見えてしまった話
放課後、グラウンド。
秋の空気が少しずつ混じり始めていた。
陸上部は、いつも通り練習中。
外周を走る長距離組。
スタート練習を繰り返す短距離組。
その中で、朝比奈恒一は一年生の練習を見ていた。
「白石」
「はい」
名前を呼ばれ、白石ひよりが小さく返事をする。
「さっきのスタート、最初の一歩は良かった」
「本当ですか」
「ああ」
恒一は真面目な顔でうなずく。
「でも、三歩目で少し上に跳ねてる」
「上……?」
「前じゃなくて、上」
「あ……」
ひよりは少し考えてから、小さくうなずいた。
「力、入ってるかもです」
「だと思う」
恒一は少し考えてから、ひよりの横に立った。
「三歩だけ確認しよう」
「はい」
「最初は速くなくていい。丁寧に」
「はい」
ひよりは真剣にうなずく。
一歩。
二歩。
三歩。
「……今のは?」
「さっきより良い」
「本当ですか」
「ああ。ちゃんと前に進んでる」
ひよりの顔が、少しだけ明るくなった。
「ありがとうございます」
「いや、白石が直した」
恒一は普通に言った。
ひよりは少しだけ目を伏せる。
「朝比奈先輩って、そういうところありますよね」
「そういうところ?」
「ちゃんと、私が頑張ったことにしてくれるところ」
「実際そうだろ」
「……はい」
ひよりは小さく笑った。
その笑顔は、かなり嬉しそうだった。
少し離れた場所。
巴は、その様子を見ていた。
「……」
恒一は、自分と話す時には距離を取る。
必要なことだけ話す。
最近は、目もあまり合わせない。
なのに。
白石ひよりとは、普通に近い。
普通に笑わせている。
その光景が、妙に引っかかった。
「真田さん」
佐藤が声をかける。
「女子側、次のメニューお願いします」
「ああ」
巴は返事をする。
でも視線は、まだ少しだけ恒一たちの方に残っていた。
佐藤もそちらを見る。
そして、微妙な顔になる。
「……」
「佐藤」
「はい?」
「あれ、どう見える」
かなり答えづらい質問だった。
「……部長が一年生を指導しているように見えます」
「そうか」
「ただ」
「ただ?」
「真田さんから見ると、違って見える可能性はあります」
巴は少しだけ目を細めた。
「最近、お前言い方うまくなったな」
「副部長になってから生存能力が上がりました」
巴は少しだけ笑いそうになった。
でも、笑えなかった。
胸の奥に、ざらっとしたものが残る。
練習後。
ひよりは一年生の部員たちと話していた。
「白石さん、朝比奈先輩と楽しそうだったね」
「フォーム見てもらっただけだよ」
「でも、ちょっと嬉しそうだった」
「……そうかな」
「そうだよ」
ひよりは少し困ったように笑う。
でも否定しなかった。
朝比奈先輩は、ちゃんと見てくれる。
速いとか遅いとかだけじゃなくて。
どこで力が入っているのか。
どこで怖がっているのか。
そういうところまで見てくれる気がした。
「……部長、いい人だよね」
「うん」
ひよりは小さくうなずく。
その様子を、巴は遠くから見ていた。
やっぱり、少し面白くなかった。
■夕方、真田家。
巴は、自室で前田千夜を待っていた。
しばらくして、千夜がやってくる。
「どうしたの?」
「聞きたいことがある」
「なに」
巴は少しだけ視線を逸らした。
「朝比奈って、白石ひよりに気があると思うか?」
千夜は少しだけ考える。
「どうしてそう思ったの」
「距離が近い」
「物理的に?」
「物理的にも、話し方も」
「ふうん」
「私には距離取るのに、白石には普通」
千夜は静かに聞いている。
「楽しそうだった」
「……なるほど」
「だから、そうなのかと思った」
千夜は否定もしない。
ただ、静かに言った。
「白石さん側は、朝比奈を気にしてると思う」
巴の肩が少しだけ止まる。
「白石が?」
「うん」
「朝比奈じゃなく?」
「少なくとも、白石さん側は」
巴は黙った。
予想していなかったわけではない。
でも、人に言われると妙に刺さる。
「朝比奈は?」
「分からない」
「分からないか」
「朝比奈は、自分でも分かってない気がする」
「……それは分かる」
巴は深く息を吐いた。
少し腹が立つ。
でも、それだけじゃない。
「千夜」
「なに」
「どうすればいいと思う」
千夜は少し考える。
でも、いつものように。
「私は、どうしたらいいとは言わない」
「知ってる」
「ただ、分からないなら、情報増やした方がいいとは思う」
「情報?」
「白石さんのこと」
巴は顔を上げる。
「どうやって?」
「……そういえば」
千夜が思い出したように言う。
「妹、白石さんと同じクラスだった気がする」
「妹?」
「千瀬」
「あの子か」
「うん。呼んでみる」
数分後。
廊下から軽い足音が聞こえた。
「お姉ちゃーん!」
襖が開く。
前田千瀬だった。
空気が一気に明るくなる。
「あ、巴姉もいる!まあ、巴姉の部屋だし!」
「こんにちは」
「こんにちは!」
千瀬は元気よく頭を下げた。
千夜が静かに聞く。
「千瀬、白石ひよりさんと同じクラス?」
「うん、そうだよ」
巴が少し身を乗り出す。
「仲はいいのか?」
「うん、結構普通に話すよ」
「そうか」
「ひよりちゃん、静かだけどいい子らしいよ」
千瀬はにこにこしている。
「最近ちょっとぼーっとしてるけど」
巴の眉がぴくりと動いた。
「ぼーっと?」
「うん。朝比奈先輩のこと考えてる顔してる」
部屋の空気が止まった。
「……なぜ分かる?」
「この前、恋の相談されたから」
巴が固まる。
千夜は静かに目を伏せた。
「恋の相談」
「うん。直接会ったことはないけど、名前とかは聞いてたし」
「……」
「最初は名前ぼかしてたけど、途中からだいたい分かった」
千瀬は悪気なく言う。
「ひよりちゃん、隠すの下手だから」
巴は黙った。
少しだけ胸が重い。
でも、不思議と、白石ひよりを嫌だとは思わなかった。むしろ、あの様子なら、好きになるのも分かる気がした。
「でも、ひよりちゃん悪い子じゃないよ」
「それは分かってる」
巴はすぐに言った。
少し強かった。
千瀬はぱちぱち瞬きをする。
それから、にこっと笑った。
「巴姉、優しいね」
「そういう話じゃない」
「そうかなぁ」
千夜が静かに立ち上がる。
「千瀬、帰るよ」
「はーい」
千瀬は鞄を持ち直す。
「巴姉、またね!」
「ああ」
「ひよりちゃんのこと、気になるなら話してみれば?」
巴が止まる。
「……私が?」
「うん」
「なぜ」
「だって、気になってるんでしょ?」
千瀬は明るく笑った。
千夜が、静かに妹の肩を押す。
「行くよ」
「はいはい」
前田姉妹は帰っていった。
廊下に、千瀬の明るい声が残る。
巴は、その場に座ったままだった。
白石ひより。
朝比奈恒一。
距離の近い二人。
そして。
朝比奈先輩のこと考えてる顔してる。
その言葉が、妙に頭に残っていた。
「……面倒だな」
巴は小さく呟く。
でも、本当に面倒なのは。
たぶん、自分の方だった。




