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勇者の君へ —— 魔王になった僕が君を救う物語——  作者: R.R.
第二章 魔王

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26/42

26、空元気


 朝の光が、学園の渡り廊下を白く照らしていた。


 セシリアは壁に手を添えながら、一歩ずつ歩いていた。


 昨夜の傷は、治癒魔術と薬で塞がっている。


 それでも、足を動かすたびに身体の奥が軋んだ。


「……っ」


 小さく息を漏らし、セシリアはすぐに口を閉じる。


 廊下の先には教室がある。


 扉の前で一度だけ深呼吸をして――笑った。


「よし」


 自分の頬を両手で軽く叩く。


「いつも通り、いつも通り」


 ガラリ。


 扉を開けた。


「おはよう、セシリア!」


「おはよう」


「昨日の宿題やった?」


 いつもの朝だった。


 笑い声。


 机を動かす音。


 友達同士の他愛もない会話。


 セシリアはその中へ、何事もなかったように入っていく。


「おはよう!」


 声を張った。


「今日は早いね」


「うん。ちょっと目が覚めちゃって」


 笑う。


 笑えている。


 だから、大丈夫。


 そう思いながら席についた。


 教科書を机の上に置く。


 ――カタッ。


 指先が震えた。


 セシリアはすぐに手を膝の上へ隠した。


「……」


 ぎゅっ。


 制服の布を握る。


 大丈夫。


 ここでは、何もなかった。


 怖かったことも。


 仲間を失ったことも。


 魔王と向き合ったことも。


 全部、昨日のことだ。


「セシリア?」


「え?」


 隣の席の少女が首を傾げている。


「ぼーっとしてたよ?」


「あ、あはは……ちょっと寝不足かな」


「珍しいね」


「昨日、夜更かししちゃって」


「ちゃんと寝なきゃ駄目だよ?」


「うん。気をつける」


 また笑った。


 少女は安心したように前を向く。


 セシリアも前を向いた。


 けれど。


 机の下では、拳が固く握られていた。


 爪が掌に食い込む。


 ――怖い。


 その言葉が喉まで上がってくる。


 誰かに言いたい。


 昨日、怖かった。


 もう嫌だ。


 もう誰も失いたくない。


 けれど。


 セシリアは唇を噛んだ。


 言わない。


 弱音を吐けば、また誰かに守られてしまう。


 そして、その誰かが傷つく。


 黒板に文字が並び始めた。


「では、今日はここから――」


 教室の前に立ったシトが、淡々と授業を始める。


 セシリアは顔を上げた。


 目が合う。


 ほんの一瞬。


 シトの視線が、セシリアの手元へ落ちた。


 震える指。


 青白い顔。


 それから、無理に作った笑顔。


「……」


 シトは何も言わなかった。


 ただ、黒板へ向き直る。


「この部分は重要だから、よく覚えておくように」


 チョークが走る。


 セシリアもペンを握った。


 書く。


 書かなければ。


 いつも通りに。


 ――ガリッ。


 文字が大きく歪んだ。


 セシリアは消しゴムに手を伸ばしかけて、止めた。


 そのまま次の行を書く。


 視界が少し揺れる。


 それでも顔を上げる。


「……大丈夫」


 誰にも聞こえない声で呟いた。


     ◇


 放課後。


 教室から生徒たちが次々と出ていく。


「じゃあね、セシリア」


「うん。また明日」


 最後まで笑って手を振る。


 扉が閉まった。


 静かになった教室で、セシリアは椅子に座ったまま動かなかった。


 窓の外を見る。


 夕日が空を赤く染めている。


「……」


 ふう、と息を吐く。


 ようやく肩の力が抜けた。


「疲れた……」


 机に頬をつける。


 そのまま目を閉じようとした。


 ――ガラッ。


 扉が開く。


「セシリア?」


 聞き慣れた声。


 セシリアが顔を上げる。


「……シト」


 シトが教室へ入ってきた。


 ゆっくりと歩き、セシリアの机の前で足を止める。


「まだ残っていたんだね」


「うん」


「帰らないのかい?」


「もう少ししたら帰るよ」


「そうか」


 シトはセシリアの顔を見る。


 少しだけ眉を下げた。


「……顔色が悪いね」


「え?」


「大丈夫かい?」


 セシリアの笑顔が、一瞬だけ固まった。


「大丈夫だよ」


「本当に?」


「うん」


 即答だった。


「ちょっと寝不足なだけ」


「……そうか」


「だから心配しないで」


 セシリアは笑った。


 今度は、朝よりも上手く笑えた。


 ――そう思った。


 シトは何も言わない。


 ただ、いつものように優しい目でセシリアを見る。


「無理はしないでくれよ」


「うん」


「何かあったら、いつでも話してくれていいから」


「……ありがとう」


 セシリアは立ち上がった。


 足に力を入れる。


 ――ズキッ。


「……っ」


 一瞬、顔が歪んだ。


 けれど、すぐに笑顔へ戻す。


「じゃあ、帰るね」


「ああ」


 鞄を肩に掛ける。


 扉へ向かって歩く。


 足は重い。


 身体も痛い。


 それでも、止まらない。


 教室を出る直前、セシリアは振り返った。


「シト」


「ん?」


「また明日ね」


 シトは少しだけ目を細めた。


「……ああ。また明日」


 扉が閉じる。


 廊下へ出たセシリアは、壁に背中を預けた。


「……はぁ」


 長い息が漏れる。


 笑顔が消える。


 拳を胸元に当てる。


「……大丈夫」


 誰もいない廊下で、もう一度だけ呟いた。


「私は……大丈夫だから」


 そう言って。


 セシリアは、夕暮れの廊下を一人で歩いていった。

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