30、決心
夜は静かだった。
窓の隙間から入り込んだ風が、カーテンを大きく揺らしている。
セシリアはベッドの端に座ったまま、膝の上に置いた聖剣を見つめていた。
銀色の刃。
これまで何度も握ってきた剣なのに、今夜は妙に重かった。
セシリアは柄を握り直す。
「…………」
目を閉じる。
瞼の裏に浮かんだのは、シトの顔だった。
優しい声。
自分を包んでくれた腕。
何も言えずに泣いていた夜。
あの温もりに触れている間だけは、何も考えなくてよかった。
けれど。
セシリアは目を開いた。
部屋には誰もいない。
「……シト」
名前を呼んでも、返事はない。
当然だった。
ここにいるのは自分だけだ。
セシリアは俯いた。
聖剣の柄に、ぽたりと涙が落ちる。
「……ずっと、逃げてた」
震える指先を、もう片方の手で押さえる。
「怖かったから」
聖剣を握る。
「魔王と戦うのも」
もう一度、力を込める。
「誰かを失うのも」
唇を噛む。
「……一人になるのも」
ぽろり。
また涙が落ちた。
けれど、セシリアは拭かなかった。
代わりに、まっすぐ前を見た。
「でも……」
ゆっくりと立ち上がる。
「誰かに守ってもらってるだけじゃ、何も変わらない」
窓の外。
遠くの街には、まだ明かりが残っていた。
眠っている人。
家族と食卓を囲む人。
明日の朝を待っている人。
その全部を、魔王は壊そうとしている。
「私が何もしなかったら……」
セシリアは聖剣を胸元まで持ち上げた。
「この人たちは、どうなるの?」
答えは返ってこない。
だからこそ、自分で決めるしかなかった。
セシリアは涙を手の甲で拭った。
「……もう、頼らない」
一瞬だけ、声が震える。
それでも。
「シトにも」
聖剣を握る手に力が入る。
「誰にも」
銀色の刃が、淡く光った。
セシリアは目を見開く。
「……え?」
剣から伝わってくる感触が、今までとは違っていた。
冷たい。
けれど、不思議と嫌ではない。
まるで。
こちらの意志を確かめるように、静かにそこにある。
セシリアは一度だけ息を吸った。
そして――。
「私が、魔王を倒す」
言葉にした瞬間、剣身の光が強くなった。
部屋の壁が、淡い銀色に染まる。
セシリアは目を逸らさなかった。
「私が勇者だからじゃない」
一歩。
床を踏みしめる。
「世界にそう言われたからでもない」
もう一歩。
窓辺まで歩き、夜空を見上げる。
「私が……そうしたいから」
風が吹いた。
長い髪が舞う。
涙の跡が残った頬を、夜風が冷たく撫でていく。
それでも、セシリアは聖剣を離さなかった。
「怖いよ」
小さく笑う。
「今だって、怖い」
それでも。
足は止まらない。
「でも……行かなきゃ」
セシリアは部屋の扉へ向き直った。
手を伸ばす。
扉に触れる直前、一度だけ振り返った。
誰もいない部屋。
かつてなら、ここで誰かを待っていた。
けれど今は違う。
「……行ってくるね」
返事の代わりに、聖剣が淡く輝いた。
セシリアは扉を開けた。
廊下の先には、夜の闇が続いている。
その先にいるのは――魔王。
逃げることはできない。
だから。
セシリアは一歩を踏み出した。
今度は、誰かに背中を押されるためではない。
自分の足で。
自分の意志で。
勇者としてではなく――。
一人の少女、セシリアとして。
魔王との戦いへ向かうために。
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