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恋愛台帳、時代ズレにつき修正不能  作者: サザルト
すれ違い編

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第10話 守りたいもの

 廊下


 いつもの放課後。


 廊下の窓際で、彩音に呼び止められた。


「ねえ、恒一」


「ん?」


 振り向くと、彩音は少しだけ真面目な顔をしていた。いつもの、面白そうなものを見つけた時の顔ではない。


 少し迷って。


 それでも言うと決めた顔だった。


「最近さ」


「ああ」


「基樹、ずっと恒一のこと心配してるよ」


 その一言で、だいたい分かった。


「……あいつらしいな」


 少し苦笑する。


 だが、彩音は笑わなかった。


「笑い事じゃないって」


「そうか?」


「そうだよ」


 彩音は少しだけ眉を寄せる。


「バイトもトレーニングも、やりすぎだって言ってた」


「……」


 図星だった。


 何も言い返せない。


「顔にも出てるし」


「そんなに?」


「うん。分かる人にはすぐ分かる」


 責めているわけではない。

 ただ、心配している。


 それが分かったから、少しだけ答えに困った。


「大丈夫なの?」


 まっすぐな問いだった。


 逃げられない。

 大丈夫か。


 そう聞かれると、少し困る。


 体は重い。

 朝起きる時、前より時間がかかる。


 授業中、気を抜くと意識が落ちそうになることもある。


 バイト終わりに走ると、足が思ったより上がらない時もある。


 それでも。


「……大丈夫だよ」


 俺はそう言った。

 本音かと言われると、少し怪しい。


 でも、嘘のつもりでもない。


 まだ動ける。

 まだやれる。


 そういう意味では、大丈夫だった。


 彩音はしばらく俺を見る。


「恒一の大丈夫って、ちょっと危ないよね」


「そうか?」


「うん。基樹が心配するのも分かる」


「基樹にも似たようなことを言われた」


「だろうね」


 彩音は小さく息を吐いた。


 それを見て、俺は言った。


「ありがとな」


「え?」


「心配してくれて」


 彩音が、少しだけ目を丸くする。


「……そういうところは素直なんだよね」


「そうか?」


「うん。厄介なくらい」


「厄介なのか」


「ちょっとね」


 彩音は、そこでようやく少し笑った。いつもの笑いより、少し優しい笑いだった。


「基樹にも、ありがとうって言っといて」


「自分で言いなよ」


「あとで言う」


「本当に?」


「ああ」


「恒一のあとでって、たまに信用ならないからなぁ」


「今回は言う」


「じゃあ、信じる」


 彩音はそう言ってから、少しだけ首を傾げた。


「それと、何か他にも言いたそうだけど」


「分かるのか」


「分かるよ」


 俺は少し考えてから、口を開いた。


「彩音」


「うん」


「ごめん」


「なんで謝るの?」


「巻き込んでるから」


 素直に言った。

 基樹も彩音も、俺のことで心配している。


 頼んだわけではない。


 でも、俺の行動で二人に余計な負担をかけている。それは、たぶん間違いない。


 彩音は少しだけ考えてから、肩をすくめた。


「まあ、巻き込まれてるけど」


「やっぱりか」


「うん」


 そこは否定しないらしい。


 彩音らしいと思った。


「でも」


 彩音は、くすっと笑った。


「嫌じゃないよ」


 その一言が、やけに温かかった。


「……そっか」


「うん」


「ありがとう」


「どういたしまして」


 少しだけ空気が軽くなる。


 けれど、彩音はすぐにまた真面目な顔になった。


「でもさ」


「ああ」


「ちゃんと限度は守りなよ」


「限度」


「そう。倒れるまでやるのは努力じゃなくて事故だから」


「事故」


「うん。恒一、放っておくと自分で事故りそうだし」


「俺はそんなに危ないのか」


「危ない」


 即答だった。

 少し納得がいかない。


 でも、彩音がそう言うなら、たぶんそう見えるのだろう。


「約束ね」


「……ああ」


 俺はしっかりとうなずいた。


「無理しすぎない」


「“しすぎない”って言い方がもう怪しいけど」


「難しいな」


「そこは難しくしないで」


 彩音は呆れたように笑った。


 ■二年A組教室


 そのあと、俺は基樹のところへ向かった。


「基樹」


「ん?」


 教室の隅で鞄を整理していた基樹が振り向く。


「また心配かけてごめん」


「……急にどうした」


「彩音から聞いた」


 基樹は少しだけ目を逸らした。


