09、再びの虐殺
山間の要塞都市を、夜の風が吹き抜けていた。
断崖の上に、一人の男が立っている。
黒い外套。
深く被ったフード。
その隙間から覗く黒髪と、夜より暗い瞳。
シトは眼下を見下ろしていた。
何重にも築かれた石壁。
その内側を巡回する重装騎士。
高々と燃えるかがり火。
王国最前線。
人間たちが「鉄壁」と呼ぶ軍事要塞だった。
「……行くか」
シトは一歩、前へ出た。
次の瞬間。
その身体が、崖下へ消える。
風を切り、闇を落ちる。
地面に触れる寸前、身体を捻る。
――音が、消えた。
「なっ……」
外壁を巡回していた騎士が振り返る。
その目の前に、シトがいた。
「何者――」
言葉が最後まで続くことはなかった。
シトの右手が兜の隙間へ滑り込み、喉元を打ち抜く。
騎士の身体が崩れ落ちた。
シトは倒れた男を一瞥する。
そして、その腰から長剣を抜き取った。
「敵襲ーッ!」
別の騎士が叫んだ。
「姿なき魔王だ!」
警鐘が鳴り響く。
かがり火が次々と灯され、要塞中の兵士が動き始めた。
「門を閉めろ!」
「急げ!」
「矢を放て!」
夜空を埋め尽くすように矢が飛んでくる。
シトは走った。
ほんのわずかに身体を傾ける。
矢が外套の脇を抜けていく。
その全てを避けながら、シトは門前まで辿り着いた。
腰の魔剣へ手を伸ばす。
黒く濁った刀身が、月明かりを吸い込んだ。
「ひらけ」
――轟ッ!
漆黒の閃光が走った。
鉄の城門が内側から弾け飛ぶ。
「う、うわあああっ!」
「隊列を組め!」
「押し返せ!」
騎士たちが一斉に押し寄せる。
シトは魔剣を構えた。
一歩。
踏み込む。
振り抜く。
先頭の騎士が吹き飛び、その後ろにいた兵士たちまで巻き込まれて倒れた。
「化け物……!」
「怯むな!」
「殺せ!」
槍が突き出される。
シトは身体を横へ滑らせた。
槍先が頬を掠める。
そのまま懐へ潜り込み、柄を握る腕を斬り落とす。
男が膝をつく。
シトは止まらない。
剣が閃くたび、兵士が倒れていく。
「なぜだ……!」
血に濡れた隊長が、剣を杖代わりにして立ち上がった。
「なぜ、こんなことをする……!」
シトは剣を下ろした。
「僕が魔王だからだ」
剣が走った。
隊長の身体が崩れ落ちる。
広場から声が消えた。
残っていた兵士たちも、武器を握ったまま動かない。
シトが一歩進む。
その瞬間、最後の兵士が背を向けた。
「た、助け――」
黒い影が走る。
静寂。
要塞に残ったのは、風の音だけだった。
シトは魔剣を下ろした。
周囲を見渡す。
誰も動かない。
誰も叫ばない。
誰も立ち上がらない。
そして――。
「……」
シトが空を見上げた。
地面に横たわる兵士たちの身体から、淡い光が浮かび上がっていた。
一。
十。
百。
千。
無数の光が夜空へ昇っていく。
まるで何かに導かれるように。
光の群れは渦を巻き、やがて一つの場所へ吸い込まれていった。
シトの視線が、その先を追う。
「……よし」
ほんの少しだけ、口元が動いた。
魔剣ではない。
自分の身体でもない。
魂の光は、別の「何か」へ集まっている。
シトは右手を握った。
その手の中には、小さな黒い欠片があった。
「集まってる……」
黒い欠片を握り込む。
「確実に」
シトはしばらく黙っていた。
やがて、血に濡れた魔剣を鞘へ戻す。
右手を見る。
昼間、この手で銀色の髪に触れた。
頭を撫でた。
『シト、また明日ね』
少女の声が、夜の静寂に重なる。
シトは目を伏せた。
そして、右手を外套の袖へ隠した。
「……もう少しだ」
誰もいない広場で、低く呟く。
「もう少しだから」
黒い外套を羽織り直す。
燃え残ったかがり火が、風に揺れた。
シトはそのまま歩き出す。
背後には、誰もいない。
ただ、夜空へ昇っていく無数の光だけが残されていた。
「待っていてくれ……セシリア」
足を止める。
振り返らない。
「明日も、君の隣にいるから」
再び歩き出す。
夜が明ければ、シトは学園へ戻る。
いつもの制服を着て。
いつもの笑顔を浮かべて。
そして彼女の隣で、いつものように笑う。
夜になれば、また魔王になる。
人々に恐れられ、憎まれる怪物として。
そのために、もう一度剣を握る。
シトの姿が闇へ溶けていく。
変更後です




