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さすがに笑えなかった話

 放課後、教室。


 帰り支度をしていた恒一は、基樹に呼び止められた。

「恒一」

「なんだ?」


 恒一は鞄に教科書を入れながら振り向く。

 基樹は、いつものように軽く笑っていなかった。

 少しだけ眉間にしわが寄っている。

「お前、今日ちょっと時間あるか」

「部活前なら少し」

「じゃあ、今」

「今?」

「今」


 妙に強い言い方だった。

 恒一は少し首を傾げる。

 隣にいた彩音も、基樹の様子を見て目を細めた。


「基樹、珍しく本気だね」

「珍しくってなんだよ」

「だって、いつもは恒一に呆れてるだけじゃん」

「今日は呆れてるだけじゃ済まない」

 その言葉に、恒一は少しだけ姿勢を正した。


「何かあったのか?」

「お前だよ」

「俺?」

「そうだよ」

 基樹はため息をついた。


 そこへ教室の入口から純也が顔を出した。

「まだいたか」

「純也?」

 恒一が見る。

 純也は教室に入ってきて、少し気まずそうに頭をかいた。


「悪い。俺も混ぜてもらう」

「何の話だ?」

「朝比奈の話」

「俺の?」

「そう」


 純也は、いつもの軽さを少しだけ引っ込めていた。

 彩音が椅子に座り直す。


「……これは、ちょっと変な空気だね」

 いつもなら、その言葉には楽しそうな響きがある。

 でも今日は違った。

 彩音も、少しだけ笑っていなかった。


 基樹は恒一をまっすぐ見る。

「単刀直入に言うぞ」

「ああ」

「お前、真田との距離の取り方、間違ってないか?」

 恒一は少し黙った。

 それから、ゆっくり答える。


「間違ってはいないと思う」

「なんでそう言える」

「必要なことだから」

「その必要なことって何だよ」

「……言えない」


 基樹の顔が、はっきり険しくなった。

「またそれか」

「すまん」

「謝るくらいなら言えよ」

「言えない」

「だから、それがまずおかしいんだって」


 基樹の声が少し大きくなる。

 恒一は困ったように眉を寄せた。

 でも、目はそらさない。


「約束した」

「誰と」

「それも言えない」

「……お前な」

 基樹は頭を抱えた。


 純也が静かに口を開く。

「朝比奈」

「なんだ」

「俺も、今回は基樹と同じ意見だ」

 恒一は純也を見る。


「純也も?」

「ああ」

 純也は少しだけ息を吐く。

「俺、千夜に頼まれた」

「千夜?」

 恒一が眉を寄せる。


 彩音の目が少し動いた。

「前田千夜か」

「そう」

 純也はうなずく。

「直接どうにかしてくれって感じじゃない。ただ、朝比奈にちゃんと聞いてほしいって」


「何を?」

「真田のこと」

「真田?」

「真田が、かなり参ってる」

 恒一は少しだけ止まった。


「参ってる?」

「ああ」

「体調が悪いのか?」

「そうじゃない」

「部活の負担か?」

「それも違う」

「じゃあ」

 純也が言葉を遮る。


「お前だよ!」

 教室が静かになった。

 恒一は、本当に分からない顔をしていた。

 基樹が机に手を置く。


「恒一、お前さ」

「ああ」

「真田の前でだけ、変に距離取ってるだろ」

「取ってる」

「自覚あるのかよ」

「ある」

「じゃあ、なんでそれが相手にどう見えるか考えないんだよ」

 恒一は黙った。


 基樹は続ける。

「お前はたぶん、真面目にやってるんだろうな。何か理由があって、約束があって、ちゃんと考えたつもりなんだろ」

「ああ」

「でも、真田から見たらどう見えると思う?」

「……」

「避けられてるように見えるんだよ」

 恒一の眉が少し動いた。


「避けてはいない」

「お前が避けてるつもりかどうかじゃない」

 基樹の声が、少しだけ強くなる。

「相手がどう感じてるかの話だ」

「……」

 恒一は答えられなかった。

 彩音はそれを見て、いつものように茶化さなかった。

 指先で机を軽く叩きながら、静かに言う。


「恒一」

「彩音」

「私も、最初はちょっと面白いと思ってた」

「……」

「恒一がまた変な方向に真面目だなって」

 彩音は小さく息を吐く。

「でも、今はちょっと笑えない」

 その言葉は、恒一に思ったより強く刺さった。


 彩音が笑えない。

 それは、かなり珍しい。

「そんなにか」

 恒一が言う。

 基樹が即答する。

「そんなにだよ」

 純也も言う。

「少なくとも、周りが見てて分かるくらいには」

 恒一は少し視線を落とした。