「別に、そんな大げさなことじゃねえよ」


「気にしてくれてたんだろ」


「まあ」


「ありがとな」


 はっきり言う。


 基樹は少しだけ黙った。


 それから、短く返した。


「……おう」


 照れているのか、困っているのか。


 たぶん両方だと思った。


「あと」


「まだあるのか」


「トレーニング、少し控える」


 その言葉に、基樹がこちらを見る。

 目が少しだけ大きくなっていた。


「マジで?」


「ああ」


「本当に?」


「無理しすぎないようにする」


「……」


 基樹は俺をじっと見た。


 疑っている。

 かなり疑っている目だ。


「その“無理しすぎない”って、どのくらいだ?」


「倒れないくらい」


「基準が終わってる」


「そうなのか」


「そうだよ」


 基樹は頭を抱えた。


「いいか、恒一。倒れないのは最低ラインだ。普通はその前に休むんだよ」


「その前」


「そう」


「分かった」


「本当に分かったか?」


「たぶん」


「たぶんじゃねえ」


 基樹の声が少しだけ強くなる。


 俺は考えてから、言い直した。


「分かった。少し減らす」


「何を」


「走る距離と、筋トレの量」


「よし」


 基樹はようやく少しだけ息を吐いた。


「ならいい」


「心配かけた」


「ほんとにな」


「すまん」


「謝るなら、ちゃんと守れよ」


「ああ」


 しっかり頷く。


 基樹は、まだ少し不安そうだった。

 でも、それ以上は言わなかった。


 別れ際、基樹は軽く手を上げる。


「ほんと、倒れんなよ」


「倒れない」


「その前に休め」


「分かった」


「よし」


 少しだけ笑って、基樹と別れた。


 ■神社


 一人になると、夕暮れの道が少しだけ静かに感じた。


 空は赤くなり始めている。


 部活帰りの生徒たちの声が、遠くから聞こえる。


 俺は鞄を肩にかけ直しながら、ゆっくり歩いた。


(……いい友達持ったな)


 しみじみ思う。


 基樹は、かなり本気で心配していた。

 彩音も、ちゃんと見てくれていた。


 俺が思っている以上に、周りは俺を見ているらしい。


 だったら。


(これ以上、心配させたくない)


 そう思った。

 思ったのに。


 足は、家とは別の方へ向かっていた。


 神社。

 最初に、全部が始まった場所。


 あの日、願った。

 変わりたいと。

 届きたいと。


 名前を覚えてもらいたいと。


 今思うと、ずいぶん都合のいい願いだった。でも、それでも。 俺はまだ、何かに頼りたかった。


 石段を上る。


 夕方の神社は静かだった。


 木々の間を風が抜ける。


 境内には、数人の参拝客がいるだけ。


 俺は賽銭箱の前に立った。


「……」


 ポケットから、新しい財布を取り出す。


 バイト代で買ったばかりの財布。


 中には、少しだけお金も入っている。


 普通なら、賽銭だけ入れる。


 それは分かっている。


 分かっているが。


(これでいいのかよ)


 自分でも、少し迷う。


 財布ごと入れるのは、さすがにおかしい。

 たぶん、かなりおかしい。


 でも、俺には他の方法が分からなかった。


 どれくらい願えば届くのか。

 何を差し出せばいいのか。


 どうすれば、またあの神様みたいな存在に会えるのか。だから、分かりやすいものを差し出すしかないと思った。


「……頼むぞ」


 小さく呟く。


 そして。


 ――ぽいっ。


 財布ごと、賽銭箱へ入れた。


「えっ!?」


 後ろにいた参拝客が声を上げる。


「今、財布……?」


「財布ごと……?」


 ざわつく空気。


 俺は手を合わせた。


 もう遅い。


 入れてしまった。


 神社の人に怒られるかもしれない。


 いや、たぶん怒られる。


 でも。


「……これでいい」


 自分に言い聞かせる。


(神様)


(出てこい)


 言い方が、少し悪かったかもしれない。

 でも、他に思いつかなかった。


 ■自室


 その夜。


 布団に入ってからも、なかなか眠れなかった。基樹には、無理をしすぎないと約束した。彩音にも、限度を守ると約束した。


 だから、体を削るやり方は少し変えないといけない。


 でも止まるわけにはいかない。


(頼む)


 目を閉じる。


(会わせてくれ)


 静かな闇の中で、ただ、願った。


 無茶をやめると約束したその日に、財布を丸ごと賽銭箱へ入れる。あとから考えれば、それも十分無茶だった。


 けれどその時の俺は、まだ自分の無茶の種類を、よく分かっていなかった。

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