25、弱さ
月明かりさえ届かない森の奥。
湿った泥の上に、セシリアは膝をついていた。
「……はぁ……はぁ……」
息を吸うたび、胸の奥が焼けるように痛む。
握りしめた剣の柄には、手のひらから流れた血がべったりと付いていた。
立たなければ。
そう思っているのに、足に力が入らない。
そのときだった。
――ザッ。
枯れ葉を踏む音がした。
セシリアが顔を上げる。
「……誰?」
暗闇の向こうから、一人の騎士が姿を現した。
「セシリア……!」
「ルカ……?」
ボロボロになった鎧。
肩で荒く息をしながら、それでもルカは剣を構えた。
「逃げろ……!」
「え……?」
「こいつは……俺たちじゃ勝てない!」
ルカの声が震えている。
それでも、セシリアの前から退こうとはしなかった。
「早く行け!」
「でも……!」
「いいから!」
その瞬間。
森の空気が、凍った。
「……っ」
セシリアが息を呑む。
ルカの背後。
そこに、いつの間にか男が立っていた。
魔王。
「ルカ!」
セシリアが叫ぶ。
だが――遅かった。
黒い刃が、一閃する。
ガキンッ!
ルカの剣が真っ二つに折れた。
「な――」
次の瞬間、漆黒の刃が鎧を貫いた。
「が……っ!」
ルカの身体が大きく揺れる。
口元から血がこぼれた。
「ルカァッ!」
セシリアが地面を這うように駆け寄る。
その身体を抱き起こす。
「ねえ……ルカ……!」
返事がない。
「嘘……でしょ……?」
肩を揺する。
「起きてよ……!」
それでも、ルカは動かなかった。
セシリアの指先から力が抜ける。
「また……」
声が震えた。
「また……私のせいで……」
背後から足音が近づいてくる。
魔王だった。
セシリアはゆっくり振り返る。
魔王は倒れたルカを一瞥し、それからセシリアを見る。
「お前は弱い」
「……」
「その弱さが、目の前の男を殺した」
セシリアの唇が震える。
「違う……」
「違わない」
魔王は淡々と言った。
「お前が守れないから死ぬ。お前が未熟だから失う」
「……やめて」
「お前が変わらない限り――」
黒い瞳が、セシリアを射抜く。
「お前の後ろにいる者は、すべて私が殺す」
「……っ!」
セシリアは両手を握りしめた。
爪が手のひらに食い込む。
痛い。
けれど、それ以上に胸の奥が痛かった。
目の前にいるルカ。
そして、これまで自分を支えてくれた人たち。
その中には――シトもいる。
いつも優しかった。
何度失敗しても、何度怖がっても、シトは自分を責めなかった。
だから。
「……甘えてた」
セシリアが呟く。
魔王は何も言わない。
「私……ずっと、誰かに守ってもらおうとしてた」
セシリアは俯いた。
そして、地面に手をつく。
「怖かったから……」
ふらつきながら、立ち上がる。
「失敗するのが怖かったから……」
一歩。
「誰かが死ぬのが怖かったから……」
もう一歩。
血に濡れた剣を拾い上げる。
「誰かが……私を守ってくれると思ってた」
セシリアは剣を握り直した。
震えている。
それでも、手放さない。
「でも……それじゃ駄目なんだ」
顔を上げる。
「私が弱いから、誰かが死ぬなら――」
涙を拭う。
「私が強くなる」
魔王は黙って見つめている。
「もう、誰かのせいにしない」
セシリアは剣を構えた。
「私が守る」
声は震えていた。
それでも、今度は目を逸らさなかった。
「この世界も……私の大切な人たちも」
魔王はしばらくセシリアを見つめていた。
やがて、背を向ける。
「……ならば、強くなれ」
「……!」
「その覚悟が本物ならな」
魔王の姿が闇に溶けていく。
「待って……!」
セシリアが叫ぶ。
だが、もう返事はなかった。
森に静寂が戻る。
セシリアは一人、立っていた。
足元には、ルカの折れた剣。
手には、血に濡れた自分の剣。
セシリアは折れた剣を拾い上げ、胸元へ抱き寄せる。
「……ごめん」
小さく呟いた。
そして――。
「ありがとう」
ゆっくりと顔を上げる。
夜の森の向こう。
まだ見えない明日を睨むように、セシリアは剣を握り直した。
「もう……誰も死なせない」
その言葉だけが、暗い森に残った。
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