次の部長が決まった話
放課後 陸上部の部室。
練習を終えた二年生たちが帰ったあと、三年生だけが残っていた。
「さて」
佐々木光一が、椅子に座ったまま口を開く。
「次の体制、決めるぞ」
空気が、少しだけ変わった。
三年生の引退。
それは、もう遠い話ではない。
「部長は?」
誰かが言う。
「普通に佐藤じゃないですか」
「真面目だし」
「練習メニューもちゃんと見るし」
「二年の中だと一番安定してますよね」
佐藤忠一。
二年D組。
真面目で、常識がある。
部員への面倒見もいい。
たしかに、名前が出るのは自然だった。
「佐藤は副部長」
佐々木が言った。
「え?」
「副部長ですか」
「あいつは支える方が向いてる」
佐々木は淡々と言う。
「細かいところを見るのがうまい。実務もできる。文句も言える」
「……文句」
「大事だろ」
佐々木は少し笑った。
「部長がズレた時に、止められるやつがいる」
「……部長がズレる前提なんですね」
「前提だな」
部室に、小さな笑いが起きる。
「じゃあ、女子側は?」
「真田ですか?」
誰かが口にする。
全員が納得しかけて、少しだけ黙った。
「実力なら文句ないですけど」
「兼部多すぎません?」
「剣道、薙刀、弓道、陸上って、どうなってるんですかあの人」
「あと、普通に怖い」
「おい」
佐々木が軽く止める。
でも、否定はしなかった。
「真田は女子側の副部長」
「部長じゃなくてですか」
「あいつを部長にしたら、全員が練習前に背筋伸びすぎる」
「それはありますね」
「あるんだ……」
「けど、女子側をまとめるなら真田がいい」
佐々木は言う。
「実力がある。見られてる。あいつがいるだけで空気が締まる」
「象徴みたいな感じですか」
「そうだな」
短くうなずく。
「じゃあ」
誰かが少し身を乗り出す。
「部長は誰ですか」
佐々木は、少しだけ間を置いた。
「朝比奈」
部室が、静かになった。
「……朝比奈?」
「恒一ですか」
「あいつ、まだ入部して半年くらいですよね」
「関東まで行ったのはすごいですけど」
「部長ですか?」
当然の反応だった。
佐々木も、それは分かっていた。
「半年で関東まで行った」
佐々木は言う。
「でも、それだけじゃない」
「……?」
「あいつは、人を見てる」
少し前の練習を思い出す。
後輩の一人が、何度もスタートで崩れていた。
顧問に注意されても、なかなか直らない。
本人も焦っていた。
その横を通りかかった朝比奈恒一が、ぽつりと言った。
「左足、少し急いでる」
「え?」
「一歩目が先に出すぎてる。少し待った方がいい」
それだけ。
恒一は、特に偉そうにするでもなく、そのまま自分の練習に戻った。
後輩は半信半疑で試した。
次の一本、フォームが少し安定した。
「……あれ?」
後輩が驚いた顔をする。
その様子を、佐々木は見ていた。
恒一は、自分が見られていることにも気づいていなかった。
「派手じゃない」
佐々木は部室で言う。
「声を張るタイプでもない」
「……」
「でも、見てる」
「あと、変に人が集まる」
「それは分かります」
「分かるんだ」
「なんか放っておけないんですよね」
「本人はずっと普通の顔してるのに」
「普通じゃない時も普通の顔してますけどね」
小さく笑いが起きる。
佐々木も少しだけ笑った。
「だから、朝比奈を部長にする」
「副部長が佐藤と真田」
「そうだ」
佐々木はうなずく。
「朝比奈が前を見る。佐藤が整える。真田が締める」
「……」
「三人で、ちょうどいい」
誰も、すぐには反対しなかった。
それで、だいたい決まった。
しばらくして。
