36、魔王 対 勇者
玉座の間が、轟音に揺れた。
石造りの床を踏み砕きながら、漆黒の甲冑を纏った魔王が一歩踏み込む。
その瞬間だった。
足元から噴き上がった黒い魔力が、無数の刃へと姿を変える。
「――っ!」
次の瞬間、黒い飛剣が一斉に放たれた。
空気を裂き、音を置き去りにするほどの速度。
四方八方から迫る刃を、セシリアは紙一重でかわしていく。
銀色の聖剣が閃いた。
カンッ!
一本。
カンッ!
二本。
迫る飛剣を次々と弾き飛ばす。
「……まだ!」
セシリアが踏み込んだ。
その瞬間――
魔王の姿が消えた。
「え……?」
背後。
気配を感じたときには、もう遅かった。
轟音とともに、魔王の回し蹴りがセシリアの脇腹へ叩き込まれる。
「ぐっ……!」
身体が宙を舞った。
そのまま石造りの柱へ激突する。
ドンッ!
柱に亀裂が走り、大量の石片が床へ落ちた。
セシリアは崩れ落ちる寸前、聖剣を突き立てて身体を支える。
「……はぁ……っ」
口元を拭う。
手の甲に赤い血が付いた。
それでも、立ち上がる。
視線だけは魔王から外さない。
(速い……)
飛剣。
体術。
そして、魔力の操作。
一つ一つの攻撃に無駄がない。
セシリアは息を整えながら、魔王の足元を見る。
重心。
肩の動き。
魔力が生まれる瞬間の僅かな気配。
ひとつでも見落とせば、次は死ぬ。
「どうした、勇者セシリア」
魔王がゆっくりと歩いてくる。
「その程度の刃で、仲間たちの無念を晴らすつもりか?」
「……」
「思い出せ。お前が守れなかった者たちを」
セシリアの指が、聖剣の柄を強く握った。
「仲間たちは泣き叫びながら死んでいった。すべて、お前の無力さのせいだ」
「……黙れ!」
声が玉座の間に響いた。
ルカ。
戦場で散っていった仲間たち。
脳裏に浮かぶ光景を、セシリアは振り払うように首を振る。
だが、魔王は止まらない。
「学園で過ごした穏やかな時間もそうだ」
仮面の奥の目が細められる。
「シトとかいう薄汚いガキにすがっていたな」
「……!」
セシリアの動きが止まった。
脳裏に浮かんだのは、あの日々だった。
放課後の教室。
笑い合った時間。
頭を撫でてくれた、大きな手。
『君は君のままでいい』
シトの声。
(違う……)
セシリアは唇を噛んだ。
(あれは……甘えなんかじゃない)
聖剣を握り直す。
震えていた手が、止まった。
「……私が、ここまで来たのは」
顔を上げる。
「シトにすがるためじゃない」
魔王が笑った。
「ならば教えてやろう」
一歩。
魔王が踏み出す。
「お前が愛し、待ち続けていたシトなら――」
セシリアの瞳が揺れる。
「すでに僕が殺した」
「…………え?」
「この手で惨殺してやった。肉片すら残っていない」
静寂。
玉座の間から、音が消えた。
「…………」
セシリアは何も言わなかった。
ただ、聖剣を握っている。
その指が、ゆっくりと白くなる。
「……シトが」
小さな声だった。
「死んだ……?」
返事はない。
代わりに、魔王の口元がわずかに歪んだ。
その瞬間だった。
セシリアの瞳から、光が消えた。
悲鳴もない。
涙もない。
ただ、聖剣を握る手に力が込められていく。
ギシッ。
柄が軋んだ。
彼女はゆっくりと顔を上げる。
そこに、先ほどまでの勇者の姿はなかった。
「……そう」
聖剣が震える。
銀色だった刀身が、徐々に黒く染まっていく。
「あなたが……シトを殺したのね」
魔王が黒い長剣を構える。
「ようやく、その顔になったか」
セシリアは答えない。
ただ、聖剣を構えた。
(……殺す)
一歩、踏み出す。
(この男を)
さらに一歩。
(私の手で)
床の石畳が、足元から砕けた。
セシリアの全身から、凄まじい殺気が噴き出す。
魔王の周囲を覆っていた黒い魔力すら、押し返すほどの殺意。
聖剣が激しく脈動した。
銀色の光が、更なる力強い光へと変わっていく。
「…………」
魔王が剣を構え直す。
セシリアもまた、聖剣を握り直した。
二人の視線が交わる。
一秒。
いや、それすら長すぎた。
玉座の間を震わせていた空気が、一瞬で張り詰める。
そして――
ドンッ!!
二人の姿が同時に消えた。
石畳が爆ぜる。
黒と銀。
二つの刃が、互いの命を奪うために一直線へと走り出した。
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