「俺は、真田に近づくために」

「距離を取ってる?」

 彩音が言った。

 恒一は驚いたように顔を上げる。

「なぜ分かった」

「恒一だから」

「……」

「恒一がやりそうだから」

 彩音は苦笑した。

 でも、そこにもいつもの楽しさはなかった。


「それ、たぶん一番まずいやつだよ」

「まずい?」

「うん」

 彩音は静かにうなずく。

「近づきたい相手に、理由も言わず距離を取るのは、普通に傷つく」

「……」

「しかも、恒一は他の子とは普通に話してるでしょ」

「それは」


「白石さんとか」

 恒一は黙った。

「白石には、部長として指導している」

「真田にも副部長として話せばいいじゃん」

「それは」

「できない?」

「……約束がある」

 基樹が机を軽く叩いた。


「だから、その約束が間違ってる可能性を考えろって言ってんだよ」

 恒一は少しだけ目を伏せる。

「約束は守るべきだ」

「それは分かる」

 基樹は即答した。

「お前がそういうやつなのも分かってる」

「なら」


「でもな」

 基樹は恒一を睨むように見る。

「その約束を守って、真田を傷つけてたら意味ないだろ」

 恒一は、今度こそ黙った。

 純也が少しだけ声を落とす。


「千夜が言ってた」

「何を」

「真田は怒ってるだけじゃないって」

「……」

「困ってる。たぶん、かなり」

 恒一の手が、鞄の持ち手を少し強く握った。


「真田が」

「ああ」

「……俺は」

 恒一は言葉を探す。

「真田に、迷惑をかけないようにしていた」

「結果、迷惑かけてる」

 基樹が言う。


「真田のために、距離を取っていた」

「結果、傷つけてる」

 純也が言う。

「強くなるために、必要だと思った」

「それ自体は悪くないけど」

 彩音が静かに言う。

「強くなることと、相手を見ないことは別だと思う」


 教室は静かだった。

 外から、部活に向かう生徒たちの声が聞こえる。

 恒一は少しの間、何も言えなかった。

 分からない。いや、少しだけ、分かりそうで分からない。

 自分は、間違っているのか。


 でも、約束はした。

 父に言われた。

 兄と約束した。

 祖父に教えられた。

 それを破るわけにはいかない。


 しかし、真田が困っている。

 傷ついているかもしれない。

 それも、無視できない。

「……どうすればいい」

 恒一が、ぽつりと言った。

 基樹は少しだけ肩を落とした。


「それを、俺たちはずっと聞きたかったんだよ」

「え?」

「お前が、自分でそこを考えてくれって話」

 純也が続ける。

「約束を破れとは言わない。でも、その約束で誰かが傷ついてるなら、考え直せ」

 彩音は少しだけ笑った。

 いつものような、楽しそうな笑みではない。

 少し心配そうな笑みだった。


「恒一、恋愛って、たぶん正解を守るだけじゃだめなんだよ」

「……難しいな」

「うん」

 彩音はうなずく。

「だから面白いんだけど」

 少しだけ、いつもの彩音が戻る。

 でも、すぐに表情を引き締めた。


「でも、今回は本当に気をつけた方がいい」

「ああ」

 恒一は小さくうなずいた。

「考える」

「考えろ」

 基樹が言う。

「ちゃんと」

「分かった」

「あと、真田と話せ」

「……」

「必要なことだけじゃなくて」

「……分かった」

 恒一は返事をした。


 ただし、その顔はまだ迷っていた。

 完全に理解したわけではない。

 それでも、初めて少しだけ、自分の距離の取り方に疑問を持った。教室を出ていく恒一の背中を、三人は見送った。

 基樹は大きく息を吐く。


「……通じたと思うか?」

 純也は首をひねる。

「半分くらい?」

「半分かよ」

「恒一だし」

「そこは否定できない」

 彩音は黙って、恒一の出ていった扉を見ていた。

 いつもなら、ここで笑って面白がる。

 恒一がまた変な方向に行くのを、楽しそうに眺める。

 けれど、今日は、笑えなかった。


「彩音?」

 基樹が声をかける。

 彩音は少し遅れて振り向く。

「ん」

「どうした」

「いや」

 彩音は小さく息を吐く。

「これ、早く止めないと、ちょっとまずいかもね」


 基樹も純也も、何も言わなかった。

 誰も笑わなかった。

 放課後の教室に、少しだけ重い空気が残る。


 恒一は、部活へ向かった。

 考える、と言った。

 けれど、考え方を間違える可能性が高いことを、三人とも知っていた。


 それが、一番怖かった。

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