部室の外に、三人が呼ばれた。
朝比奈恒一。
佐藤忠一。
真田巴。
「……なんですか」
佐藤が、少し警戒した顔で聞く。
真面目な顔。
すでに何か面倒なことを察している。
巴は腕を組んで立っていた。
恒一は、いつものようによく分からない顔をしている。
「次の体制を決めた」
佐々木が言う。
三人が黙る。
「次の部長は朝比奈」
「……?」
恒一が止まった。
「副部長は佐藤と真田」
「……俺ですか」
佐藤が眉を寄せる。
「私も?」
巴も少し驚いた顔をした。
「そうだ」
佐々木はうなずく。
「男子側は佐藤。女子側は真田。全体を見るのは朝比奈」
「……」
恒一は少し考える。
「佐藤の方が向いてませんか」
「俺もそう思います」
佐藤が即答した。
「おい」
佐々木が軽く笑う。
「佐藤は副部長向きだ」
「それ褒めてますか」
「褒めてる」
佐藤は納得していなさそうだった。
巴が、少しだけ恒一を見る。
「……朝比奈が部長」
「らしい」
「大丈夫なのか」
「分からん」
「そこは分かれよ」
巴が小さく言う。
佐藤が深く息を吐いた。
「……もう不安なんですけど」
「だから副部長にした」
佐々木が言う。
「支えろ」
「俺がですか」
「お前が」
佐藤はさらに深いため息を吐いた。
「……分かりました」
巴は少し黙る。
「私は、女子側を見ればいいんですね」
「ああ」
「実務は佐藤に任せていい」
「俺の仕事、多くないですか」
「多い」
「認めるんですか」
部室前に、少しだけ笑いが広がる。
恒一は、その中で静かに立っていた。
部長。
自分が?。
まだ、実感はなかった。
「朝比奈」
佐々木が呼ぶ。
「はい」
「お前は、自分が思ってるより見られてる」
「……」
「それだけは覚えとけ」
恒一は少し黙った。
「……難しいですね」
正直に言った。
佐々木が笑う。
「だろうな」
「でも、やれ」
「……はい」
短く返す。
その返事を聞いて。
佐々木は、少しだけ満足そうにうなずいた。
三年生は、もうすぐ引退する。
そして、次の陸上部は、本人たちの理解より少し早く、動き始めていた。
★人物情報一覧★
朝比奈恒一:二年A組の陸上部部長で、真面目で努力家だが恋愛に鈍く、約束を絶対に守る誠実すぎる主人公。
真田巴:二年B組の陸上部副部長で剣道本業の天才型、強く美しい「巴様」だが内面は繊細で弱い。
白石ひより:一年生の陸上部員で、控えめで自信がなく、恒一に好意を抱いている。
白石ひなた:ひよりの妹で、姉思いだが悪気なく大きな誤解を生む行動をする。
三浦基樹:恒一の一番の親友で、心配症のツッコミ役だが自分のことには鈍い。
一ノ瀬彩音:恒一と基樹の幼馴染で、鋭く何でも分かる観察者タイプ。
三浦純也:基樹の従兄弟で、恒一の過去を知り、必要な時に踏み込む役。
前田千夜:巴の相談相手で、相手を動かさずただ話を聞いて支える同学年。
前田千瀬:千夜の妹でひよりの同級生、明るく遠慮なく人を動かす橋渡し役。
佐藤忠一:陸上部副部長で、恒一と巴の間に挟まれて胃を痛める常識人。
佐々木光一:陸上部元部長で、恒一を次期部長として評価していた三年生。
巴の父:厳格で圧が強く、恒一に巴と距離を取らせたが後に反省する。
巴の兄:妹思いで恒一に距離を取る約束をさせたが、恒一の誠実さを高く評価する。
巴の祖父:真田道場の師匠で、恒一に「見るに足る男になれ」と教えた人物。
真紀子:巴の母で、丁寧で穏やかだが怒ると非常に怖い。
巴の祖母:普段は穏やかだが、父と兄を土下座させるほど怖い一面がある。
西園寺さつき:女性の巴ファンクラブ会長で、巴様の変化を細かく見守る。




