。


「本日は、恒一様のお父様とお母様へ、ご挨拶に参りました」


「……」


 終わった。


 恒一はそう思った。


「待ってください」


「はい」


「挨拶とは」


「ご子息とのお付き合いについて、きちんと」


「まだ付き合っていません」


 恒一は即答した。


 真白は、ほんの少しだけ首を傾げる。


「まだ、ということは、いずれは」


「そういう意味ではありません」


「違いましたか」


「違います」


 後ろで基樹が小さく言った。


「もう会話が危ない……」


 彩音は目を細めている。


 純也は完全に楽しんでいた。


「やばいな。すごいな、この子」


「楽しむな」


 恒一が低く言うと、純也は肩をすくめた。


 その間にも、真白は落ち着いていた。


 むしろ、恒一たちよりずっと落ち着いている。


 それが一番まずかった。


 真白は持っていた紙袋を、母へ両手で差し出した。


「突然お伺いして申し訳ありません。こちら、つまらないものですが」


「あら、まあ」


 母は驚きながらも、それを自然に受け取った。


「丁寧にありがとう」


「こちらこそ、お時間をいただきありがとうございます」


 挨拶。


 手土産。


 頭の下げ方。


 靴の揃え方。


 声の高さ。


 全部が綺麗だった。


 きちんとしていた。


 育ちの良さを感じさせる。


 だからこそ、まずい。


 母の顔が、すでに少し柔らかくなっている。


「母さん」


「なあに?」


「これは少し事情が複雑で」


「そうなの?」


「そう」


「でも、まずは上がってもらったら?」


「いや、その前に」


 家に上げたら終わる。


 そんな気がした。


 正確には、何が終わるのかは分からない。


 ただ、何かが確実に終わる。


「父さんは今いないし」


 そう言った瞬間だった。


 廊下の奥から、扉の開く音がした。


「ふう」


 父が出てきた。


 なぜ今。


 本当に、なぜ今。


 父は廊下の途中で、玄関の人数に気づいた。


「ん?」


 そして、真白を見る。


「お客さんか?」


 真白が恒一を見た。


 それから、くすりと微笑む。


「恒一様は、冗談ばかり仰るのですね」


「冗談ではありません」


「お父様、いらっしゃるではありませんか」


「今、出てきたんです」


 恒一の言葉は、誰にも届かなかった。


 父が玄関へ近づいてくる。


「恒一、この子は?」


 来た。


 ついに来た。


 恒一は、できるだけ普通に答えた。


「今日、クラスに転校してきた北条さん」


「北条さん?」


「はい」


 そこで終わらせたかった。


 終わるはずがなかった。


 真白は父と母の方へ向き直る。


 姿勢を正し、両手を前で揃えた。


 その動きだけで、空気が少し改まる。


 真白の視線が、ほんの一瞬だけ恒一の後ろへ流れた。


 基樹。


 彩音。


 純也。


 そして母。


 確認するような一瞬。


 すぐに、真白は穏やかに微笑んだ。


「初めまして」


 澄んだ声だった。


「恒一様と、真剣にお付き合いさせていただきたく存じます。北条真白と申します」


 玄関が静まり返った。


 基樹が息を吸う音が聞こえた。


 彩音が目を見開く。


 純也は口元を押さえていた。


 恒一は頭の中が真っ白になった。


 いや。


 ここは白い空間ではない。


 現実だ。


 現実の玄関で、真白が恒一の両親に、ほぼ交際の挨拶をした。


「違います」


 恒一はすぐに言った。


「付き合っていません」


 だが、その声より早く、父と母が動いた。


「こちらこそ」


「こちらこそ」


 二人は同時に頭を下げた。


 タイミングが完璧だった。


 あまりにも息が合っていた。


 夫婦の絆を、こんなところで見せないでほしい。


「朝比奈家の父です」


「母です」


「息子がお世話になっております」


「こちらこそ、恒一様には大変よくしていただいております」


「待ってください」


 恒一は割って入った。


「恒一様には、じゃないです。そもそも付き合っていません」


 父が恒一を見る。


 そして、にやっと笑った。


「恒一」


「何」


「すごい美少女じゃん」


「からかわないで」


「いや、びっくりしたわ。お前、いつの間に」


「いつの間にも何もない」


 母も真白を見て、柔らかく微笑む。


「本当に綺麗な子ね」


「ありがとうございます」


 真白は少し頬を染めた。


 照れていた。


 照れている場合ではない。


 なぜそこで照れる。


「母さん」


「なあに?」


「話を聞いて」


「聞いてるわよ」


「聞いてない」


「転校生で、北条真白さんで、恒一と真剣にお付き合いしたいのよね」


「最後がほぼ違う」


 母は不思議そうに首を傾げた。


「違うの?」


「違います」


 恒一が答えるより先に、真白が静かに言った。


「恒一様は、まだ少し戸惑っていらっしゃいます」


「北条さん」


「ですが、私は誠実に向き合う所存です」


「そうなの」


 母が感心したようにうなずく。


「しっかりした子ね」


「しっかりはしています」


 恒一は認めた。


「でも、話は違います」


 父は楽しそうだった。


 完全に楽しんでいる。


「まあまあ。玄関で立ち話もなんだし、上がってもらいなよ」


「父さん」


「いいじゃないか。友達も来てるんだろ?」


 父は、恒一の後ろにいる三人を見る。


 基樹は恐縮して頭を下げた。


 彩音はにこにこしている。


 純也は面白そうな顔を隠せていない。


「すみません、お邪魔してます」


「いいよいいよ。にぎやかで」


「にぎやかで済ませないで」


 恒一は言った。


 また届かなかった。


 母は真白へ優しく声をかける。


「真白ちゃん、どうぞ上がって」


「ありがとうございます」


 真白は丁寧に頭を下げた。


 そして、靴を脱いで、きちんと揃える。


 その所作がまた綺麗だった。


 母の好感度が、さらに上がったのが分かった。


 父も嬉しそうに恒一を見る。


「恒一、ちゃんと案内してあげなさい」


「……」


 案内。


 今日、陸上部でも聞いた言葉だった。


 嫌な言葉になりそうだ。


「恒一様」


 真白が恒一を見る。


 静かで、嬉しそうな顔だった。


「ご案内、お願いいたします」


 恒一は、今日何度目か分からないほど頭を抱えた。


 後ろで基樹が呟く。


「家でもこれか……」


 彩音は小さく笑った。


「でも、真白さん、礼儀は完璧だね」


 純也は目を輝かせている。


「これはすごい。噂以上だ」


「楽しむな」


 恒一は低く言った。


 だが、もう遅い。


 真白は、朝比奈家に上がった。


 両親は話を聞いてくれなかった。


 友人三人は、驚きながらも興味津々で見ている。


 そして恒一は。


 自分の家なのに、完全に逃げ場を失っていた。


 親への挨拶というものは。


 どう考えても、まだ早すぎた。



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