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分からないので呼んだ話

 夕方、真田家。


 巴は、自室で腕を組んでいた。

 機嫌は、よくない。

 というより、かなり悪い。

「……分からない」

 小さく呟く。


 昨日、白石ひよりと話した。千瀬に橋渡しをしてもらって、ちゃんと顔を合わせた。

 部活のことも聞いた。

 朝比奈のことも、少しだけ話題に出た。

 なのに、何も分からなかった。

 白石ひよりが朝比奈をどう思っているのか。

 朝比奈が白石ひよりをどう思っているのか。

 それどころか。

 自分が何を聞きたかったのかすら、よく分からなくなった。


「……なんなんだ」

 巴は膝の上で拳を握った。

 白石ひよりは、悪い子ではなかった。

 控えめで、真面目で、緊張しやすくて。

 朝比奈に見てもらったことを、少し嬉しそうに話していた。

 その顔を見た瞬間。

 巴は、聞けなくなった。

 何を、どうして。

 それすら分からない。


「……っ」

 巴はスマホを取った。

 少し迷ってから、短く送る。


『千夜。来られるか』

 返事は早かった。

『行ける』

 それだけだった。

 しばらくして、襖の向こうから静かな足音がした。


「入るよ」

「ああ」

 前田千夜が部屋に入ってくる。

 同学年。

 同じ二年生。

 千夜はいつも通り、あまり表情を変えない。けれど、巴の顔を見て、少しだけ目を細めた。


「苛立ってるね」

「分かるか」

「分かる」

 千夜は向かいに座った。

「白石さんのこと?」

「ああ」

「話したんだよね」

「話した」

「どうだった」

「分からない」

 巴は即答した。


 千夜は少しだけ首を傾げる。

「分からない?」

「分からない」

「聞かなかったの?」

「……何も聞けなかった」


 千夜はそこで、少しだけ間を置いた。

「なんで?」

「……」

 巴は答えられなかった。

 千夜は静かに続ける。

「聞きたかったんだよね」

「ああ」

「朝比奈のことを?」

「……たぶん」

「白石さんがどう思っているかを?」

「たぶん」

「じゃあ、なんで聞けなかったの」


 巴は唇を引き結ぶ。

 分からない。

 本当に、分からない。

 白石ひよりが緊張していたからか。

 朝比奈の話をした時、少し嬉しそうだったからか。

 その顔を見て、自分の方が言葉に詰まったからか。

 それとも、聞いたら、何かがはっきりしてしまう気がしたからか。


「……分からない」

 ようやく出た答えは、それだけだった。

 千夜は責めなかった。

 ただ、静かに巴を見る。

「分からないんだ」

「ああ」

「聞きたかったのに、聞けなかった理由も分からない」

「……そうだ」

 巴は拳を握る。


「それが、一番腹が立つ」

「うん」

「白石が悪いわけじゃない」

「うん」

「朝比奈が何を考えているか分からない」

「うん」

「白石が何を考えているかも分からない」

「うん」

「私が何をしたいのかも分からない」

「うん」

「……お前、うんしか言ってないな」

「聞いてるから」

 千夜は淡々と言った。


 巴は大きく息を吐いた。

 その淡々とした返事が、逆に少し落ち着く。


「千夜」

「なに」

「どうすればいい」

 千夜はすぐには答えなかった。

 いつものように、少しだけ考えてから言う。


「私は、どうすればいいとは言わない」

「知ってる」

「でも、巴が何を聞けなかったのかは、整理した方がいいと思う」

「整理」

「うん」

「白石に、朝比奈が好きなのか聞けなかった」

「うん」

「朝比奈と、どういう関係なのかも聞けなかった」

「うん」

「朝比奈が私に距離を取ってることをどう見てるのかも聞けなかった」

「うん」


「……全部、聞けてないな」

「そうだね」

 巴は少しだけ顔をしかめる。

「ひどいな」

「ひどくはない」

「そうか?」

「聞けなかったことが分かったなら、少し進んでる」

「……そうなのか」

「たぶん」

 千夜は控えめにそう言った。


 巴はしばらく黙る。

 進んでいる。

 そう言われても、あまり実感はない。

 むしろ、余計に分からなくなった気がする。


「白石のことは」

 千夜が静かに言う。

「私より千瀬の方が分かると思う」

「千瀬」

「同じ一年生だし、白石さんの相談も聞いてる」

「……そうだったな」

「呼ぶ?」


 巴は少し迷った。

 千瀬は明るい。

 遠慮が少ない。

 たぶん、今の自分には少し眩しい。

 だが、白石ひよりのことを知るには、千瀬の方が早い。


「……呼んでくれ」

「分かった」

 千夜はスマホを取り出す。

 短く連絡を送る。

 数分後。

 廊下の向こうから、軽い足音が近づいてきた。

「お姉ちゃーん、呼んだ?」

 明るい声と一緒に、襖が開く。

 前田千瀬が顔を出した。


「あ、巴姉もいる!」

「ああ」

「こんばんは!」

「こんばんは」


 千瀬はぺこりと頭を下げた。

 部屋の空気が、少しだけ明るくなる。

 千夜が静かに言う。

「千瀬、白石さんのことで聞きたいことがあるの」


「ひよりちゃん?」

「ああ」

 巴がうなずく。

「昨日、少し話した」

「うん。巴姉、ちゃんと話せた?」

「……話した」

「うん」

「でも、聞けなかった」

「何を?」


 千瀬はまっすぐ聞いてくる。

 遠慮がない。

 でも、悪意もない。

 巴は少しだけ言葉に詰まってから言う。


「白石が、朝比奈のことをどう思っているのか」

