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勇者の君へ —— 魔王になった僕が君を救う物語——  作者: R.R.
第四章 真実と未来

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38/42

38、シト

(嘘だ)


 セシリアは、何度も心の中で繰り返した。


(嘘……嘘だよ)


 目の前にいる人が、シトであるはずがない。


 そんなはずはない。


 だってシトは――。


 放課後の教室で笑っていた。


『今日もお疲れ様』


 そう言ってくれた。


 怖くなった夜には、何も言わず隣にいてくれた。


 頭を撫でてくれた。


 手を握ってくれた。


 自分が勇者でいられなくなりそうなときも、


『セシリアはセシリアだよ』


 そう言ってくれた。


 その人が。


 どうして。


「……シト」


 声が出た。


 けれど、返事はない。


 セシリアの手には、まだ聖剣が握られていた。


 その刃はシトの胸を貫いている。


「……私が?」


 指先が震える。


「私が……シトを?」


 頭の中で、何かが崩れていく。


 魔王を倒した。


 世界を救った。


 ずっとそう思っていた。


 仲間を奪われた。


 何もかも奪われた。


 だから、この男だけは許さない。


 そう思って戦った。


 憎んだ。


 殺すと決めた。


 そのはずだった。


 なのに。


「違う……」


 セシリアは首を横に振った。


「違うよ……」


 目の前の人は、憎かった魔王ではない。


 自分を救ってくれたシトだった。


「私が殺したかったのは……あなたじゃない……」


 聖剣から手を離そうとした。


 指が動かない。


 握ったまま固まっている。


「どうして……」


 視界が滲んだ。


「どうして、こんなこと……」


 涙が落ちる。


 一滴。


 二滴。


 それだけでは止まらなかった。


「シト……!」


 セシリアは聖剣を抜き、崩れ落ちるシトの身体を抱きしめた。


 温かい。


 まだ温かい。


「ねえ……起きてよ」


 肩を揺する。


「いつものように笑ってよ……」


 返事はない。


「私のこと、セシリアって呼んでよ……」


 返事はない。


「また頭を撫でてよ……」


 声が震える。


「お願いだから……」


 シトの手が動いた。


 ほんの少しだけ。


 その指先が、セシリアの頬に触れる。


「……っ」


 涙がさらに溢れた。


 この手を知っている。


 何度も自分を安心させてくれた手だ。


 その手が、今は弱々しく頬に触れている。


「シト……」


 頬に触れた指が、ゆっくり動く。


「……泣かないで、セシリア」


 その声を聞いた瞬間、セシリアは首を激しく横に振った。


「無理だよ……!」


 抱きしめる腕に力を込める。


「無理だよ、そんなの……!」


 シトの身体が腕の中で小さく揺れた。


「あなたがいないのに……」


 言葉が続かない。


 喉が痛い。


 息が苦しい。


 胸の奥が締めつけられて、何も考えられない。


「私……これからどうすればいいの……?」


 返事はない。


「勇者なんて……もうどうでもいい……」


 それでも、シトは笑っていた。


 昔と変わらない、優しい笑顔。


「……僕の……」


 シトの唇が動く。


「大切な……人……」


「……え?」


 その言葉を最後に。


 シトの腕から力が抜けた。


「シト?」


 頬に触れていた手が落ちる。


「シト……?」


 セシリアは、その手を両手で握った。


 冷たい。


「嫌……」


 何度握っても、温度は戻らない。


「嫌だよ……」


 胸に耳を当てる。


 何も聞こえない。


「シト……」


 セシリアはその身体を抱きしめた。


「逝かないで……」


 涙がシトの服を濡らす。


「私を一人にしないで……」


 返事はない。


 どれだけ名前を呼んでも。


 どれだけ身体を揺らしても。


 シトは目を開けなかった。


 セシリアは顔を上げられなかった。


 ただ、抱きしめる。


 もう二度と離したくない。


 そう思った。


 なのに。


 腕の中にいる人は、少しずつ冷たくなっていく。


 そのときだった。


 ポトリ。


 小さな音がした。


 シトの黒い外套。


 そのポケットから、一冊の古い手帳が床へ落ちていた。


 セシリアは涙で濡れた顔を上げた。


 震える手を伸ばす。


 手帳を拾う。


 表紙は擦り切れていた。


 何度も開かれた跡がある。


「……これ」


 シトのものだ。


 指が震える。


 開いていいのか分からない。


 それでも。


 今のセシリアには、それ以外にシトへ繋がるものがなかった。


 ゆっくりと表紙を開く。


 最初のページ。


 そこには、見慣れた文字が並んでいた。


『勇者の君へ』


 その一行を見た瞬間。


 セシリアの呼吸が止まった。


 涙が、また一滴落ちた。


 そして彼女は、震える指で次のページをめくった。

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