41、隠れ家
深い森の中を、セシリアは歩いていた。
木々の隙間から差し込む月明かりが、細い道を淡く照らしている。
王都を出て、数日。
すり減ったブーツの底からは、もうほとんど感覚がなかった。
それでも、足は止まらない。
目的地があるわけではない。
ただ、王国から離れたかった。
その一心で歩き続けていた。
やがて――。
木々の向こうに、小さな建物が見えた。
「……」
セシリアの足が止まる。
古びた木の小屋。
見覚えがあった。
「ここ……」
ゆっくり近づき、扉に手を触れる。
鍵はかかっていなかった。
押すと、
ギィ……。
乾いた音が森の静けさに響いた。
中は暗い。
窓から差し込む月明かりが、小さなテーブルと椅子を照らしている。
簡素なベッド。
必要最低限の家具。
そして――。
「シト……」
口から名前がこぼれた。
ここは、かつてシトが身を隠していた場所だった。
セシリアはゆっくりと部屋の中へ入った。
一歩。
また一歩。
まるで、彼がまだどこかにいるかのように、足音を立てることさえためらわれた。
テーブルの上に、一冊のノートが置かれている。
その隣には、小さな木製のフォトスタンド。
セシリアは震える指で、それを持ち上げた。
ガラスの向こうに写っていたのは、シトだった。
けれど、学園で見ていた彼とは少し違う。
穏やかに笑っているわけでもない。
魔王として冷たい顔をしているわけでもない。
ただ、まっすぐ前を見ている。
その横顔を、セシリアはしばらく見つめていた。
「……こんな顔、してたんだ」
写真の横には、小さな皿があった。
そこに、焼き菓子がいくつか置かれている。
時間が経ち、すっかり硬くなっている。
セシリアは皿に手を伸ばしかけて、止めた。
「これ……」
胸元に手を当てる。
放課後の教室が、ふと脳裏に浮かんだ。
笑いながらクッキーを食べるシト。
自分が作ったものを「美味しい」と言ってくれた声。
セシリアは視線を落とした。
テーブルの端に、もう一つ木箱がある。
蓋を開ける。
中には、形の不揃いなクッキーが数枚入っていた。
そして、その横には一枚のメモ。
焼き方が書かれている。
不器用な文字だった。
セシリアはその文字を指先でなぞった。
「……あなたが?」
誰も答えない。
静かな小屋の中に、月明かりだけが差し込んでいる。
シトは、ここで一人だった。
王国を欺いて。
世界を敵に回して。
そして――。
最後には、自分に殺されることさえ分かっていた。
それでも、彼は何も言わなかった。
いつも笑っていた。
いつも自分を守っていた。
セシリアは木箱からクッキーを一つ取り出した。
指先でしばらく眺める。
それから、そっと口へ運んだ。
「……」
硬い。
少し苦い。
それでも、どこか懐かしかった。
セシリアは目を閉じた。
これまで、自分はずっと守られる側だった。
シトに救われた。
シトに導かれた。
シトの背中を追い続けた。
だからこそ、彼を殺したとき、自分も死んでしまいたいと思った。
けれど――。
今なら分かる。
彼が何を背負っていたのか。
なぜ、一人で歩いていたのか。
そして、なぜ自分に何も告げなかったのか。
セシリアはクッキーを握った。
そして、ゆっくりと手を開く。
もう、震えていなかった。
「……シト」
写真の中の彼を見る。
「私、もう大丈夫だよ」
返事はない。
それでも、セシリアは小さく笑った。
守られるだけの少女ではない。
利用されるだけの道具でもない。
誰かに決められた勇者でもない。
自分の足で立つ。
シトが守った世界を、自分も生きていく。
それが、今のセシリアにできることだった。
フォトスタンドを元の場所へ戻す。
木箱の蓋も閉じる。
最後に、部屋を一度だけ見渡した。
「……ありがとう」
それだけ言って、セシリアは扉へ向かった。
ギィ……。
扉を開ける。
冷たい夜風が銀髪を揺らした。
セシリアは振り返らない。
小さな小屋を背にして、森の中へ歩き出す。
その背中には、もう以前のような怯えはなかった。
一人でも歩ける。
自分で決めて、自分で進める。
シトがそうしてきたように。
セシリアもまた、自分の人生を歩いていく。
月明かりの下、彼女の足音が森の奥へ消えていった。
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