「あー」

 千瀬は納得したようにうなずいた。

 あまりにも軽い。


「聞けなかったんだ」

「ああ」

「なんで?」

「……分からない」

「そっか」

 千瀬は少し考える。


 それから、あっさり言った。

「ひよりちゃん、朝比奈先輩のこと好きだと思うよ」

 部屋が止まった。

 千夜は黙っている。

 巴も黙った。

 千瀬だけが、普通の顔をしている。


「……随分、はっきり言うな」

「だって、相談されたし」

「恋の相談か」

「うん」

 千瀬はうなずく。

「名前は最初ぼかしてたけど、途中からだいたい分かったよ。朝比奈先輩のことだなって」

「なぜ分かる」

「分かるよ。ひよりちゃん、隠すの下手だもん」

 千夜が静かに言う。


「千瀬、少し言い方」

「あ、ごめん」

 千瀬は素直に謝る。

 それから、巴を見る。

「でも、ひよりちゃんは悪い子じゃないよ」

「それは分かっている」

 巴はすぐに答えた。


 少し強い声になった。

 千瀬はぱちぱち瞬きして、それからにこっと笑う。

「巴姉、やっぱり優しいね」

「そういう話じゃない」

「そういう話だよ」

 千瀬は遠慮なく言う。

「普通なら、好きな人を好きかもしれない子のこと、もっと嫌な感じで見ると思うし」

「……」


「でも巴姉、ひよりちゃんが悪い子じゃないって、ちゃんと分かってる」

 巴は答えられなかった。

 千夜も何も言わない。

 千瀬は続ける。


「だから、ややこしいんだと思う」

「ややこしい」

「うん」

 千瀬は指を一本立てる。

「朝比奈先輩が何考えてるか分からない」

「分からない」

「ひよりちゃんはたぶん朝比奈先輩が好き」

「……」

「巴姉はそれが面白くない」

「……」

「でも、ひよりちゃんを嫌いなわけじゃない」


「……」

「で、巴姉は朝比奈先輩が自分には距離取るのが一番嫌」

 巴は固まった。

 千夜が少しだけ千瀬を見る。


「千瀬」

「言いすぎ?」

「かなり」

「あ、ごめん」


 千瀬はまた素直に謝った。

 だが、巴は怒らなかった。

 言い返せなかった。

 ほとんど当たっていたからだ。


「……お前、遠慮がないな」

「よく言われる」

「だろうな」

「でも、巴姉が怒ってるだけじゃなくて困ってるのは分かるよ」

 千瀬は少しだけ声を柔らかくする。


「ひよりちゃんも、困ってると思う」

「白石も?」

「うん。ひよりちゃん、朝比奈先輩のこと好きだけど、真田先輩のことも怖がってるだけじゃないと思う」

「どういう意味だ」

「たぶん、気にしてる」

「私を?」

「うん」

 千瀬はうなずく。


「だって、巴姉って目立つし、強いし、朝比奈先輩と同じ部で、近いでしょ」

「近くない」

 巴は即答した。

「今は」

 千瀬も即答した。


「……」

 巴は黙った。

 千夜が静かにお茶を飲む。

 完全に聞く側に回っていた。


「どうすればいい」

 巴は、もう一度言った。

 今度は千瀬に向けて。

 千瀬は少し考える。


「うーん」

 それから、明るく言った。

「まず、朝比奈先輩が変」

「それは分かる」

「だから、朝比奈先輩の変さに全部振り回されない」

「……難しいな」

「うん、難しい」


「他には」

「ひよりちゃんと話すなら、朝比奈先輩の話だけじゃなくて、普通に話した方がいいと思う」

「普通に」

「うん。部活のこととか、好きな食べ物とか」

「好きな食べ物」

「大事だよ」

「そうなのか」

「料理部的には大事」

 巴は少しだけ眉をひそめた。


「恋愛と料理は関係あるのか」

「たぶんある」

「たぶん」

「段取りとか、火加減とか」

「火加減」

「強すぎると焦げる」

 千夜が小さく息を吐いた。

 笑ったのかもしれない。

 巴は少しだけ目を細める。


「私は火が強いのか」

「強そう」

「……」

「でも、ちゃんと弱火にしようとしてる」

 千瀬はにこっと笑った。


「だから大丈夫だよ」

 巴は返事をしなかった。

 大丈夫。

 そんな簡単な話ではない。

 でも、少しだけ息がしやすくなった。


「千瀬」

「なに?」

「白石と、また話せるようにしてくれるか」

「いいよ」

 即答だった。


「軽いな」

「橋渡し係だから」

「いつからだ」

「今から?」

「勝手に決めたな」

「巴姉が頼んだんだよ」

「……そうだった」

 千瀬は明るく笑う。


 千夜が立ち上がる。

「そろそろ帰るよ」

「ああ」

「巴」

「なんだ」

「焦らなくていいと思う」

 千夜は静かに言った。


「でも、分からないまま抱え込むと、たぶん余計に苛立つ」

「……そうだな」

「だから、話すなら少しずつ」

「少しずつ」

「うん」


 千瀬が横から言う。

「弱火で!」

「千瀬」

「はい」

 千夜に呼ばれ、千瀬は少しだけ口を閉じた。

 前田姉妹は帰っていった。

 廊下に、千瀬の明るい声が残る。

「巴姉、焦がしちゃだめだよー!」

「……焦がすか」

 巴は小さく呟いた。


 それから、膝の上の拳をほどく。

 分からないことは、まだ多い。

 朝比奈恒一のこと。

 白石ひよりのこと。

 自分のこと。


 けれど、少しだけ分かったこともある。

 自分は、聞きたかったのに聞けなかった。

 そして、聞けなかった理由すら、分からない。


「……弱火か」

 巴は小さく息を吐いた。

 それが何なのかは、まだ分からなかった。

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