37、魔王
玉座の間に、二人の殺気がぶつかり合う。
大理石の床が震え、壁に飾られた燭台が小さく揺れた。
セシリアは聖剣を構えた。
銀色の光をまとった刃が、まっすぐ魔王へ向けられる。
「……っ」
一歩。
踏み込んだ瞬間、足元の床が砕けた。
次の瞬間には、セシリアの姿が魔王の目の前まで迫っている。
速い。
これまでの戦いで積み重ねてきたすべてを、一撃に込めた突進だった。
聖剣の切っ先が、魔王の胸へ伸びる。
だが――。
魔王は黒い魔剣を手放した。
カラン、と乾いた音が玉座の間に響く。
黒い剣が床を転がっていく。
それだけではない。
魔王は防御魔法を使わなかった。
避けようともしなかった。
両腕を広げたまま、その場に立っている。
「……?」
セシリアの足は止まらない。
もう、目の前まで来ている。
聖剣の切っ先が黒い甲冑へ触れた。
抵抗はなかった。
純銀の刃が甲冑を貫き、そのまま胸の奥へと沈んでいく。
肉を、骨を断つ気持ち悪い感触が、セシリアの両腕に伝わった。
「――っ!」
足が止まる。
剣を握る手が震えた。
目の前の魔王は倒れなかった。
それどころか。
大きく広げていた両腕を、ゆっくりとセシリアの背中へ回した。
抱きしめられた。
敵に。
殺し合っていたはずの魔王に。
「なに……して……」
その瞬間だった。
魔王の顔を覆っていた仮面に、亀裂が走った。
ピシッ。
小さな音。
続いて、亀裂が一気に広がっていく。
パリンッ!
仮面が砕け、床へ落ちた。
セシリアは息を止めた。
見えた顔。
黒い髪。
見慣れた顔。
いつも教室で笑っていた少年。
自分がずっと待ち続けていた人。
「……シト?」
魔王の口元から血が流れた。
それでも、その瞳だけは穏やかだった。
かつてと同じだった。
「……よく頑張ったね、セシリア」
かすれた声。
「もう……泣かなくていいんだよ……」
聖剣を握る手から力が抜ける。
セシリアの目が大きく開かれた。
「……嘘」
声が震えた。
「嘘……だよね?」
返事はない。
胸に突き刺さった聖剣から、赤い血が流れている。
セシリアの手も、腕も、白い衣装も、みるみる赤く染まっていく。
「シト……?」
膝から力が抜けた。
倒れそうになる身体を、シトの腕が支える。
「どうして……」
セシリアは目の前の顔を見つめた。
何度見ても同じだった。
魔王の顔ではない。
あの日まで、自分の隣にいたシトだ。
「どうして、あなたが……」
答えを求めても、シトは何も言わない。
ただ、かすかに笑っている。
「……よく、頑張ったね」
同じ言葉を、もう一度。
その声が、玉座の間に消えていく。
「いや……」
セシリアの指が震えた。
「いやだ……」
聖剣を抜くことすらできない。
目の前の現実を否定するように、首を何度も横へ振る。
「シトじゃない……。こんなの、シトじゃない……」
けれど、腕に触れている身体は確かにシトだった。
自分が知っている温度だった。
そして、その温度が少しずつ失われていく。
「……シト」
セシリアは震える腕で、その身体を抱きしめた。
「お願い……」
返事はない。
「私を置いていかないで……」
シトの身体が、ゆっくりと傾く。
セシリアは慌てて支えた。
「シト!」
しかし、その身体にもう力は残っていなかった。
腕が落ちる。
頭がセシリアの肩へ預けられる。
そして――。
シトの瞳から、静かに光が消えた。
「……シト?」
玉座の間に、セシリアの声だけが響いた。
返事はなかった。
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