07、虐殺
静寂に包まれた夜空に、満月が浮かんでいた。
王国でも有数の交易都市。
街道には魔導燈が並び、酒場からは笑い声が響いている。通りを歩く人々の足取りも軽い。
その外郭防壁の上に、一つの影が降り立った。
黒い外套が夜風に揺れる。
フードの奥から覗く黒髪と黒い瞳。
シトは街を見下ろした。
「……始めよう」
右手が、腰に吊るされた魔剣へ伸びる。
黒く濁った刃が、月明かりを飲み込んだ。
次の瞬間。
シトの足元から黒い靄が噴き上がった。
――バキィンッ!
街全体を覆っていた防衛結界が砕け散る。
光の破片が夜空へ舞い、魔導燈が一斉に消えた。
「な、なんだ!?」
「結界が破られたぞ!」
「鐘を鳴らせ! 敵襲だ!」
警備兵たちが防壁を駆ける。
だが。
その目の前から、黒い影が消えた。
次にシトが現れたのは、街の中央広場だった。
「――鎮め」
魔剣が石畳へ突き立つ。
ズズズズズ……。
大地が揺れた。
黒い衝撃波が地面を這い、広場から四方へ走っていく。
石畳が跳ね上がった。
建物の壁に亀裂が走る。
次の瞬間、商店が内側から弾けるように崩れ落ちた。
「逃げろ!」
「建物が――!」
「助けてくれぇ!」
悲鳴が重なる。
シトは歩いた。
振り返らない。
瓦礫が足元へ転がってきても、避けることすらしない。
やがて、重装の騎士たちが広場へなだれ込んできた。
「怪物を包囲しろ!」
数十本の槍が一斉に突き出される。
シトの身体が僅かに傾いた。
槍が頬の横を通り過ぎる。
一歩。
二歩。
騎士たちの間をすり抜ける。
最後尾にいた男の首へ、手刀が入った。
ゴキッ。
男が崩れ落ちる。
シトはその腰から長剣を抜き取った。
「な――」
振り向きざまに一閃。
黒い魔力を纏った刃が、騎士たちをまとめて薙ぎ払う。
甲冑が裂け、石畳へ赤い雫が落ちた。
「ひっ……」
一人の騎士が後ずさる。
「化け物だ……」
シトが顔を向けた。
「逃げるな」
ただ、それだけだった。
騎士の顔から血の気が引く。
背を向けた瞬間、黒い衝撃波が路地を駆け抜けた。
悲鳴が一つ。
そして、静かになった。
時計塔が崩れる。
宝物庫が吹き飛ぶ。
大通りを走っていた馬車が横転し、燃え上がった。
シトは歩き続ける。
黒い外套の裾が、赤く染まっていく。
「なぜだ……」
瓦礫の隙間から、男の声がした。
都市の執政官だった。
豪奢な服は泥と血で汚れ、震える手をシトへ伸ばしている。
「この都市が……何をした……?」
シトが足を止めた。
男を見下ろす。
「私たちが、何をしたというんだ……!」
シトの瞳は動かない。
「……理由などない」
「な――」
「お前たちが平和を享受している間にも、世界のどこかでは誰かが死んでいる」
シトは魔剣を握り直した。
「それだけだ」
黒い光が走る。
男の声が途切れた。
風が吹き抜ける。
燃え上がる街を、シトは無言で見渡した。
わずか一晩。
王国有数の大都市は、瓦礫の山へ変わっていた。
魔導燈は消え、時計塔は崩れ、黒煙だけが夜空へ昇っている。
生き残った人々は、瓦礫の陰からシトを見ていた。
誰も声を上げない。
誰も近づかない。
シトは魔剣を鞘へ収めた。
右手を開く。
すると、街のあちこちから淡い光が集まり始めた。
無数の小さな光。
それらはどこかへと吸い込まれていく。
「……集まってきたか」
シトは掌を閉じた。
しばらく、何も言わなかった。
やがて。
「…………」
黒い外套の内側から、一枚の紙片が落ちた。
昼間。
セシリアから渡された、手作りのクッキーを包んでいた紙だった。
シトはそれを拾い上げる。
指先で、皺を伸ばした。
「……」
紙を折り畳む。
懐へしまう。
そして、燃え上がる街へ背を向けた。
「待っていてくれ、セシリア」
誰もいない夜空へ、低い声が落ちる。
「君は勇者として――」
シトは一度だけ、燃える街を振り返った。
「幸せに生きてくれ」
東の空が、僅かに白み始めていた。
シトはフードを深く被る。
その姿が、闇の中へ溶けていく。
あとには、崩れた街と。
消えない黒煙だけが残った。
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